質問:
言葉の「変化」についてどう考えますか。
小説はうまくいけば言葉で
「点」ではなくて
「空間」を作っていけるんですね。
ふだんの大勢の人の言葉の使い方は
「点」に向かうわけだけど、
小説はそれを読んでいる一定の時間だけ
読者の考えをひきこめるわけだから、
その時間の中で読者の考え方も
小説の中の考え方に鋳造しなおせるんです。

そこでは、
「点」から「空間」に
発想を変えるということが
不可能ではないんです。
ところが、
今の小説はそういうことをしない
「点」の小説が多い。
そういうふうに
「ふだん使っている考え方の延長線上の狭い言葉」
しか使わないで小説を書けば、
空間を描こうとしても
「点」しか書いていないことになるわけです。
小説が「点」しか書いていなければ
読んでもふだんの言葉も
変わりようがないですよね。
だけど
「点」ではなく
「空間」を指すような言葉や考え方を、
小説の中で作るような文章がたくさんあれば、
きっとふだんの考え方も
少しずつ変わってゆくんです。
それは「すぐに変わる」という
変化ではないのだろうけど。
共産主義革命が起きて
農村がいきなり
コルホーズになったとかいう変化なんて
そうそう言葉には起きないわけだし、
コルホーズになったところで
ロシア人たちの中身は
そうそう変わらなかったわけですし。
だから、一般的によくいわれがちな
「それをしたところで小説の何が変わるんですか」
とかいう言葉はおもしろくないと思います。
何かをしたからそのぶんの見返りがある、
何かをしたからものごとがすぐに変わる、
というのは幼稚な発想と言いますか。
 
  自分ひとりの代の変化なんて
たいしたものではないですよ。
四代とか五代とかそれくらい変わらないと、
何かが変わったことには
ならないんじゃないかなぁ。

日本で軍国主義が終わって
六十年経ったとされていますけど、
軍国主義の考え方が消えていないでしょう?
朝礼で「エイ!エイ!オーッ!」とか(笑)
やってる会社がいっぱいあるし、
運動部は相変わらず精神論だし。
 

民主主義を輸入した時点では
教育の現場も民主主義のことが
わからないままですから、
教育はまずは教育者を育てて、
その教育者が子供を育てるという
すごく時間のかかるサイクルの中にあるわけで……

お触れを出したから変わることなんてないんです。
まして言葉や考え方は体にしみついているから、
何かをするなら
時間をかけないと仕方がないものですね。

 

明日に続きます。

 
保坂和志さんの最新刊
『小説の自由』が本屋さんに並んでいます。
(アマゾンで買いたいという方はこちらに)

小説を読む醍醐味があれこれ語られますし、
「おもしろさって、一体なんなのだろう?」
と一緒に考えながら読みこめる本なんです。
読みなおすたびにヒントがもらえる本だし、
しかも、分量もたっぷり。おすすめですよ。

 
感想を送る 友達に知らせる ウインドウを閉じる

2005-07-12

Photo : Yasuo Yamaguchi All rights reserved by Hobo Nikkan Itoi Shinbun 2005