YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson699
  いつのまにか質問攻めにしてるとき



あまり話したがらない相手を、
会話に引き込もうと、
ついつい質問口調になり、

気づいたら質問攻めに。相手は引いてる。

なんてことはないだろうか?

過日、
飲み会にかけつけた私は、
席に着くやいなや居心地悪さを感じた。

ビールを注文して待つ短い時間にもう、
いたたまれなくなってきた。

「なぜこんなに居づらいんだろう?」

その場にいた1人が私に、
難しい質問ばかりするのだ。

プライバシーに差し障るので、
かりに「尾場さん」と呼び、
設定も変えてお話ししよう。

尾場さんは、
私がかけつけるやいなや、
待ち構えたように「仕事」について聞いてきた。
最近どう? とかではない。

「大学などで教える仕事と、
 もの書きの割合は、何割と何割か?」

聞かれて困ることではなかったが、
いきなり難しい。えーっと、えーっと、
計算したことなかったし、時期によっても違うし‥‥。

私だけではなかった。
若い女の子が遅れてやってくると、
座るやいなや、

「彼氏はできたの?」

みんなの視線が一斉に女の子に集まり、
場にいた全員がシーンと答えに注目する。

中年の男性が遅れてきたときは、
乾杯もそこそこに、

「いまどこの会社の何課にいるんだっけ?
 何の仕事をしているの?」

みんなの前で、固有名詞まで問いただす。

不況の昨今、
もしも、この男性がリストラされてたり、
意に添わぬ人事異動などで落ちこんでたら、
どうするんだろう。

そんな調子で尾場さんは、
ほかの誰よりも、私に食いついて、
難しい、立ち入った質問を次から次へと
途切れないようにし続けた。

「この人はなぜ、私に難しい質問ばかりするのだろう?」

私は、気がやすまらない。

それまで「問い」にはいいイメージがあった。
学問も仕事も、良い問いからはじまる。
プライベートの会話だって、
気の利いた「問い」が不可欠と思ってた。

「でも、なぜ、きょうは質問が苦痛なんだろう?」

ああ! と、わかったのは、
その日は、直前まで原稿を書いていた。

一日、理詰めで難しいことをずーっと考え続けて、
頭がクタクタに疲れたから、

飲み会に行って、
考えることとか、リクツとか
天高くパアーッと放り出して、

頭も心も、くつろいで楽しみたい!

と思ってきたのだ。
そこへ、難しい・真面目くさった・問いの連続。

「問い」には、考えさせる作用がある。
良くも、悪くも。

悪い方に作用すると、
立ち入ったことを聞いてしまったり、
詮索好きと受け取られてしまったり、
考えることを強要して
相手を疲れさせてしまうことがある。

気がつくと、
こっちからだけ一方的に質問攻めにしているとき、

相手はずーっと「考える」という
緊張状態に置かれ続けることになる。

相手がのってこないとき、
「問い」を変えるということも必要だけど、

相手の関心ある問いにピタリとはまるかどうかは
むずかしい。

そういうときは、
「こっちが問い → あっちが答える」という
一方的な会話の構造そのものを見直してみるのも
いいかもしれない。

そんなことを思っていた矢先、

「母親の質問攻めに疲弊してる」
という社会人女性に会った。

高齢のお母さまが、
家に帰ると、必ず、

「きょうは、いままで何をしていたの?
 どこに行ってたの?
 その店はどこにあるの?
 だれと行ってたの?
 その人はどんな人なの?」

という調子で、一日の行動を細かく聞いてくるそうだ。

老いてもなお、
娘を管理する母親を
うるさいと思っていた女性は、

私のワークショップに来て、
お母さまへのメッセージを考えていたときに、
こう気がついた。

「母は私を管理しようとしていたのではない

 年老いてもなお、母は、
 親であろうとしているのだ。

 けれども母は、
 体もいうことをきかなくなって、
 娘の私に、親らしいことをしてやろうにも、
 できなくなってきた。

 あれこれ細かく質問することは、
 母にとって、唯一できる親らしいこと、

 つまり、
 母は私を守ろうとしていたのだ。」

聞いていて私は目頭が熱くなった。

私自身の母親や、
親戚のおばちゃんたちが、
私に会うなり、あれこれ質問してきたことを思い出した。
うるさく感じたときもあったけど、
その心根には、つねに温かいものがあった。

今年の盆、

甥っ子が、奥さんを連れて
実家にやってきた。

甥っ子は、私にそっくりの顔をしている。
秋には子どもが生まれるそうで、
予定日は、なんと偶然にも私の誕生日だ。

甥っ子と奥さんを前にして、
ついつい質問したくなっている自分に気づき、
自嘲した。

いかん、いかん、
体調のこととか、食べ物とか、胎教とか、
奥さんは、このあとも、あちこち親戚をまわって
質問攻めにされるだろう。疲れるだろう。

「私はなぜ、若夫婦を質問攻めにしようとしてるのか?」

と考えたら、
別に何を聞きたいわけじゃない。

ただ、会えて嬉しい。
なんでもいいから話がしたい、

それだけなのだ。

若夫婦にとっては、実家は、
私みたいなおばさんやおっさんや、
おじいさんやおばあさんばかりで、
たいして話したいこともないから、
黙ってテレビを見てる。

でもおばちゃんである私は、甥っ子夫婦がかわいくて
なんでもいいから話がしたくて質問している、
と気がついて、

はっ、とした。

あの飲み会で、
尾場さんも、「嬉しかった」、だけではないか。

久々に仲間に逢えて、
嬉しい、なんでもいいから話したい、
会話の糸口をつかみたい、
浮かない顔をしている私を、なんとかして
会話にのってこさせたい、

そんな気持ちで、一生懸命、
質問を考えて、
次から次へと繰り出し続け、
場を盛り立ててくださったのではないか。

そう考えると、
あの日、窮屈に感じた質問攻めが、
すこしほっこり温かいものに変わってきた。

問いには、考えさせる作用がある。

だから私たちは、質問されると、
しんどいことがある。

でも表面的な問いに、
うまく答えられなくても、

相手の心根にある「会えて嬉しい」という想い、

その想いには、応えられる!
と私は思う。

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2014-09-10-WED
YAMADA
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