YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson713
 自分で社会に居場所つくる
  −6.折れた支柱



人間に背骨が一本通っている。

もしそれが、
ブヨブヨと形が定まらなかったら?
ボキッ! と折れてしまったら?

歩くどころか、立つことさえツライだろう。

アイデンティティとは、
その人の「存在」を成り立たせている「支柱」、
私は過去の経験から、
そんなイメージを持つようになった。

人によって支柱はちがう。

「母である自分。
 自分がいなくなったら、幼いこの子は生きていけない」
という支柱で立っている女性もいる。

「職人である自分。
 腕には自信がある」
という支柱をコツコツと確立した男性もいる。

思春期をすぎ、
「周りの友だちが
 次々と何者かのカタチになっていくのに、
 自分はいつまでも支柱が固まらない」
と焦っている若者もいる。

思春期のグラグラもつらいけど、

10年、20年、30年‥‥と長い年月をかけてコツコツと
築いた支柱を、

定年退職や子どもの自立で、
あるいはリストラや災害や不測の事態で、
当然、失くしてしまうのもつらい。

折れた支柱。

次のようなお母さん・お父さんの姿には、
共感する人も多いのではないか?


<確執あった母を少し受け入れられるように>

ここ数年ほど、私は母親とよく喧嘩をしていました。

理由は些細なことです。
私や妹が何の気なしに言った言葉を母親が気にして、
「私をばかにした」とヒステリーを起こすのです。

私や妹はお手上げ状態で、ヒステリーが静まるまで
待つしかありませんでした。
きっと更年期障害だろう、
どうしようもないと思っていました。
どうにもならない鬱々とした気分をぶつけてくる母親が
嫌でした。

そんな折、「おとなの小論文教室。」で、
「定年退職をした家のお父さんが一時的な居場所として
 ドラマの再放送を見ている」という文章を読みました。

母のことが浮かびました。

母はスマホのゲームをひまさえあればしているのです。
ここ1年ほどずっとです。

時間を無駄にしたくない私には、
それもすごく腹立たしいことでした。
そんなことをしている暇があるなら、
もっと人生を楽しくするような趣味を見つけたり、
何かすればいいのにと思っていました。
そういった母と自分の姿が、
定年退職をしてテレビを見ているお父さんと
それを愉快に思えない家族、に重なったのでした。

居場所、

といいますと、私には席があります。
大学の研究室には自分の席があるし、
アルバイト先にもあります。

そして私はこのような席を
今まで失ったことはありません。

ですが母は、今確固とした席が家の外にはありません。

決まった職にはついていませんし、
探すのも大変なようです。

もしかしたら、
家の中にも居場所はないのかもしれません。

思えば母の居場所探しは、
妹が大学に進学した今年の春ごろから始まりました。

ゲームに没頭したり、
気の合わない人とごはんに行って文句をいうのに
それから離れられなかったり、
資格講座に通ってみたりしていました。

わたしには居場所をなくすといった経験がないので、
母の辛さはわかりませんが、

「おとなの小論文教室。」を読み、
存在が傷つくというのは
想像するのも怖いことだと思いました。

ですので私は、
せめてそんな母を受け入れようと思いました。

今までは無言で母を責めていたと思いますがやめました。

私は、人生を一刻も無駄にしたくなく、
ゲームで時間をつぶすことが嫌で
それを母親にも押し付けようとしていたけれど、
この連載を読んで、
みんないろんな事情があるのかなと思いました。
そして無駄だと思える時間もすごく大切なのかなと
思いました。

最近、母はヒステリーをおこしません。

私の心のありようの変化が、
この変化につながってつながっているのかは
わかりませんが、
これからも母親と妹と仲良く暮らしていきたいです。
(22歳 アヤコ)


<父が不在中の、父の庭>

先週のコラムに
「アイデンティティの悩みは、
 肉体が傷ついているのではない、心でもなく、
 でも、傷ついているのは“存在”だ。」
とありました。

80歳を超える父親が、
人生初めて長期の入院となっています。

一ヶ月以上前、
自覚症状もないまま、検査で
大きな手術が必要と言われ、即入院。

ただ手術を待つある日、父が、

「体の痛みがないのに、
 病院に閉じ込めらた状態が続くと、
 押しつぶされそうになる。
 ずっとそうだった。」

と言うんです。
父は何十年もの間、家で手仕事を続けてきた。

10年ぐらい前に仕事をやめ、
ずっとただ家にいて、テレビを観る毎日。

時々会っても、何か新しい場所を見つけたり、
何か新しく始めたりする様子もなく、
何かを薦めてみても、関心が湧く様子でもなく、
そんな日々がずっと続く。

そして入院。

急にこの「押しつぶされそうになる‥‥」という
言葉が投げかけられました。

僕は、
父親が、入院する前、もう達観したか、割り切ったか、
そんな感じで日々を過ごし、
それはそれで、小さな充実感を
何とか掴んでいるのだろうと、
自分勝手に解釈していました。
でも、入院を機会に、

父親が自身の「存在」について語るんです。

自分の「居場所」について語るんです。

僕は「存在」を建て直すための「何か」を
与えることが出来ず、
どうしたら良いのか、よくわからない。

先日、
僕は入院中で誰もいない実家に帰ってみました。

家の前にある小さな庭が、
前に来たときと比べて、綺麗に草刈りされている。

次また実家によってみれば、さらに綺麗になっている。

きっとこの行為は、この場所に同じ時代に居を構え、
共に生きてきた近所の人です。
父親にこの事を伝えました。

「存在」はただ消えてしまうわけではない。

長い時間で構築された自分の「存在」が、
自分が別の居場所を探し続けている中でさえも、

誰かの中に残り続け、
きっと「存在」し続けているんです。
(誠)



尊重が生まれた。

と、読者アヤコさんのメールに思った。
お母さまが落ち着きを取り戻されたのは、
アヤコさんの中に、お母さまという

「存在への尊重」

が生まれたからではないかと思う。

私の母は、
私の姉が大学に通うために巣立ち、
つづいて私が大学に通うために巣立ってから、
心臓を患い入院するようになった。

あのとき、私が母に接する態度で足りなかったのは
これだったんだなと気がついた。

当時は、母のアイデンティティの問題などとは、
逆立ちしてもわかることができず、

ただ単に「娘が育った寂しさ」の問題として、
ただ単に「心臓病をどう治させるか」の問題としてしか
とらえることができなかった。

母は「子育て」という支柱を失いツラかったろうなと
いまはわかる。

支柱を失って、自分の存在がぐらぐらしているとき、
まわりの自分に対する反応を通して、
自分という存在を確認する。

その反応が「尊重」だったら、
心が落ち着くだろうと思う。

私自身の、
支柱が折れた日から、
再生した日までを振り返ったとき、
たしかに自分史上、最も追いつめられた日々だったが、

不思議に嫌な日々でも、ましてや悪い日々でもなかった。

大手企業の編集者として確固たる支柱があったときには、
でも、どうしても未来が先細る感覚が否めなかった。
恵まれた過去、その延長線にある今、
そのまた延長線の未来が、竹の穂先のように先細る。

しかし、編集者として16年築いた支柱が折れ、
グラグラした期間、
未来がどうなるかわからないという面白さがあった。

自分史上最も友だちができたのも、

自分史上最も潜在力が芽吹いたのも。

そして、たしかに私自身が支柱を失いツラいときも、
私が編集者としてした仕事は、
読者の中にかけらとして生きており、
私の中にも、編集者のとき身につけた経験や能力は
生きていて、

存在は消えてなくなってやしなかった。

読者の誠さんの言うとおりだ。

支柱が折れたおかげで、
いままでの延長線上では決してない、
自分でも予想だにしなかった未来と、
過去の自分がつながって、再生することになる。

だから、グラグラも、ボキッ! も、
痛くて辛いけど、
自分の枠組みをこえて進むチャンス
なのだと私は思う。

山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
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2014-12-10-WED
YAMADA
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