YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson632 傷つけないでと言う前に
      − 2.主語をこの手に取り戻す


傷ついた時、
怒ったっていいし、人を責めたっていいし、
「傷つけないで」と相手に釘を刺したっていい。
だけど、それって自由かなあ?

「怒るか、創るか?」

「これくらいの傷なら自分でのりこえられる!」

と自分を信じて、
全精力を「創る」にシフトし、
考えたり、動いたり、働きかけたりして、
「その先」を創っていく方が生きてて自由ではないか。

そんな先週のコラムには、
たくさんおたよりをいただいた。
まず読んでほしい。


<自分の人生の主役になる>

「もうだめだ、というところで、
 どんなことをしてでもやる!
 と思えるくらいやりたいことがあるというのは、
 ほんとに強い」

まさしくそうだ! と思える体験をしました。
娘の幼稚園の「父母の会」会長をしていた時のことです。

周到な準備をしたにもかかわらず、
当日は無情にも雨、
予備日も雨、

仕方なく運動会は平日に。

しかし、仕事で出られない親もいて、
競技の順番や手伝いの親のシフトも全部作り直し。
なぜ翌週の休日まで順延しないのか? と大ブーイング。

けれども、その時の役員メンバーは、
誰のせいにも出来ない「天気」にすら怒ることもなく、

どうしたら子どもたちが
一番晴れがましく運動会ができるか、

そのことだけを考えて、動いた。
まさしくその時の私たちは、

一人ひとりが人生の主役だったんだと思う。

自分たちで創る事を選んだから、怒らなかった。

私たちは、すべて自分たちの人生を
自分で創っていいんだ!
自分で「創る」ことからブレなければ、
どんな時でも、どんな事でも乗り越えていける!

もうダメだと思う時はみんな同じ。
でも諦めずに一歩前へ。
それこそが、自分の人生を自分で生きる事。
未来を創ること。

たかが幼稚園の運動会ですが、
本当に私が自分の人生を自分で切り開く事を知った
大きな出来事だったなと、思い出しました。

怒った時には、怒りを納めるのではなく、
「創る」に意識を向けようと思います。
(潔子)


<はっきり言ったのにもやっと>

3日前、友人に
「傷つけないで」と言いました。

勇気を出したつもり。
言った瞬間はスッキリしたのに、
どんどんもやっとするばかり。

「傷つけないでと言う前に」を読んで腑に落ちました。

言うべき瞬間瞬間に言わなかった、
なのに消化できずに暴発させてる自分の甘さ。
この人なら言ってもきいてくれそう、という、
相手への甘え。
それを更に相手への信頼と混同させて。

自分の中にしか問題も答もない、
他人はその鏡になってくれているんだった。

問がたてられれば答も出たと同じ、
とはよく言いますが、
問も答も成立させたなら、それはある意味「創造性」。

コラムを読み終わった後、
傷つけないでと言ってしまった友人に、
素直に謝りました。甘えてごめんねと。

友人は優しさでゆるしてくれました。
本質的な信頼へと、進むことが出来たと感じました。

傷つけないで、と言う時、主語は相手ですよね。

自分の人生は自分が主人公で、
自分が主語であるはず。

他人のせいにすると、した部分だけ他人が主語に、
即ち、自分の人生を部分的に明け渡してしまってる。

明け渡してる分、前進し難いことでしょう。

怒りでなく創造性で乗り越えたズーニーさんは、
その時、自分の人生の、渡してしまっていた部分を
取り戻したのではないかと思います。
(はにここ)


<主語「私たち二人は」を取り戻す>

私はなかなか怒らないタイプなのですが、
唯一夫にだけ
「その言葉、傷ついた!」「どうにかしてくれ!」
とせめてしまいます。

一度、言える相手だとわかったら、とまらないのでは、
と自己分析。そして反省。

でも、ズーニーさんの話を読んで思いました。
自分は、反省して自分にも禁止をしていただけで、

はたして面白くしようとなんて考えたことあるのか?

私はなにか気分を変えようとか、
おもしろくなるよう働きかけたのか。

もし、それで二人してなにかに向かっていけたら、
なんて楽しい夫婦になれるのか!
と思いました。
(さんご)



「主語がこの手に戻ってきた!」

創るを選択したときの感覚を、
そう表現する読者が多く、まったく同感だ。

よく怒る人は、よく依存する人だ。

妻が、部下が、会社が、世の中が、と、
部分、部分で主語をあけわたしている。

「家事は妻に」とか、
「外回りはフットワークのよい若い部下にまかそう」とか、
意識して主語を外注しているうちは、まだいい。

自分でも意識しないまま、しだいに、
なにか大事なものまで一緒に人に
あけわたしてしまう。

そうして見えない依存が膨れ上がるから、
追いつめられたときも、とっさに、
「だれかに、何とか」してもらおうとする。

でも、他人は、自分よりもずっと、
思いどおりにはならない。

だから怒る。

自分で動こうにも、主語をあちこち、
あけわたしてしまっているから、動きだせない。

そんな自分にもますます怒る。

でも、そんな状態になってしまっているときでも、
いつからでも、

「創る」を選び、

おぼつかない足取りでも、へたくそでも、
何とか踏ん張って自分の手で創りあげたとき、

ばらばらに、あっちこっちに散らばっていた「主語」が、
ぐっと自分のもとに戻ってきた感覚が起こる。

このとき人は生き生きする。

まさに自分の人生の主役!

これが夫婦だと、絆が強まる。

夫にだけは怒ってしまうという読者の「さんごさん」、
「創る」を心の中で選んだだけでも、
もう、「私たち二人は」という
夫婦の主語が戻ってきている。

夫婦とは不思議なものだ。

おたがい相手に、「なんとかしてくれ」、
「おまえが動け」、「お前が変われ」、と
もたれあっているうちは、
どんどん心は離れていく。

ところが、
「傷は私のものだ、自分でなんとかしよう」と
一人が自分の力で状況を創りはじめたとき、
「だったら私もできることをやろう」と、
もう一人も歩き出し、

それぞれ孤独にがんばっているにもかかわらず、
いつのまにか、「私たち二人は」
という夫婦の主語を取り戻している。

面白くて、新たな、オリジナルの
夫婦の関係性を創りはじめている。

夫婦の絆は、「思いやり」や「忍耐」以上に、
「創る」ことで深まるのだと私は思う。

最後に、同じ家庭環境で育っても、
「創る」を選択できること、
そして、いままで「創る」を選択してこなかったとしても、
いつからでも創りはじめられることを教えてくれる、
このおたよりを紹介して、
今日は終わりたい。


<それでも選べる>

うちの母は、北関東で生まれました。
祖父〈母の父〉は暴力を振るったらしく
母は、いつも怯えて暮らしていたと言います。

母は東京の大学に進み、
父と出会い、結婚し、父の地元の中国地方、
母の見知らぬ土地で暮らし始めました。

結婚してすぐに私を妊娠し、
働くこともなかった為に友達もおらず、
土地にもなじめず、
ひとりぼっちで、子育てをしたそうです。

私の生まれたすぐあとに、弟も生まれました。

母は、父に嫌われたくない、
親戚に悪く思われたくない、
近所から浮いてしまわないように、と
頑張っていたんだと思います。

それは、私たちきょうだいへのヒステリックな怒りや、
時に過度な暴力として現れました。

私たちの自由な行動は、
自分らしさを否定して、
必死に攻撃から身を守る母にとっては
地雷を踏む行為だったのだと思うのです。
今思えば気の毒ですが、
当時はとてもそうは思えませんでした。

私は、母から与えられた傷を理由に、遊び歩きました。

弟は、部屋にこもってずっと勉強をしていました。

2人とも、孤独だったと思いますが、
自暴自棄になっていただけの私にくらべ、
弟は進んでいました。
自分が何をしたいのか、どうすべきなのか、
ずっと考えていたんだと思います。

私は大学も途中でやめて、自堕落に暮らしていました。

弟は臨床心理を学び、ジャズを演奏し、
フィールドワークでブラジル移民の子供達と
遊んでいました。

いま弟は結婚し、医療関係の仕事につきながら、
趣味の自転車や、ライブの演奏をしています。

わたしは、ひとりぼっちだとずっと思っていましたが、
最近その原因がわかりました。

ズーニーさんの言うように、動かなかったからです。

誰にも働きかけず、愛さず、
求めてばかりいたからです。

コミットする、というのを関わりを持つ、
と思っていたのですか、間違いでした。

自分の前に繰り広げられている、ありとあらゆる出来事を、
選択していくことが大切なのです。

経験することは選べないけど、
何を大切にして、何を受け流すかは、
選べるんだと思いました。

私は今、作家を目指して勉強しています。
一つ一つの気持ちやできごとを、
大切にしていきたいと思います。
(きんときまめ)


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2013-04-10-WED
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