YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson658 声をあげよう

「自己表現」と「先へ進む」ことは、
人間の本能的希求だと、
先日、ここに書いた。

「でも、それって具体的にどうすればいいの?」

というときに、
それは、とてもシンプルに、

「まず、声をはって、言いたいことを言う」

そんなことからはじまる!
と気づかされた。

先日、
表現力のワークショップで、

数十名の生徒さんが、
教室のあちこちでグループに分かれて
表現しているというのに、

たった1人の声が、
私の耳に飛び込んできた。

「ワタシは、自己表現が大キライです!」

私は、ギョッとし、
“ここへきてそれを言うかなあ”と、
最初は、げんなりしていた。

十年前ワークショップをはじめたときは、
私のナビゲーションも未熟で、
世の中の「表現」に対する関心もまだまだで、

照れや、逃げや、経験不足から、
テーマについて表現する段になって、
「表現がキライだ」と言ってしまう生徒さんが
けっこういたのだ。

しかし、表現への関心も高まる世の中で、
私も、表現を導く経験を積み、

最近は、まったくの初心者でも、
かなり高い割合で、
伝えたいことを言葉に表したり、
文章に書けるようになってきた。

だから、いよいよ最後の表現する段になって、
「表現がキライ」という人は、皆無だ。

かりにAさんと呼ぼう。

私は思った。
「Aさんはここまで何をやっていたのだろう?」
 ふつうやってくれば、
 テーマについて伝えたい想い、
 そのときの経験などが、
 いやでも湧き上がっているはずだ‥‥」
だけどそれより思ったのは、

「なぜ、Aさんの言葉は、
 大勢の中で、私の耳にまっすぐ
 飛び込んできたのだろう?」

発表の段になって、

チーム代表で選ばれた生徒さんの、
豊かで、想いのこもった、人生が伝わってくる
表現に交じって、

Aさんが、チーム代表で選ばれていた。

Aさんはまた言った。

「ワタシは、自己表現が大キライです!」

グループ内の発表のときと同じ言葉だけど、
なんだろう、私がさっき聞いたのとはまた別格に、
声に生命力があった。

そうだ! 生命力!

大部屋で、大勢が表現しているなかで、
Aさんの言葉が、まるで耳元で話しているかのように
まっすぐ飛び込んできたのは、
声に生命力があったからだ。
Aさんは続けた。

「ワタシは、自己表現がキライです!
 だからママ友との会話でも、
 自分を出さず、適当にやりすごしています。

 ワタシは、自己表現がキライです!
 だから、自己表現ができるママ友に、
 嫉妬や憎らしさがあります。

 ワタシは、自己表現がキライです!
 だから今日私はここにきました。

 きたけれど、
 私は、いまだに自己表現がわかりません!」

以上のように文字で書くと、
表現教育の場をブチ壊しに来たのか、
ケンカ売ってんのか、という内容なのだが、

生で、表情や、声に、触れて聞くと、
なんだかわけがわからないけど、いい!

ひと言いうたびに、どんどん、
Aさんが進んでるのが目に見える。

ひと言いうたびに、Aさんの目に本気が宿り、
本気が輝きを放ち、表情が活き活きし、
想いが熱をまし、溢れ、
前に前に伝わってくる。

Aさんは、
「自己表現がキライ」「わからない」
という言葉を言っているのだけれど、
伝わっているものは、

「自分を表現したい!」「想いを伝えたい!」
「自分の殻をぶち破りたい!」

活力ある声にして、
本気そのものの目をらんらんと輝かせて、
声をはって、外に出し続けることで、
Aさんは、みごとにこれまでの自分の殻をぶち破った。

声で想いを伝えた。
伝わった。

「声をはって、言いたいことを言う」

あまりにもシンプルで、
人はバカにするかもしれないけれど、

人は、活力ある声で、
偽りを言い続けることはできないし、
自分を閉じたまま、声をはりつづけることはできない。

どんなウワズミの感情でも、偽りでも、
ひとつ声をはって外に吐き出せば、
必ず、より深い次の地層の感情が顔を出す、

それをまた出す、さらに本心に近い想いが顔を出す。

大好きな恋人に、
「あなたなんか、キライ! キライ! 大キライ!」
と言い切ってしまわなければ、
純粋な「好き」という想いを口にできない恋のように、

Aさんは、どうしても、
キライから声にしたい、
そのウワズミを吐き出さずして、
前に進めない状況にいたのだろう。

そしてAさんは出して、進んだ。

「テーマの否定はやめましょう」とか、
そんなルールやテクニックを外から教え込まなくても、
Aさんは、これからぐんぐん自分を表現して
進んでいくと確信した。

こんな自己表現もあるのだと
なんだか新鮮に打たれた。

「自己表現」と「先へ進む」ことは、
人間の本能的希求。

ならば、いま、声をはって、
人に対して、言いたいことを言ってみよう。

それは自己表現であり、行動であり、
出して、リアクションをあびて、先へ進む、ことである!

最後に、職場で、
先へ、先へと進んでいる読者のおたよりを紹介して
きょうは終わりたい。


<進んだときに見えてきたもの>

Lesson656の「天狗」の定義すごく腑に落ちました。

「天狗になるとは、
 未知へ踏み出すべき時がとうに来ているのに、
 これまでの自分の枠から進めない状態。
 その状態では、周囲がでくのぼうに見えてしまう」
という定義。

私は今、入社以来、
初めてグループ会社の外に出ています。

今までの
全てのやり方が決まっていた環境から離れて、
自分の責任でなんとかしないといけなくなり、
しかも引き継ぎなので、

「前任者は何やってたんだ?」

と八つ当たり気味でした。

「こういうやり方も知らないなんて!」と思ったり、
「この要素を見逃して議論してたなんて!」と思ったり、
なんだか全てが馬鹿に見えて疲れきってました。

でも、そのプロジェクトで
「ソフトウェアの使い方を
 英語のサイトから解釈して
 自分でやり方を見つけないといけない」
となってから、
俄然仕事が楽しくなってきました。

そうなると、前任者の
自分にはできなかった技術的な解決などの
良い点がよく見えてくるのが不思議でした。

今までやってた知識の応用とは
全然違う分野に挑むことが、
私の扉を開いたんだと思います。
(アメ)


<「希望を言葉でつくる」を読んで>

上司が考えた新しいシステムのモデル図がありました。

書いた本人が社内を説明して回っても、
なかなか理解されない。
他の誰かが説明しても、同じ。
僕が説明する時も、うまく言葉が出てこない。
ずっと、そうでした。

そのうち、そのモデル図のスライドが現れると、
「どうやって、さらっと流し、次に進むか」
というようなことを、皆考えるようになっていていました。

そんな時が続いていた、先日、
このモデル図にこだわり続けていた上司から、
「A社と協力してモデル図を
 正式なドキュメントとして社内に発行するように」
という指示がおりてきました。

僕は心の中に、
「このモデル図は抽象的過ぎて、
 一般の社員には馴染めないし、
 敢えてそんなことはしなくてもいいのではないか」
という気持ちを持ち続けていて、

どうも乗り気になれないまま、
A社との仕事が始まることになってしまった。

協力してくれるA社との打ち合わせでは、

誰もうまく説明できないモデル図と、
そのモデル図を理解するために作られた
多くの補足的な文書を、
ただ読み直し、言葉を交わす。

どこかで聞いたことがある言葉が
繰り返されるばかりで、
前に進む足掛かりをつかめず、
とても曖昧な感覚をずっと抱え、
打ち合わせが続いていました。

ちょうど「希望の言葉をつくる」を読んだ直後、

今日もこれまでと変わらないような感覚で
打ち合わせが終わりそうになった時、
僕は、

「もう少し打ち合わせを続けませんか?」

少しだけ粘ってみようかという不確かだが、
何とかしたいという小さな意志を言葉にしてました。

するとモデル図の中に、
実は過去、
何とかわかりやすくしたいという気持ちがありながら、
自信も確信もないまま
書き込んでいた言葉があることに気づきました。

自信も確信もないのに書いてしまった言葉に、
いつのまにか縛られ、解放されない。
そこにいる誰もが縛られていることに気づかない。

この事実に気づくと、
「過去の言葉を無視する」という
もう一つの小さな意志が生まれ、

お互いに交わす言葉が確かに変化し、
思考の速度が上がった。

そして、これまで交わされきた
無意味と思い続けていた言葉の連続の中に、

「一本の確かな補助線」となる言葉

を見つけました。
次の瞬間、

「このモデル図、皆に説明できると思います」

僕は確かな意志で言ってました。
「このモデル図、最後まで完成させてみたい。」
A社も呼応していました。

「未来の言葉」が生まれ、つながった、
打ち合わせが終わるまでの30分程の時間でした。

考えることは、「未来の言葉」をつくること。
考えることをやめることは、
「過去の言葉」に取り憑かれること。
そう実感した出来事でした。
(鈴木)

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2013-10-30-WED
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