谷川俊太郎の『家族の肖像』。
これを聴いていると
地球儀よりもでかい世界のことが
見えてくるようです。


ある夜更けのこと、
谷川俊太郎さんと谷川賢作さんの
新しいCD『家族の肖像』の試聴版を
ベッドに入って聴きはじめたdarlingこと糸井重里は、
耳に火がついたようになり、
興奮して、眠れなくなってしまったそうです。
眠れぬまま、明け方の窓辺で、
いろんなことを考えたとか。
第1回目の今日は、このコーナーのプロローグとして、
『家族の肖像』のすごさについて
darlingに語ってもらうことにしました。


人は生きていると、生きているぶんだけ
いろんなことを知っていきます。
あかんぼのときは、なんにも知らなかったけど
一年生になると、一年生のぶんだけ、それなりに
喜んだり悲しんだりしながら生きるようになる。
「これは悲しいな。だからあいつも悲しいんだろうな」
というようなことが、次第にわかるようになるんです。
そういうことを、大人になるに従って、
どんどん「わかってくる」人もいれば、
「止まっちゃう」人もいる
んですよ。

例えば、
「70円で仕入れたものを100円で売ったら30円儲かる」
というようなたぐいのことは、
10年経っても100年経っても変わらない。
ところが、
「人と人が会ったとき、
 そこに風が吹いていたら何が起こるのだろうか?」
というようなことは、10年経ったら、
ちがってくるんです。

「1+1=2」のように明解な
不変の法則に従って生きることは、
切れ味がよくてかっこいいんです。
上手下手はあっても、みんな同じことができるし、
全部を説明することができるでしょう。
特に、男が大人になると
そんな「保存しやすくて持ち運びしやすい言葉」ばかり
使うようになります。
でも、そういう思考が、何かを「感じること」の
邪魔をしてしまうんですね。

一枚の写真を見ても、
そこで何を感じるかは、人によってちがってきます。
一歩ずつ自分の足で歩いてきた人には、
その一枚の写真が、何通りにも見えてくるんですよ。

「そういうことを言葉にできる」というのが、
じつは、ぼく自身の夢でもあります。

子どもが書いた詩でも、大人が書いた詩であっても、
詩っていうのは、たぶん、
「わけのわからないもの」について書いてある
ものだと思うんです。
「わからないことをみんなに伝えられるだろうか」
という気弱さと、
「伝えられたらうれしいな」という喜びが
いっしょに、詩になって入ってる。
谷川さんの書くものって、
いつもその魅力に満ちているんです。

(今回収録の詩を眺めて)
この詩だって、なあんにも、言ってないんですよ。
論文みたいなことは、なんにも言ってないんです。
ただ、「見てるだけ」なんだよね。
谷川さんの目が、なぞってるんですよ。
ゆーっくりなぞったり、さっとなぞったり。
詩は視線と耳とで書くんだね‥‥
いや、それだけじゃないね! 五感で書くんだ。
「感じる」ってことが、
もう、それだけで詩なんですね。
そのあとの「書けたか書けないか」ってところは、
二の次なんだよなあ(しみじみ)。

谷川さんの作品には、
おもちゃとしての言葉とか、きれいな景色としての言葉とか
編み方によっていろんな分類があるんですが、
今回の、この『家族の肖像』に込められているものは、
きっと「生まれてよかったな」なんだと思います。

ほんとに、あらゆる行間に
「生まれてよかった!」って書いてあるんですよ。
ろくでもないことも、
クズみたいなこともカスみたいなことも含めて
よかった!って、言ってる。
「恋人とお花畑で四つ葉のクローバー探して
 笑いあっていたら
 犬のクソをつかんじゃったね、
 そんなことも含めてよかった!あの日は!」
というような、どんなことも含めた、
まるっごとの「生まれてよかった」が入ってる。
これを聴いてると、なんだかね、
地球儀よりでかい世界が見えてくるような気がするんです。

賢作さんがまた、そのことをよくわかってるんです。
ふたりで説明しあったとは思えないんだけど、
今回谷川さんが表現したかったものを
賢作さんが、ちゃんとつかんでるんですよ。

「わかったよ、
 俺もこういうことやりたいんだよ」
っていうところがバッと一致してる。
親子でやってるって、すげえいいなあ。

今回、谷川さんは詩を2篇、書き下ろしもしています。
まさに、今回のテーマになるような、すごい詩です。
谷川さんが自分の書いた「家族」の詩を
声に出して読むことによって、
そのことを書いた理由が、
谷川さんの心の動きが、わかるんですよ。

「わー!」ってなるよ、まったく!

以前にも何度か言ってるけど、
ぼくは谷川さんのことを
「言葉の安売り王」って呼んでます。
今回、それをまた改めて思いました。
谷川さんは、ブランド壊しをやってるブランドなんです。
「谷川俊太郎のバッタもん」を
自分で作ろうとしているような、そんな人です。

でも、その「バッタもん」のはずのものが、
みごとに「バッタもん」ではないんですよ。
その自信が、谷川さんにはある。
だからこそ、こういうことができるんだね。

このCDは谷川さんの仕事の中でも、
キューブリックでいうところの
『2001年宇宙の旅』。
そのくらいの大きさを感じます。
ぼくはもうね、こういうものに出会うと
「風呂敷にくるんだCDをしょって売りに行く」
みたいなことしかできない。
このCDのすごさを、みんなに伝えて歩きたいです。


これはある程度年を取らないとできない仕事だよね。
いまじゃない、年取ってからやる仕事はあるんだって、
わかったよ。いやあー、まいった! はああああー。


darling絶賛の、そんなCDをつくりおえた谷川さんが、
妖精のような瞳で、何やら言っていますよ‥‥。


明日は谷川さんが
みなさんから、あるものを募集しはじめます。
おたのしみに!

CD『家族の肖像』の詳細は、
サイレント/ポリスターレコードのサイト
ごらんください。

「ほぼ日」で販売する特製セットの内容については、
4月28日(水)にお知らせしますよ。
たのしみにお待ちくださいね!!

2004-04-26-MON

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