YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson689
 「人見知り」をのりこえる
    ―4.心をひらかせるもの


「がんばって他人に対して
 心をひらこう」というのではなく、

「気づくと、自然に、ひらいていた」

そんな瞬間はないだろうか。

人の心をひらかせるものって
なんだろう?

意外なきっかけで
ひらくモードになれた読者メールを
見てみよう。


<犬のKちゃんが教えてくれたこと>

Lesson687 「人見知り」をのりこえる、
ぽろぽろ泣いてしまいました。

白井哲夫さんのメールで、

>「敵じゃない」ということを、
>知るということ。
>これも「ひらく」ことですよね。

という記述がありました。

「知る」って、
「ひらく」。
一方向でなく、双方向のやりとり
かもしれませんね。

振り返ると、私は、
「敵じゃない」という表現が多いです。

受けとる立場からすると、
「ここから、近寄ってこないでね! お願いね!!」
というアラームに、身構えてしまいますよね。

ふと、数日前の雨が降る夜の出来事を思い出しました。

バスが来るまで、
屋根のあるところに立っていた私の前を

コギー犬さんと飼い主さんが横切っていく、
かと思えば、

コギー犬さんが、
少しずつ、しずしずと、足元にやってきました。

!!!

「あれ犬に好かれるタイプではないのだけどな」、
「近寄ってくるの!?」
的なテロップが頭の中を横切ります。

その間に、コギー犬さんが足に接近
(私が動いてなかったから)。
そして、接触。
(コギー犬さん、こっちを見る)

!!!!!

私「こんばんは〜」(なでなで)「お名前は?」
飼い主さん「Kちゃんです」
私「Kちゃんですかぁ〜、こんばんはKちゃん〜」

!!!!!

Kちゃんは、
機嫌良くしっぽを振っていた訳でもなく、
営業スマイル級の目の輝きを見せた訳でもありません。

きっと、粛々とKちゃんらしく
振る舞っていたのですよね。

「ひらく」モードのKちゃんが、ほんのちょっと、
「ひらく」私に出会わせてくれたのかもしれません。

少しの勇気を出して、見つめて、対峙して、

明日、ほんのちょっと、
「ひらく」勇気を出してみます。
(akanet)



犬のKちゃんが、
人間に媚びるでもなく、
拒絶するでもなく、
ただ自然にふるまっていたことが、
akanetさんをひらかせた。

わかるなあ!

この話を聞いて、私が思い出すのは、
コミュニケーションの実習で、
ある大学を訪れたときのことだ。

実習を始めてしばらくして、

ほとんど人とコミュニケーションをとることができない
学生がいることに気がついた。

かりに「なでしこさん」と呼ぼう。

テーマについて、
学生どうしがペアになり、
私が用意した20〜30個の問いに沿って、
インタビューしあい、
考えを引き出す場面だった。

なでしこさんは、
ペアを組んだ学生と、ほとんど話ができない。
顔を合わせるのもつらい様子だった。

「何か、お役に立てることはありますか?」

私のほうから近づいて声をかけると、
それでも、なでしこさんも、ペアの学生も、
実習をやるという意志を示した。

私は、見守る、と決めたものの、
コミュニケーションがままならない状態で、
どうワークをやっていくのか、
自分のことのようにドキドキした。

しかし、なでしこさんとペアの学生は、
みごとにのりきった。

インタビュー形式のワークでは、

なでしこさんが質問をする役のときは、

質問状に添って、
1問、2問‥‥質問しようと試みたものの、
つらくなって、なでしこさん、
質問が続行できなくなった。

すると、ペアの学生が、
質問状を机に置いてもらい、
質問を自分で目で読んで、
それについて答えを声に出して、
なでしこさんに話す、ようにした。

なでしこさんは、
逃げないで、さいごまで、ペアの学生の答えを
じっと聞いた。

こんどは、なでしこさんが、
答える側にまわったとき、

ペアの学生から、
面と向かって質問されるのも、
つらい様子だった。

それで、なでしこさんは、
ペアの学生から、質問状を渡してもらって、
自分の目で質問を読み、
自分の心でそれに答える、というカタチで、
さいごまでやりきった。

ペアの学生は、その間、
あわてず、さわがず、
講師やアシスタントに助けを求めるでもなく、
じっとレポートを書きながら、
そっとなでしこさんの隣にいた。

そのあと、グループ発表する段になって、

「何か、お役に立てることはありますか?」

と再び私は、なでしこさんに声をかけた。
ここまでで、なでしこさんがテーマについて充分、
考えたのが伝わってきたから、
グループ発表は、ツラいようなら
見学してもかまわないと。

しかし、なでしこさんは、自分から参加すると言った。

自分で、6人チームの輪の中に入っていき、
発表こそしなかったものの、
チームの学生の発表を聞くというカタチで、
りっぱに授業をやりとげた。

なでしこさんも素敵だし、
ペアやチームの学生も素敵だった。

私はあらためて、
いまの学生のコミュニケーション力に敬服した。

私の時代は、幼いころから
大人数で遊ぶという習慣があったし、
その分、大人数や初対面とのコミュニケーションに、
こなれていたと思う。
だから、コミュニケーションがとりづらい人に
出くわしたとき、
私が学生の時だったら、
強力に輪の中に引き入れようとしたと思う。

「どうしたの?」とわけを聞いたり、
積極的に話しかけたり、話させようとしたり。

しかし、強力に招き入れようとすればするほど、
相手は、その要求に応えられなかったとき、
いたたまれなくなる。

でも、あのときの学生たちの距離感は見事で、

強力に招き入れようとするわけでもなく、
かといって、無視するでもなく、

各自が自然にふるまいながら、
なでしこさんが自然にいられる場所をつくった。

チームに入っていったときに、

もしも、他の学生たちが、
一斉になでしこさんを凝視したり、
声をかけたりしたら、
なでしこさんは居づらくなったかもしれない。
かといって、
シカトされたり疎外されては、もっとつらいだろう。

でも、学生たちはどちらでもなかった。

身体感覚として、
自分の体の半分をなでしこさんに対してひらいておき、
体のもう半分は、何事もない様子をしていた

そこに優しさを感じた。

両手をひろげて、ふところに招き入れるのではなく、

背中を向けているけど、
お尻のポケットひとつぶん、ひらいておき、
そこにひとつぶん、人を招き入れる「のりしろ」を
出している。

犬のKちゃんがつくってくれたような
自然な距離感。

人見知りを超える側も、招き入れる側も、
この距離感は参考になるのではないだろうか。

最後に、一歩踏み出そうとしている読者の声を
紹介して今日は終わろう!


<ここが私の踏ん張りどころ>

「人見知りをのりこえる」シリーズ、
いちいち身につまされて読んでいます。

7年前、結婚を機に主人の実家があるK市に来ました。

田舎も田舎、
県内の他地域の人でもあまり来ることがない土地柄です。
県外から嫁いできた私には封建的だ、
と感じることが多々ありました。

長男が入園した三年前、
本格的にK市での社会生活にデビューしましたが、
私は人見知りガードを最大値で発動し、
ほとんど誰とも打ち解けないまま二年間を過ごしました。

ほかのママ達はほとんどみんな地元か
その周辺地区の出身者で、
私のような新参者は彼女たちにとっては
あまり仲良くなる価値のない人間だと
思い込んでいました。
実際、話しかけられることも
連絡先を聞かれることも
数えるほどしかありませんでした。

そこへ舞い込んだ主人の転勤。

転勤族が多く、かつ情が深い人柄で知られる
J市でした。

そこで知り合ったママたちが
ぐいぐい仲良くなろうと私の元へ来てくれることに
本当に驚きました。

すぐに話しかけてくれ、
旧知の友人のように自宅に招いてくれ、
困っていれば子どもを預かるよって言ってくれたり‥‥
再度の転勤でそこを去るときには、
何人もの友達が涙してくれ、
感動的な手紙やメッセージを寄せてくれました。

その時私は叩き込まれるように教えてもらったのです。

私は仲良くなる価値のない人間などではないのだ、と。

この三月にJ市を離れ、再びK市で暮らしています。

この四月に長男は小学校に、
次男は幼稚園に入ったところで、
二重の新しい人間関係に囲まれていますが、

怖くはありません。

勇気は要ります。

人見知りガードを発動せず、自分自身を開いて、
笑顔で相手に向かい、
相手が思うような対応をしてくれなかったとしても

それは私自身に価値がないからではないと、
自分は受け入れてもらえるのだと
信じる勇気。
そして、何度でもたくさんの人に話しかけていく根気。

少しずつですが、根を張り始められているような
気がします。

長男の幼稚園で一緒だった苦手としていたママとも、
心を開いて受け入れられると信じて話しかけてみると、
何が苦手だったのかよくわからないくらい
話しやすい人だったり。

次男の幼稚園でも、
よくよく観察してみるとみんなも私と同じように
不安で、でもみんなと仲良くなりたいなって
思っている事がわかり、
わかった上で話しかけてみると、
案外簡単に仲良くなれたり。

私はおびえていたのですね。

なぜなら、私はこの土地に
根をおろさなければならないから。
文字通りここが大切な「居場所」だから。

恐いは大切、

の回を読んではっきりとわかりました。

逆に言うとJ市では、
転勤で期限付きでしか住まないということが
わかっていたので、私自身「失うものがない」という
身軽さを人付き合いに反映させていたのだと思います。

そして、この封建的な土地柄も、
恐さ故なのだとわかりました。

みんな、長く続いてきた慣れ親しんだ土地での暮らしを
揺るがされるのは恐怖なんですよね。

「踏ん張りどころ」で、
抜くべき力、乗り越えるべき恐怖が
はっきり見えてきているので
今のところ人見知りはのりこえられそうです。
(Sabine)


<それでも外に触れる喜び>

私は、外(世界、人)が怖い。
それで、私は今、怖くて動けなくなっています。

自分とつながる感覚はここ何年かでわかってきたけれど、
外に働きかけようとすると、
とにかく強烈に辛い。

つながれない、無理。っていうか嫌だ!!
‥‥と、ものすごい抵抗が出てきます。

でも私は、経験上知っているのです。

外に触れ、そこで生まれたものが
想像以上の喜びをもたらすことを。

決して自己完結で終わりにしたくないし、
それがきっと、私が本当に欲しいものなんだ、って。

あとはもう、勇気だけなんだと。
ビビりながら今、そう思っています。
(ぽん)


<私も顔をあわせるほど人見知りです>

読者のHさんが言っていたように、
どうして何度も顔を合わせる相手に対して
「人見知り」状態になってしまうのか?

ファーストコンタクトの時に、
「自分を受け入れられたい、好印象を持ってもらいたい」
というのは、きっと誰しもが思うことです。悪いことじゃないです。

でも、Hさんがそれを続けられなかったのは、
自分自身に嘘をつき続けることができない、
正直な人だからじゃないでしょうか。

私にも経験があります。

初対面の時ほどめちゃくちゃよく喋ります 。
自虐ネタや失敗談、ウケたら成功! なんて思いながら。

でも、私も続きません。

明るさをグラフにすると
綺麗な下降線になっているでしょう。
元来饒舌なタイプじゃないし、インドアで根暗です。
沈黙が怖いんです。

Hさんも
「きっと相手もそう思っていると考えると、
 余計恐ろしくなります。」と書かれていたように、
見えもしない、相手の気持を想像して
怖くなってしまいます。
黙ってるってことはつまらないんじゃないか?
楽しくないんじゃないかって。

そんな人って、実はたくさんいるのかもしれないって
Hさんの文章を見て知ったんです。

自分に無理のないモチベーションで
スタートを切るのが良いのかもしれませんね。

Hさんが、私と出会ってくれたら、
最初どんなに陽気で、
次に会ったら別人のように口数が少なくても
「わかるわかる、あるよね〜」って言えるのに。

発信してたら、私みたいな人を
キャッチできるかもしれませんね。
(蘇鉄)


<新入社員です>

先週の、恐いが大切。
私にもつながるところがあります。

私はまだ入って3ヶ月の新入社員です。

やりたい仕事につけて、行きたい会社に行けて
本当によかったという気持ちもあります。
私は専門的な仕事につきたいという思いが強く、
専門的なことを学べる環境にいれることを
ありがたくも思います。

でも最近とても恐いんです。

これから「その専門性」が
自分のアイデンティティになっていく
と感じているからだと思います。

大切なんです。だから恐い。

どんどん専門的になっていく知識、
いつかそれを責任を持ってどこかに表現し、
なにかから評価をうけること。今からとても恐いんです。

恐さで作業も創造力も低下する一方で、
先輩の言葉が理解できないことが多くなりました。
まだ新入社員で甘えられる環境なのに、
表現することから逃げ始めてしまいました。

1人のお家に帰る帰り道、
なにかにすがりたくてしょうがなくなっても、
すがるものもなくて涙が止まらなくなったとき、
「人見知り」シリーズを読んで
同じ事を考えている人がいて、うれしかったです。

なんとかこの恐さ、私も越えられたらいいです。
(M)

山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「山田ズーニーさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2014-06-25-WED
YAMADA
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