YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson718 弱さのハラスメント
       −2.さらに読者メール



弱さの暴威に、
まわりの者がすくみ、ふりまわされ、従うしかない、
「弱さのハラスメント」、
さらに、おたよりをたくさんいただいています。

単なる糾弾にとどまらない読者の自立した思考が
いいなあ!


<自分の弱さをどうするか?>

私の母は、
いつもひとつしかない被害者の椅子に座り続け
周囲に怒りを撒き散らす人でした。

どんなに善意で接しても、
どんなに周囲も疲れ悲しんでいる時でも、
思い通りにならないことは自分への攻撃と受け取り、
いつも一番疲れていて一番辛いのは私!
という設定から抜け出せない人でした。

人は弱いです。
強く賢くなんてなれません。

「自分の弱さを邪魔者扱いせずにじっと見て許す。」

それだけが弱さをごまかすために人を利用せずに済む
方法じゃないでしょうか。

弱ってて、心が狭くなって、しょうもない事が許せない
ちっさい自分、
そのわりにプライドだけは高くて、せこい事を気にして、
素直に助けて、休ませて、手伝って、
と言えない自分、
傷付くのが怖くて言わずにいるくせに、
察して動いてくれない相手に腹を立てる
身勝手な自分、を、

どう扱うか?

ほんとはそこだけが自分で決められることなんですよね。

人がどう動いてくれるかは、
自分には決められない事です。
どんなに善い行いでも強要などされたくないのが
人間です。

怪我をしたらひっそり身を潜めて一人癒すのか、
傷をさらけだして助けを求めるのか、

まずは自分の傷をよく見て自分で判断する、

それが動物としての強さというか、品というか、
自分の命に対して責任を持つことじゃないかな、
と思います。
(A.U)


<日本古来の警鐘>

「暴力的な弱さが支配する」
「弱さのハラスメント」読みました。
日本人も昔から弱さの暴力について、
妖怪「こ泣きじじい」という形で警戒していたと
考えます。
(ichiko)


<共感できない涙>

産婦人科医師をしています。

「暴力的な弱さ」は、
医療の現場でよくみられることです。

例えば、入院が客観的に必要であるために入院
とした患者さんが
翌日に

「納得できない!」と泣き出す。
「昨日のあの一言に傷つけられた」ですとか。。

すると看護師がその涙の理由を事細かに聞き出して、
全てがカルテに書き出される。
事態を収拾するために、
家族を含めた長時間の面談がセッティングされ
最後は、こちらが謝罪することになります。

こちらの本音は
「胎児を守るために必要なことを
 しただけなのですが。。」
というものです。

医師として、こういう言い方をするのは
勇気がいることですが

決して共感できない涙を沢山みてきたし、
決して納得できない涙の理由を沢山聞いてきました。

その中で、
暴力的な弱さ、はどうした要因で起きるのか?
ということを考えざるを得ませんでした。

私の結論は、
その人がとても母性的に育てられた結果ではないか
ということです。

母性とは、あるがままを受け入れる母の心です。

一方、父性とは、
「駄目なものは駄目」と、
規範を与えるものであり、強制力があります。
「ニンジンが嫌いだ」と泣く子供に、
「食べ物を残してはいけません」と言いきる力です。

母性−父性のバランスが、
社会全体で母性寄りに崩れてはいないだろうか。
ちょっとしたことで泣き崩れて
クレームが止まらなくなる人があまりに多いのをみていて
私はそのように考えています。
(T)


<前向きな選択ができるしくみ>

「弱さのハラスメント」、
自分も振りかざしているかもしれないと、
ぞっとしながら読んでいます。

「弱さのハラスメント」に従わざるを得ない状況は、
個人の力ではどうにもしがたいものなのだろうと
思います。

だから「ハラスメント」というのでしょうし、
パワハラへの対策が企業などで組織的に行われるのは、
そういう理由からだと思います。

それならば、「弱さのハラスメント」に対しても、
それを振りかざす人を批判することで終わってしまうのではなく、

その人と周囲をどうにかよい関係にできるように、
何らかのしくみが必要なのかもしれない、

と思いました。

「ハラスメントする側が悪いのであって、
ハラスメントを受ける人は悪くない」というのが
鉄則なのかもしれません。
でももし、「弱さのハラスメント」をふりかざす人が
自分の大切な人であるならば、
その状況に気付いたハラスメントの受け手側が、
何らかの行動を起こすしかないようにも思えるのです。

医師や自助グループなど、
しくみとしてそのような人を支える環境が
整ってはじめて、
その人の家族が踏ん張り、
本人が頑張れるのだと思います。

「弱さのハラスメント」についても、
責めたり嘆いたりするところで止まらずに、
社会のしくみとして、それを支え、
当人たちが前向きな生き方を選択できるように
なっていけばいいのになあ、と思いました。
(金時豆子)


<弱さを振りかざした数年間>

「弱さのハラスメント」のコラムは
まさに自分のことのようで、
目を背けたくなりました。

「弱さ」は私の中でいつも
ウロウロと出番を待っています。
それを振りかざしていた時、数年ありました。
何をやっても思うように進まず、
仕事も恋愛もうまく進みませんでした。

進まないのではなく、進めようとしなかっただけ。

そのことに気付き、
「自分は逃げている」という言葉がふいに浮かんだ時、
自分の中にあいている穴の存在は、
気にならなくなりました。

自分自身の声。現実と向き合うこと。
「弱さ」の武器をもった時に止めた、「表現」すること。
もう一度、始めたところです。
これがあれば「弱さ」とも
つきあっていけるような気がしています。
(恵)


<弱っても、それでも>

いたわられたい、私を中心にしてほしい、
注目してほしい、
かわいそうと言ってほしい‥‥と、
悲劇のヒロインになって自分語りをしないように
しています。

何とかして笑いに変える遠近感と、気分転換が
結構有効だと思っています。

自分をネタに笑える程度の心の健全さと自立心は、
持ちつづけたいと思っています。
(ひとそれぞれ)


<弱さと強さを併せ持つ>

弱いだけの人、強いだけの人はいないから、
どちらも行ったり来たりするんだなあ
と思いました。

自分が自分の弱さに支配されていることに気づけたら、
つらくても、ちょっと楽になれそうですね。
(編集者S)


<本人の問題になっていない>

「弱さ」を、時に「武器」に、時に「言い訳」に
利用されている感覚は確かにあります。

先日、自分のチームのあるメンバーから、
彼の仕事が納期通りに出来ず、
納期を延ばしたいという相談がありました。
これ、実は同じ案件についての何度目かの相談。

彼の納期を伸ばすという判断が、
本人自身の問題になっていないような感覚がある。

自分が出来ない理由は、
この仕事の勉強も経験も足りないからという
比較的安易な答えに落ち着き、
その出来ないという「弱さ」に本人自身が向き合い、
それを超えていこうという小さな意志が見えないんです。

「弱さ」を受け入れているというより、
「弱さ」に向き合っていない。

その向き合っていない「弱さ」を、
突然こちらに投げつけられている感じです。

ズーニーさんがいうように、
「言葉を取り戻す」ということが必要であると
感じています。

正直いえば、
自分も彼の「弱さ」を放置しておいていたのかも
知れない。
僕自身も言葉を使って、
彼の「弱さ」に対峙しないといけないと、
今考えています。
(誠)



自分の中の妖怪「子泣き」とどうかかわるか?

Ichikoさんのメールを読んで
想いました。

Sさんが言うように、
強いだけの人も、弱いだけの人もいません。

強いと思っていた人が、
「自分は弱ハラの被害者だ可哀想」と
思ったとたんに立場が逆転し、
今度は自分がまわりに負の威圧をしだす、
ということも起きかねません。

あらためて自分の弱さを想います。

私はちいさな病気でもギャーギャー言います。
お医者さんのメールに出てくる人は
まるで自分のことのよう。

ぜったい私は、そういう場面で、
泣いたり、あたりちらしたり、責めたり、
弱さの暴力全開でふりまわす人間です。

そんな弱い自分が、ではどうしたら?

というときに、
子泣き(=妖怪こなきじじい)が出てきます。

自分の中に妖怪「子泣き」がいます。

子泣きは、
「子ども+泣く」という弱さの武器としては最強の2つを
ふりまわし、自分に負の威圧をしかけてきます。

屈して、抱っこしてしまうと、

急にずしりと重くなり、
身動きがとれなくなってしまいます。
石にされるかもしれません。

だから、抱っこしない。

びびらない。

A.Uさんの言うように、
自分の中の「子泣き」を、じっと見て許す
ことができたらなあ。

そして、「さいごまで自分で判断するんだ!」
と放棄しないでいたい。

その意味で、きょうは最後に、
とても共感するこのおたよりを紹介します!


<弱さと若さを言い訳にしない>

僕は、自分が弱さや若さを盾にしていると思いました。

あらゆるミスを繰り返してしまう自分、
そんな自分は駄目なんだと自信をなくし、
何の根拠もなく、

「次は気をつけます、頑張ります」。

一見、前を向いているかの様な発言ですが、
その発言の裏には
自分の駄目さを肯定するような気持ちも。

これは暴力的な弱さを振りまいてしまっているんだと、
感じます。

あまりに短絡的な自分が
周りに与える影響は計り知れません。
いや、でも計れるようにならないと
僕に未来はないと思います。

弱さを若さを言い訳にしない。

分からないと結論付けない。

ウソをつかない。

今の僕に思いつく解決策はこれくらいですが、
未来を自分で作っていきたい。
(M.F)

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2015-01-21-WED
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