質問:
論理的な言葉について、どう考えていますか。
論理的な文章というのは、
言葉のいちばんまずしい使い方だと思います。
論理的な文章は、
たしかにその現場にいない人にも
伝えることのできるものです。
だからたとえば人の話を聞いて
「この人はすごい」と思った内容を伝える時も、
知らず知らずのうちに
論理的なものになってしまいがちですよね。
ほんとうは単にその人のことを好きだったから
説得されているだけなのに、
現場ではないところでしゃべる時には、
まるで自分が論理的に
説得されたかのように説明する……
言葉って、そういうふうに
使いがちだし使われがちなんです。
つまり
「現場でやりとりされている言葉」と
「現場を離れて人に伝えるための事後報告の言葉」
というのは、まるで意味がちがうわけです。
小説というのは現場の言葉ですが、
人におもしろかったと伝える言葉や
書評の言葉というのは
すべて事後報告の言葉になってしまうわけですね。
そこで「事後報告の論理的な言葉」で
小説が流通しがちだけど、
その言葉では伝わらないおもしろさを
わかる人がひとりでも増えたら、
小説はきっともっとおもしろく読めると思います。
ワイドショーや新聞や雑誌の中の言葉は
論理性が乏しくて情緒的ではあるものの、
それでもまだまだじゅうぶんに
「論理的な使用法」
(「整合性にこだわる使用法」
 「つじつまのあった使用法」)
をされている点も、
気をつけた方がいいとは思うんですけど。
小説や芸術をちゃんと考えると、
それぞれ大なり小なり
行き詰まっていることに気づくわけですが
「ただ何していいかわからないという
 ぼんやりした行き詰まり方」というよりは、
やらなければいけない方向だけは
見えているように思うんです。
  それが、小説の場合には
「論理性を超えた現場の言葉」という、
いちばん広がりのある言葉の使用法を
拡大する方向だといいますか。
現場の言葉の使用法を拡大することが
小説の使命だとしたら、
やらなければいけないことは
まだまだたくさんあるんですよね。
 
  月曜日に続きます。
 
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2005-07-08

Photo : Yasuo Yamaguchi All rights reserved by Hobo Nikkan Itoi Shinbun 2005