智慧の実を食べよう2
“WONDER S CHOOL!”
学問は驚きだ。へ
智慧の実をとどけます。
『学問は驚きだ』制作中の言葉から。

第3回
おもしろさの堂々めぐり

(※最初の数回は、惑星物理学の松井孝典さんから、
  追加取材でうかがった談話を、おとどけいたします。
  講演会での発言以外も、たくさん盛りこんだので、
  本もDVDも、どうぞ、たのしみにしてくださいね)




ぼくは学問をやるなら
理学部か文学部しかないと考えていました。
そもそも、経済や政治や法律や医学は、
学問に値しない、とまで思っていまして……
ただ、理学か文学かというと、どうも
本を読んで一生を過ごすのはきついと感じました。

高校のとき、本を読むのは好きだったんですが、
一生読みつづけるのはきつい。
それは、直感的に思ったんです。

それで、最終的には
「自分で考える」というほうがいいかなぁと。
それで、物理に行ってみたんです。

道を極めたいだけだから、
何をやるかというのは、
何も決まっていなかったんです。
何でもよかったとも言えます。

実際に理学部に入ってみると、
とにかく、地球物理なんて学問は
当時はなにもないわけです。

地震学とか、
気象学とか、
地球流体力学とか、
火山測地とか海洋とか……要するに、
ただ部分ごとにやっているわけです。

地球に関する学問については、
イチから自分で
作っていったようなところがあります。
これが、また、よかったんですよ。

たとえば、サーフィンで、
波が来たからのっかったら、
そのままずっと先頭にいるというような……
それはかなり、たのしいんです。
ラクですし。

むしろ、できあがった分野に、
あとから乗るからたいへんなんです。

だから、最初に、しかも自分で
波を起こしてそれに乗ったら、
すごくラクですよね。

ぼくはそもそも苦労をしていませんし、
特別に努力をした覚えもありません。
最初にこういう学問を作って、
その先頭にいると、
いつだって先頭でいられますよね。
努力をしたからと言って
先頭にいられるとはかぎらないんですから。

世界中に、同じ時代に
同じような学問をはじめた友人がいるけれど、
そういう連中は、やっぱりいまみんな、
それぞれの学会のトップになるんです。

運もよかったんです。
地球物理というのは、
アポロ計画以降でなければできない学問です。

地球の重力を突破しない限りは、
望遠鏡で見ていてもわかりません。
地球の外から見ることをしないと、
成立しない学問ですからね。

ここ数十年で大きく発展した学問と言えば、
天文学も生物学も、何だってそうですよ。
自然という古文書を読むための道具が、
三〇年前には、なかったんですから。

道具ができたから、
短期間でバッと読めるようになったんです。
読んだ結果が知識なんです。

知の体系っていうのは、
古文書を読んだ結果に過ぎません。

誰か天才があらわれたからというよりは、
すばらしい道具ができたから、なんですね。

そういう点では、いまという時代が、
いかにすばらしいか、と感じます。

しかし、その自然という古文書は、
万巻の書の万巻が、
いったい何冊あるのかはわからないわけです。
いまも、その何冊目の何ページを
読んでいるかもわからないでしょう。
だから、洞察力は必要です。

ぼくはよく言うんだけど、
学問という分野に必要なものがあるとすれば、
洞察力なんです。
それは一を聞いて十を知るという
種類の力があれば、
学問に向いているでしょうけど、
ほんとうは、そういう力があってもなくても、
何をやったって、おもしろいんですよね。

つまらないものがあるとすれば、それは
「その人にはつまらないだけであって、
 他の人にはおもしろいかもしれない」
というものでしょう。

学問の世界にも、
なぜ自分がそれをおもしろいと
思っているのかが
伝えられないままの人はけっこういます。

でも、本来は、それだって、おもしろい。
どの分野の話も、よく聞けば
おもしろいものがいっぱいあるし、
それをまた他の分野に使えるところが、
知の体系の特徴でもあります。

自然という古文書を読む。
それによって技術が発展して、道具ができる。
自然を読むという分析能力が高くなる。
分析能力が高くなると、
あたらしい知識が入ってくる……。

知の体系とは、そういう
「おもしろさの堂々めぐり」なのですからね。

(明日に、つづきます)

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2004-10-05-TUE

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