YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson321 ゆっくり考え、はやく書く

時間をかけるといいものが書けるか?

というと、
ここ1年の自分の書きものを見るだけでも、
まったく逆の結果が出ている。
先日も失敗してしまった。

ある書き物を書くにあたって、
なんだかやる気がみなぎって、
がっつり、いつもの倍は時間と力をこめ、
自分的には「力作」にしあげた、つもり、だった。

ところが、編集者さんの評価がよくない。

逆に、自分の感覚として、
意外にあっさり書けてしまった、というときのほうが
編集者さんの反応がよくて、
「ほんとですか?」とうたがいたくなる。

でも、そういわれて自分で読み返すと、
なんだろうなあ、
時間をかけすぎたものは、
書いたときも苦しかったけど、
読み返していて、重苦しい。

意外にあっさり書けてしまったもののほうが、
荒くても、読後に、
自分の行きたいところの輪郭が、
あざやかに、顔を出している。

いきものだな、
力をいれすぎて殺してしまうか、
いきいきさせるか。

自分はもともと編集者で、書く人間ではなかった。
書きはじめたのは、非常に年齢があがってからだから、
苦労して、苦労して、苦労して、やっと一本書きあがる、
という状態でスタートした。

その習性からか、いまだに、はやく書けると不安になる。

不調なときは、やっぱり努力が足りないんだと思い、
無意識に時間をかけようとする。
何年か前、このコラムで、不調がつづいたときも、
時間をかけようとして、いつもより、1日前から執筆にはいり、
それでもうまくいかず、
次は、2日前からはじめ、もっとうまくいかず、
じゃあ、3日前から、と、
どんどん時間をかけるほどに、どつぼにはまっていった。

その取り組みのなかから、
ちいさな新しい発想も生まれており、
決して無駄ではなかったけれど、
時間をかけすぎたものは、さほどおもしろくはない。

「ゆっくり考えろ、そして、はやく書け」

演劇をやっている、マクバーニさんという人が、
以前そう言っていて、非常に印象に残っている。さらに、

「では、ゆっくり考えるためにどうするか?
 はやく書くためにはどうするか?」
となぞをかけた。

私がまず思ったのは、経験の中から書く、ということだ。
たとえば、私が最初に書いた本は、
執筆期間は7ヶ月だけど、その前には、
17年間の高校生への文章教育の取り組みがある。

いわば、17年間考えて、7ヶ月で書いた、わけだ。

他の、はやく書けたわりに編集者さんの反応がいい
という文章も、決してその場でポンと考え出したものではない。

自分にとって切実で、日ごろ、ついつい考えてしまい、
気がつけば、ずーっとそのことを考えていた、という内容や、
もう、何年も前に経験したことで、
ずっと自分の中でひっかかっていたようなこと。

いわば、書く前段階で、考えずにはおられなかったこと、

それが、洗濯を干しているときとか、
風呂に入っているときに、
「そうか」と腑に落ちる見解にかわる瞬間がある。

それを、すばやくつかまえて文章に書く。

ゆっくり考え、はやく書く。

はやく書く、ということは、
決して手を抜くということではない、
これがミソだ。

仕事には、必ず必要な手続きというものがある。

わかりやすくするために教育目的の文章でいえば、
読者対象を知らなければいけない。
小学生なのか、大学生なのか、社会人なのか。
理解度が違うから、どんな方法で、いつそれを知るか。

テーマに対する知識も必要で、
でも、つけやきばに仕入れた知識は使い物にならないから
はやい段階で仕入れておく必要がある。

仕入れたものを、考える、ここも非効率で根気のいる作業だ。

仕事では、適切な時期に、必要な手続きを、
地道に踏んでいくことがたいせつで、
階段のように、3段階すっとばして、いいものを
というわけに、決していかない。

書きはじめるまえに、すでに、決まっている。

書く直前までの行き方が大事ということだ。
正しい手続きを踏まずして、
つまり書く直前まで怠慢をし、
土壇場になって、土俵に上がり、
ただ文章をこねくりまわしているだけ、
これがたぶん、もっともツライ、時間のかけ方だと思う。

では、「はやく書け」のほうはどうなんだろう?

どうも自分は、あればあるだけ、
時間をかけたい方なんだなと思う。
書き始めたとき、
締め切りまでに、まだまだこれだけ、
たんまり時間があると思うとニンマリしてしまう。
反対に締め切りまで、たったこれしか時間がないのか、と思うと
非常にふさがれた気分になる。

でも結果は逆のことが多い。

これはなぜなのか、
クリエイティブな意味での「はやく書く」とはどういうことか、
理屈でも、感覚としても、
自分は、まだ、腑に落ちてない。

でも、先日、ヒントになるような話を聞いた。

先日、俳優修行をしている22歳の人と話していて、
彼はここのところ、学校で、
今ハリウッドの俳優さんたちを鍛えているメソッドで、
身体トレーニングをしているということだった。

端的にいうと、からだの中で余分な力が入って
凝り固まっている部分を、意識してほぐす、ということらしい。

余談だけど、生徒さんのなかには、
ほぐしていく過程で、急に声が出たり、涙が出たり、
ということがあるそうだ。

たとえば、仕事でずっと残業がつづいて、
そのころ上司との折り合いが悪く、
それで、背中のある部分に力が入って、力が抜けなくて、
凝り固まったままになった人は、
それからずいぶん月日が経っていても、
その背中をほぐしていく過程で、
残業でつらかったときの記憶がよみがってくる。

失恋の緊張で、腰に力が入ったままになっていた人は、
そこをほぐすと、凝りとともに固まっていた、
そのころの感情が、ふと顔をのぞかせる、
ということがあるそうだ。

とにかく、身体のなかで、
余分な力が入っている部分、部分を、
意識して、時間をかけてほぐし、
身体から余分な力を抜くことで、
彼自身、身体表現がぐっとよくなったという。

身体の力を抜くことで、なぜ、演技がよくなるのか、
という私の問いに、彼は、

「急須を持ち上げ、お茶をつぐ演技で、
 それ以下の力のかけかたでは、急須が持ち上がらない。
 かといってブロックを持ち上げる力でのぞんでは、
 身体に力がはいりすぎて、身体がこわばってしまう、

 動きは、それに対する必要最小限の力でのぞんだとき、
 もっとも美しい」と言った。

反射的に、私が、力みすぎた原稿はうまく仕上がらない
ということを言ったら、
「パンをつくろうとして、レンガになる」と言われた。
私は、書くほうも、読むほうも重苦しい、
岩のようになった原稿のことを思った。

はやく書いた文章のほうが、
行きたいところの輪郭が鮮やかになるのは、

執着とか、私を見てという欲が、
ばらばらと剥がれ落ちて、意識しなくても、
いちばん言いたいこと=メインテーマが浮上するのと、
そこに向けて、一気に駆け上がる過程で、
余分な力がはいらないということもあるんだろう。

いたずらな場所で、余分な力をかけないことは、
いたずらな場所で、読者の足をとめないということでもある。

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お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)

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2006-10-18-WED
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