YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson725 皮相が本質を駆逐する

「現場の人間がちゃんと考え判断しつくりあげたものを、
 上の人の皮相なチェックが駆逐する」、
そんな構造がある。

ある夜、とんでもない赤入れをされた原稿が返ってきた。

「間違っている‥‥」

もともと正しい日本語の文章に、
わざわざ間違った赤入れがされていた。

それも世に出るのを待つばかりのタイミングで。

原稿内容のつめは、とうに終わっていた。
担当編集者さんから赤入れがきて、
それにこたえて私が修正し、
あとは読者に届くのを楽しみにするばかりだった。

「上司からの赤入れだな‥‥」

すぐピン! ときた。
編集者さんは上司が‥‥とは一言も書いていなかった。
でも、わかる、
私自身が16年、編集者をしていたからだ。

上司は思いつきで赤を入れやすい。

たくさんの部下の原稿をチェックする上司は、
そんなにいちいち丁寧に読んではいられない。

そこで「浅薄な読解」をしやすくなる。
「気分」と「思いつき」で赤を入れてしまう、
ということが起きやすくなる。

とくにネットの文章は、
読むときの気分で、読むたびに印象が変わり、
入れようと思ったらいくらでも赤を入れられる。

そのような赤が降りてくると、
現場は、右往左往、ふりまわされる。
それにしても、

「私はなぜこんなに消耗してるんだろう?」

まるで車の後ろに括りつけられた缶カンが、
砂利道や高速を引きずり回されたように、
自分が「擦り減ってる」のがよくわかった。

とにかく、
「そのように赤を入れると意味が変わって来てしまう。
 そのフレーズはよくつかい、
 今まで何人もの編集者さんが目にしたが、
 一度も問題にされたことはない。
 厳しい校閲も通って書籍にもおさめられている」
というような返信を送ったが、

その日は眠れなかった。

「カラダは、おもしろい反応をするものだな?」

原稿の直しなら、もっともっと大規模な赤を
入れられたこともある。
編集者さんといい本にするために
ぶつかったこともある。

だけど、それらが「はりあい」というか、
自分がよけい生き生きしているのはなぜだろう?

それに比べれば今回の件は
あまりにもちっちゃい、しかも後日、
わかってもらえたことだ。
にもかかわらず、
自分はなぜこんなに焦り、消耗し、脱力しているのか、
と考えて出てきたのが、

「皮相が真価を駆逐する」

という言葉だった。

「本気」が「いいかげん」に駆逐される。

現場の人がちゃんと考え判断し作ったものが、
時間なくそれゆえ充分検討することできず
その方面に明るくない上の皮相な決断に駆逐されていく。

悪人などどこにもおらず、
仕事のフローと権力構造のなかで「事故」のようにして
駆逐されてしまう本気。

自動車をつくって便利になる一方で
交通事故が起きるように、
組織で分業して仕事の効率をあげていくなかで、
大なり小なり避けられない
だれしもがその憂き目にあうかもしれず、
自分が引き起こすかもしれない「事故」
なのかもしれない。

自分の努力とか能力とか創意工夫とかとは
まったく関係ないところで、事故のようにして、
コツコツ積み上げた本質が駆逐されてしまうことが、

私は、いちばん消耗ポイントなんだと気がついた。

最近、いっしょに仕事を始めた方が、
ライフワークで戯曲の読解をされているせいか、
私の仕事への理解や、ものごとの価値を、
適確な言葉にして伝えてくれる。

とくに教育の質の話では、ここ数年感じたことのない
深い所で通じ合えた瞬間があった。

そういうとき、自分が生き生きしているのを感じる。

ダメ出しをされることがあっても、議論がたえなくても、
たとえぶつかったり、叩かれたりすることがあっても、

私が、「ここで、この人たちと働いていたい」
と思うのは、

本質がきちんと検討され、高められていくところだ。

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2015-03-18-WED
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