YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson600
  恐れを伝染させない言葉−2.自分の納得ライン



I Love You
とストレートには表現できない
日本人である私たち、

かわりに、ついつい、
「気をつけて」「熱中症、コワいよー」
「風邪ひかないで」と
心配の言葉をかけすぎてしまう。

恐れを伝染させない言葉を。

という前回のコラムに、
たくさんの反響をいただいた、
まず紹介する3人の読者のこんな想い、
多くの人が共感するはずだ。


<相手を怒らせた何か>

去年、心配する言葉をかけすぎて
「友達」をなくしました。

SNS上の「友達」でしたが、
SNSでのやりとりも、実際に会ってみても、
どうにも相性が悪く、
努力しても距離が縮まることはありませんでした。

そんなある日、
私がしつこく心配の言葉をかけてしまったことが
癇に障ったようで、「ブロック」されてしまいました。

相手がやろうとしていたのは危険な行為に思えましたが、
本当に仲のよい友達だったとしたら、
あそこまで過剰な言葉をかけたかどうか。

そこに、相手に対する信頼はありませんでした。

何かあったらどうする、迷惑だという気持ちもありました。

一方、昔から破天荒な人生を送ってきた親友には、
私は何も言わないことにしてきました。
ボロボロになっても、連絡が途絶えても、
いつか姿を現してくれる、
それが親友への「愛」だと思っていました。
ですから、心配する代わりに I Love You を
というズーニーさんの言葉にハッとしたんです。

怒らせてしまった相手には信頼だけではなく、
愛も確かになかった。
(カケル)


<「ありがとう」と「すみません」の関係>

私の祖母は「すいません」使いのスペシャリストです。

おみやげを貰ったときにすんません。
近所の人と世間話の別れ際にすんません。

なんでもすんません。

一体誰に向かって言ってるんだろう?
祖母に相手は見えているんだろうか?

すいませんよりありがとうの方が
相手に届く言葉じゃないかなぁ。

想いは出来るだけまっすぐ届けたいものですね。
サンキュー! アイラビュー!
(あなはいむ)


<会社で>

僕は「恐れ」を伝染させるような言葉を、
使いすぎていたかもしない。

僕の仕事は、会社の情報が漏えいしないよう、
情報セキュリティの教育を社員に向けて実施すること。

教育資料の中には、
こんな事が発生してしまうと、法律上の罰則があるとか、
会社が損害を受けるとか、
社内の罰則規定にひっかかるとか、

色んな「恐れ」を呼び起こし、
伝染させる言葉が詰まっています。

もし、うまく言いたいことが伝わっていないのであれば、
それはズーニーさんが言う通り
聞いている相手が、無意識のうちに、
「耳をふさいで」しまっているからかもしれません。

耳をふさいでいる相手に、
僕の声を聞いてくださいと言っている。

まずは、相手が聞いてくれる言葉を選択できるよう、
資料を見直してみよう思います。
(鈴木)



心配の言葉はかけやすい。
「あなたのためよ」が自明だ。

一方、

おもわず心配の言葉をもらしてしまった
「自分の本音」と向き合い、
そこを言葉にしていくのは骨の折れる作業だ。

だからカケルさんが、
「相手への愛と信頼が欠けていた自分」に
気付いたことは、とても尊い。

3人が共通して言うように、
心配では伝わらないばかりか、
相手が耳をふさいでしまう可能性もある。

「では、伝えたいことをどう伝えるか?」

ヒントをくれる読者のメールを紹介しよう。


<父母を動かしたもの>

母に向けて、常日頃、
「暑ければクーラーつけなさい!」
「のどが渇いてないと感じても飲む!」と
なかなかな上から目線で言ってましたが

手持ちの熱中症計を渡しました。

「いいですか。
 赤いランプがついたら
 危険なんだから。
 エンリョしないでクーラーつけてよし。」と

やっぱり上から目線で言いながら渡して数日。

いそいそと
熱中症計を確認しては
クーラーを遠慮なくつける母の姿がありました。

どうも熱中症計を渡されたことが嬉しいらしく。
ふと
「あ。ガミガミ言うよりちゃんと伝わってる」
と思いました。

冷静に考えれば
気温も喉の渇きも
「感覚で判断するな!」と言いながら
感覚以外で判断できるものを
なんにも提供できていなかったのですから。

かわいそうに。
ガミガミ言われてばかりで。

忙しいのが一段落して。
ちょっと親に
おこづかいをあげられるくらいとなり。
父に小さな袋を差し出しながら

「おかげさまで
 もうかりまして。
 クーラーの電気代の足しにでもして下さいませ」

と言ったところ

「いやぁ〜、わし、何にもしてないでぇ〜。
 ええんか?」

と大変嬉しそうで。

やっぱりガミガミ
「暑いときはガマンしないの!」と言うより
よっぽど体に気をつけるようになってました。
(泉鈴)


<じいちゃんの愛情表現>

板前だったじいちゃんのことを思い出しました。

私が5〜6歳くらいの頃だったかな?
刃物や火の側に近づいてはダメ!
と親にキツくいわれていたのに、
じいちゃんちに行くといつも料理を教わる。

大人の持つ包丁で野菜を切ったり、揚げ物をしたり。

じいちゃんは刃物も自分で研ぐから
包丁の切れ味は半端無いし揚げ物だって
大きな鍋いっぱいの油!
でもじいちゃんは、

「大丈夫、間違って手を切っても
 じいちゃんがすぐ絆創膏を貼ってやる。
 やけどしたら水で冷やせば良い。」

って。その言葉に凄く励まされました。
もちろん指も切ったし、
揚げ油がはねてやけどすることもあったけど、
そんなときに落ち着いて処置することを教わったので、
失敗をむやみやたらと怖がることが無くなりました。

固いサツマイモやカボチャを自分で切って
天ぷらにしたときの美味しさ、
今でも忘れられない思い出です。

自分が失敗したことがあるからこそ、
人に同じ思いをして欲しくない、
だから「気をつけて!」と言いたくなる。

でも言われる側としては、
「気をつけて!」と言われびくびくしながらやるよりも、
「大丈夫、失敗したってなんとかなる。
 私がなんとかしてあげるから、思う存分やってごらん!」
と言われた方が、
私を気遣ってくれている思いが伝わってくる。

じいちゃんなりの愛情表現、
「料理の出来る大人になって欲しい」
という思いをしっかり受け止めました。
(料理上手)


<言葉の代わりに>

私は祖母が好きでした。
あまり人が行かない海外へさっさと行き、
ビールと野球を愛し、人生を楽しんだ人でした。

別れはいつも握手です。

「また必ず来なさい」と握手。
それが祖母のアイラブユーだったのかなぁ。
祖母の握手が好きです。
(Sarah)


<できるよ できる 大丈夫!>

夏休みである。
課題がなかなか進まない子供を見守るのは、
自分がためた宿題に途方に暮れた時よりも、しんどい。

明日に先延ばしする理由は、
どうせできっこないという恐れや不安からだと思う。

残り少ない夏休みで課題を割り算して、
何とか最終日につじつま合わせをしようとする。
この作業に入るまでが億劫なのだ。
割り算をし始める(やる気が出てくる)時には、
半分くらい終わったようなものだ。

どうせできっこない → できそうだ
に、未来の予想は大変換しているからだ。

宿題をやらない子供は、
「学校警察」に連行してもらいたい!
そして、

できるよ できる 大丈夫!

と励ましてほしい。
学校警察、今の世の中に必要じゃあるまいか。
罰するだけではなく、
反省と自己肯定感、自己効力感を高める支援をするところ。

いじめのあった学校で、いじめた本人だけでなく、
見ているしかなかった子にも反省と励ましを働きかける
第三者機関。
(人、それぞれ)


<恐怖の伝染を止めるリアクションを>

息子に対しての接し方で
日頃気をつけている事があります。
私は虫が嫌いです。
なんだか気持ち悪いし怖いんです。

でも私がギャーギャー言って怖がっていると
息子にも私の「恐れ」が伝染してしまうんですね。

無害な虫なのに、私の行動で、
「虫は怖い」ものなんだというイメージを
植えつけているんですね。
子供のキャンパスは真っ白。
周りの大人から受け取るメッセージで色がつき
描かれていくんですね。

子供が転んだ時、
心配で大騒ぎしないように、
「転ぶ事もあるよね。」
「ばい菌がはいるといけないから消毒だけはしようね。」
と落ち着いて対処するようにしています。
転んで痛いという事実よりも、
周りであたふたしている大人の様子が伝達されていて、
子供を驚かし、恐怖心を埋めつけてしまう結果になるのを
避けたいと思っています。

飼い猫に対して
「引っ掻かれるから、優しく撫でてあげてね」
という忠告にも関わらず、力いっぱいナデナデし、
猫パンチをくらった息子はそれ以降ちゃんと
優しくナデナデすることを覚えました。

引っ掻かれる恐怖心で
猫を触れない子にならなくて良かったです。

「虫をむやみに踏み潰さないでね。
 外にいる虫は殺さないでね。」
という母の言葉に、「なんで〜?」と切り返す息子には、
「そこに横になってみなさい!
 お母さんが踏んであげるから。」
と痛みと共に理解してもらったこともあります。

英語では「失敗して学ぶ」ような事を
“Learn in a hard way (大変な方法で学ぶ)"
と表現されますが、もっともだな〜と思います。
(Aska)



心配する人は、
自分がぐらぐらしているから、
だから余計に不安なのかなと思う。

いちど自分の「基準」をはっきりさせておく。

そうすれば、やみくもな心配で
相手をがんじがらめにすることはない。

泉鈴さんは、
「機械が危険値を知らせたら心配する」と線引きし、
それ以下のことはガミガミ言わない」と手放した。
自分の基準を、熱中症計という目に見えるカタチで
お母さまと共有できたところが素晴らしい。

板前のおじいさまは、
「料理がきちんとできる人間に」という志が高い。
怪我はつきものという現実に即した基準を持っており、
怪我したときの対策もきちんと心得ているので、
オタオタすることなく周囲を落ち着かせる力がある。

Askaさんも、息子さんが、
少々怖い目、痛い目にあっても、
体験のひとつとして、教育の機会にする、
という基準がうかがえる。

ひとそれぞれさんも、
お子さんが、
「恐れてできそうにないという気持ちから、
 できそうだに変わる瞬間」が、
いちばん難しく、いちばんの踏ん張りどころ、
と線引きし、
この基準をクリアするまでは気をもむが、
ここからは子どもの自主性にまかせている。

自分の納得ラインはどこか?

怪我や失敗は絶対してほしくないか?
ある程度はいいか?
どの程度か?
いや失敗や怪我は人生につきものと考えるか?

自分の線をはっきり引いて、あとは手放す。

まずそこが、
伝える前の自分の準備として必要だ。

最後にこの読者のおたよりを紹介して
きょうは終わりたい。


<気持ちはきまっています>

職場の部下に、今週末から一ヶ月、
入院する人がいます。

彼女は来週、脳腫瘍の摘出手術を受けるのです。

今回が二度目。一度目は4年前のことだそうです。
脳腫瘍などの癌系の病は、5年再発しなければ
いったん安心してよい、とされています。

あと一年というところでの再発。
「どんなにガッカリしていることだろう」
本人から話を聞いたとき、
僕はそう勝手に「心配」しました。

でもその面談の席で、彼女は淡々と、でもはっきりと、

「信頼している医師数人にも検査してもらい、
 意見を聞きます。
 その上で、手術が必要なら受けます。
 そのため、会社をたびたび休むことになると
 思います。」

と僕に告げました。
その心の強さに圧倒され、月並みな励ましの言葉しか
かけられなかったことを、しっかりと覚えています。

手術を受けることが決まってからも、彼女は普段と変わらず
出社し、仕事をしてくれています。

明日が入院前の最後の出社日です。

脳にある腫瘍は、性質の悪いものではないそうですが、
摘出の難しい場所にあるそうで、
術後に何らかの副作用が出る可能性もある。
そんな手術を数日後に控えた日です。

前回のコラムに、
「たぶん日本人である私たちは、
 それに相当する言葉がないだけで、
 こう言いたいのだと思う。
 I LOVE YOU!」とあり、

今日、仕事で外出した際、芝大神宮に御参りし、
手術の成功と術後の回復を祈願してきました。

明日、職場の仲間と「暑気払いランチ」と称し、
彼女を囲む会を持ちます。

その席で、買ってきたお守りを渡すつもりです。

そのとき、僕は彼女にどんな言葉をかけたら
良いのだろう。

きっと本人が一番「不安」で「心配」なのだから、
僕たちが「心配」する言葉をかけても意味がない。

かと言って、「頑張って」も違う気がします。

「あなたは僕たちの大切な仲間です。
 職場に復帰される日を、みんなで待ってます」

伝えたい気持ちは決まっています。

お守りを渡すその瞬間まで、考えて考えて、
その場に下りてきた言葉の神様の指示に従おう
と思っています。
(ひげおやじ)

山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「山田ズーニーさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2012-08-22-WED
YAMADA
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