YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson665
   意志が産まれるとき−3考えるに時あり


10日前、
岩手県で、
高校2年生238名とワークショップをした。

ラスト、

代表40名が、
「将来やりたい仕事」についてその日書き上げた文章を
一気に連続して読み上げたあと、

純粋な歓びに満たされていた。

「なんだろう?
 この一点の曇りもない喜ばしい感じは?」

その直前まで、
就活シーズン突入だったので、
あちこちで大学3年生に、
進路表現の「書く」サポートをしていた。

同じ「将来やりたい仕事」というテーマで、
文章を読み上げても、
就活生40名と、高2生40名とでは、
決定的に「何か」が違う。

大学3年生の表現には、
先々週来ここで伝えてきているように、
すごく喜ばしいんだけど、かすかな切なさが混じる。

意志を持った人間は、
何がしかの決別を迫られる。

現実に、やりたいことを自覚するやいなや、
学部や大学を変わる必要に迫られた学生を
私は数多く見てきた。
それまで自分が歩んできた世界、
仲間、恩師、可能性との決別に、一抹の切なさがある。

しかし、その日、高2生の表現に切なさはなかった。

ただただ喜ばしい。
一点の隈も曇りもなく、腹から喜びが湧きあがってくる。

高2生と大学3年生、なにがちがうのか、
と考えて、いまさらながら。

「残された時間の量の違いだ。」

とわかった。
教育の現場に30年も出ているというのに、
初めてのように思い知らされた。

「選択に時あり。
 それに向けて考えるにも、適した時ある」と。

私は、いつからでも、何歳からでも、
何かを始めるのに遅いことはない、
と思ってきた人間だ。

社会のことは、社会に出て見ないとわからない。

やりたいことは、
社会に出て働きながら探したっていい。

あれこれ考えても、予定調和にはいかない。
むしろ社会は理不尽でさえある。
そして予定不調和だからこそ、面白い。

なにしろ、自分自身が、考えなしに社会に出て、
それでも、どうにかなったものだから、
高校生など、早い時期から
仕事について考えさせることに、
かなり長いこと懐疑的だった。

まだ働いたことが無い人に、
学校という限られた経験の範囲で、
仕事について考えさせるのも無理がある、
と思っていたし、

早くからやりたい仕事を考えさせることで、
高校生が、それにとらわれてしまい、
可能性のふり幅がせまくなってしまわないか、
とも思っていた。

でも、その日、そんなこんなを思い返して、
どんなに打ち消そうとしても、
打ち消しようがなく、

高校2年生が、高校2年生のうちに、
仕事について、
充分考え、充分自分と通じ、ささやかながらも
自分の正直な想いを書き表せたこと、
それを先生や同級生の前で嬉々として読み上げたことは、

どうしても、とても良いことに私は思えた。

「将来の仕事について、
 一度じっくり考えるなら17歳だ。」

そのことのあきらかさに、打たれるような気持ちだった。

早いうちに、高校生に仕事について考えさせて
「医者」なら医者、「教師」なら教師と、
打ち出させることによって、
発想が固定され、可能性の幅が狭まると
私は長いこと考えていた。

理由は、私自身が、田舎で育ったので、
高校生のとき、その時代のその町で、
リアルに思いつく、女性の仕事といったら、
学校の先生と、看護師だったからだ。

ほかにも多種多様の仕事があることを知ったのは、
社会に出て、都市に出てから。
だから、狭い経験の範囲で、
将来の仕事を決めつけちゃいけない
と思ってきた。

けれども、この十年来、
教育現場で思い知らされた事実は逆だ。

早いうちから「考える」ことが
可能性のふり幅を狭めるのではない。
むしろ、「考えない」ことのほうが、
よっぽど可能性を狭める。

何も考えない、何も決めない、それゆえ何も捨てない
その状態で人は、

可能性を「温存」する。

なんでもできるようでいて、
その実、選択や訓練の機会は刻々とすぎていく。

すべての可能性を「温存」した状態では、
自分が見えないから、
先入観、イメージ、親や先生の刷り込みなどが支配する。

逆に仮説でも決めれば、思考は進む。

このコラムで言ってきたように、
「ジュエリーデザイナー」と
いったん打ち出したからこそ、
ちがうこれではない、本当にやりたいことは
「看護師」だ、と気づいた芸術系の学生や、

「養護学校の教員」になると決めて、努力して
教育実習まで行ったからこそ、
ちがうこれではない、本当にやりたいことは
障害者を「導く」教育ではない。
障害者がやりたいことを一緒になってやること
つまり「支援」だ、と気づいて
「教員」から「福祉士」に
コースチェンジした女子学生や、

「スポーツライター」になりたいと
いったん決めてみたからこそ、
ちがうこれではない、本当にやりたいことは
野球やサッカーの試合の様子を
読者に伝えることではない。
日本のスポーツ界そのものを動かす
「スポーツジャーナリスト」になりたいとわかった
男子学生のように。

温存は、朝、お母さんが、
「きょうの晩ごはん何食べたい?」
聞いたときに、「なんでもいい」と答えるのに似ている。
その時点では、ほんとに何でも食べると思っている。

しかし、その実、いざ晩ごはんとなって、
おかあさんが「お刺身」を出すと、
なんかちがう、「おでん」がよかった、
「鍋」がよかった、と思いはじめる。

具体的な献立は打ち出せなくても、そこに
「寒くなってきたので、何か、温かいものがいい」
というような潜在的な想いがあったことに気づく。

この「温かいもの」のような、
価値基準には、違うメニューが出されてこそ、
初めて気づくということも多い。

そして、この「価値基準」
その人にとっての美意識とか、絶対価値
と言いかえてもいいがそれは、
高2生ぐらいでかなりできあがっているのではないか。
私は、高2生の表現を見ていて思う。
実際、先生方も高2生の文章を読み、
その聡明さに驚いている。

具体的な職業名は出せなくても、
仕事に対する美意識は、かなり17歳でできている。

そして、就職も、仕事の進路も。
思い通りにはいかないからこそ、
17歳なりの美意識を一度文章にする価値が
あると、私は思う。

このコラムで紹介した、
17歳のころ「医者」になりたい、「人を救いたい」と
医学部を受験するも、受験に落ち、
薬学部に行くも、薬で人は救えるが、
もっと直接的に自分の手で、自分が救われたように
人を救いたいと音楽家に転向した男子学生のように、
医者と音楽家という職業は違っていても、
そこに、「救いたい」という美意識は通っている。

私自身が、17歳のときは、
小学校の教員になりたいと思い、
教育実習で違うと思い、企業に入って編集者をし、
いまは、フリーランスの文章表現インストラクターや
書き手をしているが、一貫して「教育」、つまり
17歳のときにもっていた「人を導く」という基準は
一貫している。

高校1年生には、今年から高校生だという
アイデンティティがあり、
高校3年生には、受験生というアイデンティティがある。
そういうタガが取っ払われて、
自分が揺らぐ高2生だからこそ、
タガがないところで、無制限に、
自分の美意識に叶った将来を描ける面もある。

もちろん、考えさせると言ってもやり方が大切で、
親や先生の決めたレールにはめ込む機会になるなら
逆効果なのだけれど、

問いには、考えさせる作用があるので、
自分の価値基準について考えさせる問いを
提供することで、
短時間でも、高2生は自分の想いを引き出していける。

高2のときに仕事を考えさせる意図は、
早いうちから計画性をもてとか、
ラクにまちがいのない人生を歩めという意図とは違う。

実際、この日、自分でも思いがけないほど
やりたいことが見つかったという高2生も、
決してラクではないはずだ。

医師になりたいと言った高校生は、
来年は厳しい受験を覚悟しなければならない。
国際弁護士になるという高校生は、
このまま地元にいてはそこに至る英語力が
身につけられないかもしれない、
留学など、親と衝突するかもしれない。

それでも、つまり、決してラクではないだろうし、
計画通りには進まないだろうと思っても、
高2生の語る将来が喜ばしいのは、

まだ、文理選択も、志望校の選択も、
変更がきくということだ。

この日、高2生が発表した、どんな夢も、
この時点からなら、追っていける。

どれ一つとして、「もっと早くに気づいていたら‥‥」と
悔しく思うものがない。

だからこそ、聞いている大人も高2生自身も、
一点の曇りもなく、腹から歓べる。

この点が、
すでに大学に入学した学生とは決定的に違う。

大学生になったって、受けなおせばいい、
いくらでもやり直せると私は思っているし、
実際に、やり直した学生もたくさん見ているが、

それでも、現場でじかに学生に触れてみて思うのは、
自分が想っていたよりも、ずっとずっと学生に
とって、「受験」は重いことであるということだ。
学生たちが、大学に来るまでに、
受験にどれだけ骨身を砕いているか、
どれだけの精神力と努力でのりこえているか。

それを目の当たりにすると、
「いくらでもやり直しがきく」という
言葉は逆に失礼で言えなくなる。

だからこそ、高2生の語る将来の夢は、
いまからなら、あれも叶う、これも追えると、
何一つ取り返しのつかないものがないから喜ばしい。

こういうことをいうと、17歳は過ぎてしまった私たち、
とくに、17歳のときに将来の仕事はおろか、
なんにも考えてこなかった私個人は、傷つくけれど、

そんなとりかえしのつかないことを知った今だからこそ
言える。
選択に時あり、そのために考えるのも時期がある。

17歳のときに、将来の仕事について考え、
そこにある正直な想いを人前で表現してみることは、
とてもよいことだと私は思う。

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2013-12-18-WED
YAMADA
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