YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson338
 まるで催眠術にかかったように



プロレスで、
ロープに飛ばされた人は、
跳ね返ってきて、敵に打たれるようになっている。

でも、ロープに飛ばされた人は、
そこで踏みとどまるか、
ロープにつかまるかして、
もどってこなければいい。
なのに、なんでバウンドして返ってくるのか。

だれもおかしいと言わない。
たくさんの人が見ているのに、
だれ一人ヘンだと声をあげない。
みんな当然のようにして見ている。
まるで、集団催眠にかかったかのように。

野田秀樹さんの芝居『ロープ』の中に、
正義感に燃える青年の上記のような問題提起がある。

ちょっと考えればヘンだと気がつきそうなこと、

しかも大勢で見ているのにもかかわらず、
だれひとりヘンだと思わない、
みんな当然のようにして見ている。
まるで集団催眠にかかったかのように、ということ、
日常にもすごくあるように思う。

先日もこんなことがあった。

デザイナーに仕事をお願いしたが、
あがってきたものがイメージとちがう。
直していただいたら、
ますますイメージと離れてしまい、
これはもう、会って話すしかないと、

私、担当者、その上司の3人で行って話し合い、
仕事は極めてうまくいったのだが。

デザイナーは明らかに「納得いかない」という
顔をしていた。

なにがそんなに相手を落胆させてしまったのだろう?

デザイン依頼は、編集時代から自信があった。
つい最近、表紙のデザインが
うまくいったところだっただけに、
自分にとってショックで、
自分は何をまちがったのだろうと、
それからずっと考えずにはおられなかった。

そして、気がついたことがある。

デザイナーは、
事前にラフを書いて、
私たちに承認をとり、
そのとーりに作品をあげていた、
ということだ。

と、ここを読んでいる人は、
「そりゃ、デザイナーが怒るのも当然だ!
 事前にラフを書いて、
 これでいいですかと確認して、
 いいよと言われたから、
 そのとーりにしあげたのに、
 それじゃイメージと違うなんて、詐欺じゃないか」
と思うだろう。

まったくそのとおりだ。

ちょっと考えればわかる。

だけど、そのとおりのことに、
だれ一人気づきもせず、
ただ、あがったものが
イメージと違うと真剣に悩んでいた。
なぜだろう?

ラフを見たとき、

私も、担当者も、その上司も、その場にいて、
まったく疑いもせず、それでいい、と承認したのだ。

3人ともそんなに目はふし穴ではない。
上司は、私よりひと世代上の、
充分に経験を積み、かつ現役バリバリの、
いわゆるその道のプロフェッショナルで。
私は私で、
商品調査が最も厳しい企業で、
課のデザイン担当を何度も経験し鍛えられており。
20代の担当者は、
いわゆる情報世代の申し子のような人で、
若い分、常識にとらわれない柔軟な見方ができる。

3人3様の目で検討し、
全員でそれでよい、と言ったのだ。

だれ一人、ラフを見て、
「これじゃイメージとあわない」とつっこまなかった。

だれもおかしいと言わない。
だれ一人ヘンだと声をあげない。

ラフと現物はそんなにイメージが違ったのか?

いいや、ラフと現物は寸分たがわぬ。
ほぼそのまんまだ。
なのに、現物があがってきたとき3人とも、
イメージと違うの大合唱になっていた。

どういうことかというと、

つまり、ラフに、
実際には描かれていないすごい世界を見ていた。
3人ともだ。
それ以外に考えようがない。

まるで、集団催眠にかかったかのように‥‥?

だれもおかしいと言わない。
たくさんの人が見ているのに、
だれ一人ヘンだと声をあげない。
みんな当然のようにして見ている。

まるで催眠術にかかったかのように
3人は、ラフの紙に実際に描かれてないものを見ていた。

あとから、
あの現象はなんだったのかなあ?
と思う。

実際に、あとから
担当者と上司に聞いてみたが、
やっぱり、

「ラフにはいっていたあの図案は、
 まさかあのまま入ってくるとはおもわなかった。
 実際にはもっとすごいものに変わると
 思っていた」
「私もそう思っていた」
「私も‥‥」
という調子で、

「ラフのあれは、もっとああなると期待していた」
「私も‥‥」
「私も‥‥」
となり、

ラフにはちっとも描かれてない、
だれもそんなことは言ってないのに、
考えてみればヘンな話なのに、
現物とずれたなりに、
3人の見ていたものがほぼ同じ方向だったと判明して、
改めて、「なんなんだろう?」と
頭を抱え込んでしまった。

どうも3人の根底には、
「このデザイナーは本物だ」
という、敬意というか、信頼というか、
畏れのようなものがあるように思う。

名声がどう、地位がどうでなく、
生の人間同士として向かい合ったときに、
時代にはまった面白い仕事をしている人というのは、
えもいわれぬ才能がみなぎっている。
ビリビリくるものがある。

そういうものを腹の底で感じ取ったときに、
「本物」だと畏れを抱く。

3人3様の琴線でそれを実感したとき、
ちょっとだけ自分の頭で考えることをやめてしまった。

ちょっとだけ考えるのをやめる、
そこに催眠術がしのびよる。

でも、どんな「本物」であろうと、
読心術でもできないかぎり、言わなくても
こちらの頭の中にあるイメージを
なりかわって読み取って
イメージしてくれるなんて不可能だ。

そんなことは、もう充分わかっていたはずなのに。

考えて、おぼつかないながら、3人で
イメージを言葉にして伝えたら、
デザイナーはちゃんと受信して、
それ以上のものをあげてきた。
やはり本物だと、その本物感がずっしりこたえた。

「自分が考えるべき領分」を手放さなければ
本来させることのなかった改作を
デザイナーにさせてしまった事実を
反省とともに、深く刻んでおこうと思う。

考えてどうにもならないことが多い世の中で、
でも、ここだけは、
自分の頭で考えて判断しなきゃいけない
どうにもならないという部分がある。

だけど、考えるということは、
億劫で、面倒で、自分自身どうにかして
手を抜きたい部分なんだな、ということを
つくづく自覚していようと思う。

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2007-02-28-WED
YAMADA
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