谷川俊太郎の『家族の肖像』。

『家族の肖像』鼎談 第1回
「明治」が、ふたりをうんだ。



賢作
我ながら、「息子であること」って
すごいです。
これだけの詩を、こうやって
手のひらで転がして遊べるんですから。

糸井
谷川俊太郎の作品を
「勝手にできる」という気分が、
ちょっとはありますか?

賢作
ちょっと、あります(笑)。

糸井
それは、やっぱり僕らには、
わかりっこない感覚ですね。
でも、おふたりは、
特に深〜い関係だった
親子ではないんですよね。

賢作
ぜんぜん。

糸井
親子というよりも、何なんだろうな?
ふたりのあいだの、「つながりの雰囲気」が、
何だか薄いんですよ。
そこがまた、おかしいんですけど。
あまりにも関係が深かったとしたら、
こういう仕事の分業はできないんでしょう。

俊太郎
うちは、親子のわりには、
両方とも紳士です。
決して相手のプライベートに立ち入らない。

糸井
わりとクールですよね。

賢作
それは、うちの伝統じゃないですかね?

俊太郎
そうね。僕と父親との関係も、そうです。

糸井
だけど、どこかで無遠慮にしていいというか、
自信を持って無遠慮ができるタイミングがある。
それは、おふたりの持ってる体質の問題が
あると思うんですが、とにかく
失礼なことを言いやすいおふたりなんですよ。

賢作
おお。

俊太郎
ふふふふ。

糸井
僕は「谷川俊太郎は安売り王だ」って、
書いたことがあります。
それも、思えば失礼な言い方ですよ。
僕はだいたい誰に対しても失礼なんですけど、
谷川さんに対しては、特に失礼なこと、
いっぱい言ってる気がするんです。

俊太郎
そう?
安売り王って言われたときは、
ものすごいうれしかったんですけどね。
理解者が現れた、みたいにさ。

糸井
きっと「この人には通じる」という自信をもって
言えるもんだから、
「こう言ったらいけないかな?」というような
余計な包み紙を省いたり、
ときにはいらない飾りを
つけてみたりできるんです。
そういう「遊びのつきあい」が、
谷川さんとは、スッとできた。

俊太郎
うん。

糸井
「肩書きを並べたら、
 なんだか偉い人になっちゃう」
という運命を、お歳をとると
みなさん必ず持つんですけど、
谷川さんには、それをさせない力がある。
一方、賢作さんは、知り合ってすぐに、
うちのスタッフとカラオケで
めちゃくちゃに呑んだりしてくれてる(笑)。
それは、人格の、すごい力だと思うんです。
悪く言わせる力というか、
失礼をさせる力というか。

賢作
(笑)、はい。

糸井
逆に「失礼をさせない」というような
毅然としたものがあるのは、
詩にとって、いいことではないと思うんです。

俊太郎
うん、僕はそう考えます。
違う考えの人はいると思うけど。

糸井
谷川さんの詩については
タクシーの運転手の野球解説みたいに、
「あれがいいね!」とか、
みんな、平気で言う
でしょう。

俊太郎
それ、うれしいよ。

賢作
すばらしいよ。すばらしい。

糸井
もしアーティストというものが
えらい「芸術院会員」のような存在だとしたら、
作品についてそういう言われ方をしたときには
「おまえに何がわかるんだ?」
ということになりますよね。

俊太郎
うん。そうだね。

糸井
そういうことが、谷川さんに関しては、
絶対にない。
子どもまで、「あれがいい」だとか、
「あれはあんまり好きじゃない」とか、言ってる。

俊太郎
平気で言いますよ。
それはほんと、僕の理想なんです。
ま、うんと若いころは
そこまで考えてなかったけど、
やっぱり父を見て、だんだん
こうなってきたんだと思います。

糸井
父を見て?

俊太郎
ああいうふうになりたくない、と(笑)。

糸井
谷川さんのお父さんは、
どちらかというと、
偉いかんじの方だったわけですね?

賢作
ちょっとね。

俊太郎
そう。ちょっと権威的な人で
わりとハイソ好きみたいなとこがあって。
それに反発してるかんじが、
ぼくたちふたりともに、あると思うんですよ。

糸井
父ひとりで、二代をこんなふうに(笑)。

俊太郎
ねぇ? 影響与えてんの(笑)。
僕は、賢作ほど呑まないから、
またちょっと違うんだけど、
彼の音楽を聴いたり、一緒に仕事してると、
すごく感性に共通なものがあると思います。
それは、もともとは、自分の父親も、
芯にもっていたんですが
わりと偉い人になっちゃったから、
そういうものが出てこなくなった。

糸井
これはなんだか、おもしろいと思うんですけど、
「明治」っていうものが、
「大正」も「昭和」も「平成」もつくってる。
そういう印象が、ずっと前から僕はあって。
ここでもおんなじことが起こっています。
つまり、このおふたりの世代のブロックは、
明治に対する反発とか、
明治があったせいで、できたものだな、
と思うんです。

俊太郎
うん、うん、確かにそうね。

糸井
谷川徹三って人の明治らしさが
おふたりをここまでにした(笑)。

俊太郎
はははは。

谷川徹三(たにかわてつぞう)
1895〜1989

哲学者。柔軟な考察と思考で、文芸、美術、宗教、
思想に及ぶ広範囲な評論活動を展開した。
国立博物館次長、法大総長などを歴任。
宮沢賢治の世界を広く紹介したことでも知られる。
谷川俊太郎の父、谷川賢作の祖父。

2004-07-22-THU

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