YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson318 希望のある日々

どうも最近、希望の量が減ってきているような気がする。

私は、6年ほどまえに独立し、しばらくは、
どうやって社会にエントリーしていいかわからず、
収入もなく、4年間は赤字の、
先の見えない生活をしていた。

なにかしようとすれば、たちまち失敗し、
へこみ続きの日々だったけど、

なんだか正体のわからない希望があった。

いま、おかげさまで食えている。
なのに妙だ、
6年前の方がよっぽど希望があった気がする。

希望といえば、

生徒さんのスピーチで
とても印象に残っているものがある。
生徒さんのことなので、プライバシーに抵触しないよう、
改変をくわえて紹介しよう。

その人は、男性、29歳。

小学校5年のとき、引っ越したが、
その土地が、工業排水で汚染されていたために、
重い皮膚病にかかった。

学校を長欠せざるをえず。
いくぶんよくなっても登校しては、休み、を繰り返した。

どうにか学校に行けるように体調が回復したとき、
ひとりの友だちもおらず、クラスにもなじんでおらず、
それがもとで、いじめに遭うようになった。

こんどは、それで学校にいけなくなるうち、
勉強にもついていけなくなり、
集団生活にも、
どうはいっていっていいか、わからなくなり。
なんにも身につかないまま、
大学受験も、あきらめざるをえなかった。

人や社会にはいってゆけぬまま、
20代後半まできてしまったという。

その日々は、
何の経験も積まず、何のスキルも身につかず、
無意味なこと、このうえない日々だったと彼は言う。

このまま20代が終わるのかと思ったときに、
これじゃいかん、と、
一念発起して、就職しようと試みる。

しかし、落ちて落ちて落ちまくって、
150社は落ちたという。
その果てに、やっと、ある会社に社員として採用された。

悲劇はここからだった。
仕事にまったくついていけない。
なにしろ、学校にいたときから集団経験がなく、
その後の社会経験もない。
他の人が普通にやっていることが彼にはできない。

社会経験がないとはこういうことか、
なにも能力を身につけないとはこういうことかと、
日々重い知らされ、落胆し、
それでも必死でついていこうと思い、
しかし、何も身につけられなかった日々は
大きく埋めようなく、
せっかくつかんだ就職を、
自ら辞めざるを得なかったという。

この大変な人生を語る彼の言葉が、
不思議にさわやかだった。
最後の
「これからは人とつながっていきたい」という言葉が、
聞く人を勇気づけた。

「希望」という印象を残したスピーチだった。

彼より易しい状況にいても、暗い印象を残す人も多い、
彼の非常に大変な話しが、
爽やかであったのはなぜだろう?

「いちばん底を知った人間は明るい。」

と、仕事仲間のH先生がいった。
暗い人は、まだ、いちばん底まで落ちてはいない。
どこまで落ちるのか、どこがいちばん底なのか、
わからないから不安なのだ、と。

H先生は、いわゆるニートの人たちの、
社会復帰のためのカウンセラーをしている。

ニートになる原因はさまざまだが、
それまでずっと順調にやってきた、
それがあることで突然挫折を味わう。
そこで、
社会と関わる道を閉ざしてしまう人が多いそうだ。

H先生は、進路発見について、こんな話をしてくれた。
自分のこれからを決めるとき、
3つの要素で考えるといいと。

やりたいこと(WANT)
できること(CAN)
やるべきこと(MUST)

やるべきこと(MUST)というのは、

たとえば、受験生が受験勉強をしなければいけない。
親の介護が発生したから、それにあたる。
病気になったから、直さなければいけないなど、
人生の岐路で、いやでもでくわす、
自明な、やるべきことだ。

できること(CAN)というのは、

私だったら、たとえば、
小論文の編集をやってきたので、
小論文指導ができる、編集ができる、など、
経験・能力を積んできた、できることだ。

やりたいこと(WANT)というのは、

小学校の子が、パイロットになりたい。
海外で暮らしたい。
もっと面白い仕事をしたい、など。
文字どうり、夢、あこがれの、やりたいこと、だ。

CANは過去。WANTは未来。
と先生に聞いて、MUSTは目下の課題だから現在だな、
と思った。

この話、なんども聞いていたにもかかわらず、
いまさらのように響いたのは、
たぶん私がいま、進路に迷っているからだ。

「私は6年前会社を辞めて、
 会社員からフリーランスへ、編集者から書き手へと
 アイデンティティを組み替えた。
 もう、あんな大変なことは
 こりごりだとおもったけれど、
 再び、自分は何をしたいのか、
 グラグラしはじめている。
 次のアイデンティティクライシスは
 意外に早いかもしれない」

H先生にそう言ったら、
「それは、きちんと前に進んでいる証拠です」
とほめられた。
同じところにいたらグラグラも起こらないからと。

やりたいこと(WANT)
できること(CAN)
やるべきこと(MUST)
このうち、どれを、
どうすればいいのだろう? H先生は、

「CAN(できること)は、ほっておいても太る」

と言った。なるほど、そのとおりだ。
能力や経験がある部分は、
自分で伸ばそうとしなくても、
人から自然に必要とされ、
出番が多く、鍛えられていく。

私の場合も、小論文編集の経験があったゆえに、
小論文、文章表現、コミュニケーションの仕事が
自然と求められた。
いま思えば、CAN=過去の経験やスキルの部分が、
再び社会に入っていくときの手綱となった。

ところが、私はといえば、
16年会社にいたものだから、
今までできなかったことをやろう、
新しいことをやろう、と
WANT=やりたいことにばかり首を突っ込んだ。
そして、ことごとく挫折してはへこんだ。
あたりまえだ。やりたいこと=WANT、は未来。
未来のことには、
だれでも経験はまだない、スキルもない。

迷走しても、わたしは、WANTに手をだしつづけ、
そして、うまくいかなくて、へこみつづけた。
それでもなんか、わけのわからない希望があった。

私にとって希望がある日々とは、
WANTがある日々のことだ。

そう思って「はっ」と気づいた。
あの150社落ちた青年は、
150社落ちている最中は、
まだ苦しみの底にいなかった。
就職するまでは、まだどこかで、自分はできるのに、
機会に恵まれないという想いがあったかもしれない。
自分に幻想があるうちは、まだ、いちばん底ではない。

ところが就職して、
自分がまったくついていけないことを知る。
いちばん底を知ったことで、
彼は希望を見つけた。なぜか。

自分にはCANがないと気づけたからだ。

がんばって前に進んで、就職したからこそ、
CANがないことに彼は心底気づいた。
CANがないなら自明だ、
あとはMUSTとWANTあるのみだ。

WANTにアプローチしている日々が、希望のある日々。

私の場合、社会にエントリーできなかった日々の中で、
CAN=過去の経験やスキル、を活かすことに
もっと早く気づいていれば、
もっと早く、もっとスムーズに
社会に入っていけたかもしれない。
でも、それが、面白かったかどうか?

失敗しつつも、
こりず、WANTに手をだしつづけた。
それがよかった。
だから、少しずつでも前に進んでこられたのだ。

独立6年するうちに、
新しいことも、次第にCANになっていく。

ふと気がつくと、CANで手一杯の自分がいた。
過去の経験・スキルを太らせてばかりでは、
それは、希望は減るだろう、といまさらながら思った。

私は、中年から老年になっていっても前に進んでいたい。
面白がって、面白いことをやりつづけていたい。
次のアイデンティティクライシスがきても、
乗り切っていきたい。
だから、そのためにいま何を重視するか、といわれたら、

WANT=やりたいことにアプローチする

と答えるだろう。
CANは、ほっておいても太る。
MUSTは、進み続けていれば、
人生の岐路で必然的にくる。

WANTは未来。
未来に対する経験もスキルもまだ、ない。
WANTにアプローチしつづける日々とは、
失敗の多い日々だと、私は思う。

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お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)

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2006-09-27-WED
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