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智慧の実を食べよう。
300歳で300分。

「ほぼ日」創刊5周年記念超時間講演会。

人との結びつきを考える
詫摩武俊さん




さて、最後の長老をご紹介いたします。
性格心理学を専門とする、
東京国際大学教授の詫摩武俊さんです。

1927年生まれ、76歳。
これまで紹介してきた4人の方とはちょっと違い、
どちらかというと研究畑の方です。

5人目の長老を詫摩さんにお願いした意図を、
糸井重里はこのように言っています。

「このイベントを形にしていくなかで、
 なにか全体に一本筋を通すような話が、
 最初にないといけないな、と思ったんです。
 そのとき、頭に浮かんだのが詫摩先生でした。
 詫摩さんとぼくは、以前、
 ひとりっ子をテーマにした座談会で
 ごいっしょさせていただいたんですけど、
 そのときに詫摩先生がおっしゃった言葉が、
 このイベントの導入として最適だと思ったんです。
 それは、おじいさんやおばあさんといった
 老人の方といっしょに住んでいた子どものほうが
 精神が健やかであるという話だったんです。
 人と人が世代を超えててまじわることの意味。
 歳をとった人が、つぎの世代とかかわりを持つ意味。
 長老という人がかつて社会で果たしてきた意味。
 そういったものを、詫摩先生が最初に話してくれたら
 このイベントの導入として
 ぴったりのものになるんじゃないかと思ったんです。」




とある天気のよい木曜日に、
糸井重里は詫摩先生を訪ねました。
たくさん本が並べられた、詫摩先生の研究室です。

打ち合わせは例によってゆったりとしたものでした。
そこで話された詫摩先生の言葉をご紹介します。

「いまの老人は長生きになりましたので、
 祖父母が4人そろっているということが
 私の教えている大学生くらいになりましても
 めずらしくなくなってきたんですね。
 ところが、おじいさんがなにをしてきた人なのかと
 その大学生たちに聞いても、知らない、と言う。
 おばあさんのことも、みんな知らない。
 極端な人では名前も言えないという学生もいます。
 だから、なにかを教わったということもない。
 つまり、祖父母と孫との関係が
 非常に希薄になっているわけなんですね。
 祖父母と孫というと、
 だいたい年齢差が50年あるんですが、
 伝わっているものがあるかというとないんですね。
 日本の歴史は勉強して知っていても
 数十年前の、生活に根ざしたこと、
 智慧のようなものは伝わっていないんです」



「昔は家業を継ぐような局面で
 そういったさまざまなことは
 自然に伝えられていたんですけれど、
 いまは親がサラリーマンになりましたから、
 祖父母から、親、子へと、
 伝えるべき場面がなくなってきたんです。
 それで断絶が生まれるんですね。」

「子どものときに老人と接する機会を持つことは
 その人の成長に大きく影響します。
 たとえば、老人はどうしても
 身体の自由が利かなくなりますから、
 自然、肉体的精神的に支える場面が増える。
 思いやることと、感謝されるということを、
 老人と住んでいる子どもは
 自然に学ぶことができるんです。」

「また、現代の子どもというのは、
 自分の親や祖父母が亡くなる瞬間というのに
 居合わせることが非常に少なくなってきてるんです。
 人の死の瞬間というのはとても荘厳なもので、
 たいへん印象に残るものなんです。
 いままで生きていたおじいちゃんやおばあちゃんが
 亡くなってしまうというのは
 4歳の子どもは4歳の子どもなりに、
 中学生の子どもは中学生の子どもなりに、
 やはり、なにかしら深い感銘を受けるんです。
 死んでいく姿を見せるということは
 親が最後に果たす役割なのかもしれませんね。
 朽ちていく姿を見せていくというのも
 長老の役割といえばそうなのかもしれません。」


興味深い話を静かに語られたあと、
詫摩先生は「暗い話になっちゃいますかね?」と
苦笑なさいました。先生の話を聞きながら
幾度も深くうなずいていた糸井重里は
それを否定するようにこう言いました。

「ぼくは今回の人選をするときに、
『歳をとってもこんなに元気だ!』っていう人を
 選んだつもりはないんです。
 みなさん、それぞれに、
 ふつうに身体の具合が悪かったりするし、
 なにかの意見を言うにしても
『これが答えだ!』というよりは、
『どっちでもいいんだよ』っていうふうに
 おっしゃる方ばかりなんですね。
 歳をとっても若いやつには負けんぞ、
 っていう人は、政治とか実業の世界に
 たくさんおいでになるんですけど、
 そんなこと言わない人ばっかりなんですね。
 ですから、暗い話を排除して、
 元気がいちばんなんだよって言っちゃったら、
 価値は若い人のほうがあることになっちゃうんで、
 そうじゃない、なにか、いい意味で、
 人間の小ささと大きさを原寸大で理解しているような
 そういう方々のお話を
 みんなに聞いてもらいたいんです。」




人間の小ささと大きさを原寸大で理解する長老たち。
「どっちでもいいんだよ」って軽やかに笑える長老たち。
そういう人たちが5人で集まって、
たった一度、私たちにその智慧の実を分けてくれる。
それが、9月13日のイベントです。

チケット販売の詳細が決まりましたのでお知らせします。
興味がおありの方は、ぜひ会場にお越しください。
長時間のイベントではございますが、
きっと有意義な時間になると確信しております。

2003-08-01-FRI

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