YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson625
  好きのゆくえ


好きという気持ちも、嫌いという気持ちも、やっかいだ。

私たちは、「好き」は、嫌いよりは良いものだと、
思い込んでいるふしがある。でも、

「好きをどこに向けるか?」

によっては、「好き」は「嫌い」よりも
やっかいな状況を引き起こすのではなかろうか。

私には大好きなミュージシャンがいる。

かりにAとしておく。

夜眠れないとき、音楽をと、
Aを聴きはじめると、
好きという想いがどんどんどんどん大きくなって、
眠れなくなってしまう。

家事をするとき、Aを聴くのもだめ、
好きすぎて手につかない。

「想いはどこからきて、どこへ行くのか?」

昨夏、Aのライブツアーのあと、
ツアーグッズを買っている自分に驚いた。

私は、極端にモノを買わない性分だ。
うちに来た人はモノがないことに衝撃を受ける。

にもかかわらずAのときだけ、
つい、モノを買ってしまうのはなぜだろう?

たぶん、ほんとにほしいのは、モノではない。

Aそのものだ。

ずっとその音楽をじかに聴いていたかったり、
ずっとその人間性に触れていたかったり。

でも、私たちの大半が、
スターとお近づきになれないどころか、
一生、顔を合わすことも、話をすることもない。
好きすぎて、エネルギーのやり場に困る。

その昇華方法のひとつが、グッズを買うことだ。

ツアーグッズを発明した人に感謝だ。
買ったり、飾ったり、使ったりに
エネルギーを費やすうちに、
いくぶん満たされ、いくぶん気が済む。

モノはモノに過ぎないと馬鹿にする人もいるだろう。
自分にも一抹の虚しさはある。
でも、買うことで発散する道がなければ、
エネルギーの向け先がわからず悶々とする人や、
ヘンなスイッチがはいる人が、世の中にあふれると思う。

先日、

清水ミチコさんが、
テレビで痛快なモノマネを披露したあと、

「一方的に人を好きになる想いが、
 私は人よりちょっと強い。
 でも、だからといって、一方的に相手を賛辞しても、
 つまらないし、相手にもちょっと迷惑だ。
 だから、好きというエネルギーを、
 ネタとか、何かのカタチにして昇華していきたい。」

という意味のことを言っていた。
モノマネを見てスカッ!と元気になる理由が腑に落ちた。

好きすぎるとき、何かしないとおかしくなってしまう。

でも、たしかに清水さんの言うように、
「好き」という気持ちを、そのまま相手にぶつけても、
もひとつ、自分も相手もスカッとしない。

かといって我慢するのも体に悪い。

たまりすぎてゆがめば、
執着したり、干渉したり、憎しみに転じたり、
果てはストーカーか、変質者かと、やっかいだ。

モノマネの達人たちの観察の細かさや、こだわりや、
執拗さは、出し方を間違えれば、
ストーカーにもなりかねない。
でも、エネルギーの向け方として、

「おもしろいか、つまらないか?」

おもしろさに向かう道を考えたのが素晴らしい。
ひと一倍強い「好き」のエネルギーを、
細かく、うるさく、執拗に、反芻し、カタチにすることで、
自分自身を満たし、昇華させている。
好きを昇華させる装置をつくったそれだけでもスゴイのに、
「笑い」に変換して、見る人をも笑わせ、昇華させている。

だれかを好きでたまらないと言う気持ちは、
すこし切なくて、すこし憎らしくて、
すこし鬱屈していて、すこし滑稽で、哀愁があり、
なんともやりきれない。
私たちはそういう気持ちを表したくとも表せないし、
ましてや解消するとなるとすごくハードルが高い。

モノマネは、そういう「好き」にまつわる全ての感情、
いいものもわるいものも包み込んで
正直に表して、いったん「ある」と認めて、
その上で笑い飛ばして昇華する。
だから、見る人を元気にするんだと思う。

「想いのエネルギーをどこに向かわせるか?」

モノマネの達人のようにはとても無理でも、
いままでよりもちょっとおもしろい出口を
見つけていこうと私は思う。

好きすぎる想い、どんなふうに昇華してますか?

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2013-02-20-WED
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