YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson316 電子メール取り扱い説明書2

花子さんが太郎さんに、
またいつもの職場の愚痴を言いました。

さて、いちばん聞き上手な太郎さんは、
次のうちのどれでしょう?

1. 実際に会ってやりとりしたときの太郎さん
2. 電話でやりとりしたときの太郎さん
3. 電子メールでやりとりしたときの太郎さん

例外はもちろんありますが、
私は、花子さんは、おそらく、
電子メールの太郎さんを、
いちばん聞き上手に感じるとおもいます。

「対面」と「電話」にあって、
「電子メール」にないもの。
それは、自分が話している最中の
「相手のリアクション」です。

きょうは、まず、2通の読者メールからお読みください。

=<いきなり「不倫…」で始まるメール>

先週のコラムを読んで、
よしもとばななさんが

言っていたことを思い出しました。
彼女のところに来る「日本人からの」手紙は
本の感想もなにもなく
いきなり「私はいま不倫を・・・」とかって
始まっちゃうものが大変多いとのこと。

相談ですらなく 
ただ自分の話をしちゃう手紙。

私が思うのは やっぱり 
誰かに言いたいってだけなんじゃないか

ということです。
そういう人ってなんとなく重い、
というか厚みのある話をしている

人の空気を察知して
自分の重さをそこに

重ねたい感じなのかしらと思います。
ほんとうに、カウンセリングとか行ったらいいのに。
解決する という腹がないんだろう。
(29歳・会社員・女性


=<違う距離の人間が、ツールひとつで同一距離に>

昔なにかで、学校の先生が生徒たちと
メールや専用掲示板などで
コミュニケーションをとっている
という話題を目にしました。

そうすると、生徒たちから
今までになかったような反応が返って来るそうです。

メールで「宿題忘れないように!」と送信すると
次の日の宿題提出率が飛躍的に上がったり、
ちょっとした悩み相談なんかが送られてきて
問題解決に一役買ったりしたそうです。
生徒たちからも「この先生は頼りがいがあって、
信頼できるいい先生だ」と評判もいいそうです。

また、一人暮らしをするようになって
父親と携帯メールのやり取りをするようになってから
父親が好きになった

という話しも見たことがあります。

一つ屋根の下にいる頃は
「父親なんて古臭い考え方で、

 何を話しても通じない。
 話するのもいやだった。
 でも、メールをするようになってから
 父親の気持ちが理解できるようになった」

そうです。

ネットのない時代には、
本か雑誌の文章を読み、
テレビで姿をみることしかできず、
遠いところにいる人だったコラムニストも、
学校の先生も、父親も……。

それぞれ立場も距離も違う人間が、
「メール」というツール一つで
同一の距離の人間に

感じてしまうのではないでしょうか。

先ほどのメールで人気者の先生は、
メールでコミュニケーションをとるようになって
困ったことの一つに
「先生」が「友達」と
同格になってしまったことをあげていました。

本来なら先生には話さないだろうことまで
メールで気軽に報告してくる生徒が増え、
対応に頭を悩ませたり
「返事が遅い」といじける生徒が出てきたり。
(みゅー


私も、読者ではなく、まったく私生活で、

知人を介してたまたま一回、
会食の場で同席した人、とか。
2、3回たまたま用事であって、
あいさつ程度の会話をしただけの人から、

めちゃくちゃディープな相談が、
どどーんとメールで送られてきて、
残念におもったことがある。

これは、電子メールならでは、のことのように思う。

これを実際に顔を合わせてやるとしたら、
「はじめまして」と名刺を交換し、
「今日は、いいお天気ですね」のあとに、
「じつは私いま不倫してまして……」
とやるようなもの。

電話でも、まず、やらない。
「もしもし、私は先日会食で同席したものです」
「ああ、そのせつはどうも」
「じつはいま妻とはドロ沼の関係でして、
 今日はそれをきいてもらいたくてお電話しました、
 突然ですが、ちょっ、ちょっといいですか……」
とは、やらないし、やらせないし。

きっと電子メールを書いた本人も、
書いてる途中に盛り上がり、
ここまで書くつもりはなかったと、
書いてしまっておどろいているのかもしれない。

どうして電子メールならできるかというと、
電子メールを書かれている最中、
書かれている相手には、
その話を拒否する自由がないからだ。

冒頭の、太郎さんと花子さんの例で言うと、

花子さんが、またいつもの職場の愚痴を太郎さんに
話しはじめたとき、

顔を合わせていれば、太郎さんは、
「また、その話か、悪いけど今日は俺もへこんでるんだ
 もっとたのしい話題しよう」
と、はなから話を聞くのをこばむかもしれない。

あるいは、太郎さんは、
電話で花子さんの話を聞きながら、途中でいやになって、
「悪いけど、あした、はやいから、そろそろ」
と、話をさえぎるかもしれない。

そこまではっきり、こばまなくても、
たとえば、「うわの空で聞いている」
「お店のマスターと話し始める」
「ちゃちゃをいれる」など、
表情や態度や言葉のリアクションで、
その話に乗れていないことをやんわり伝え、
やんわり逃げることもできる。

「対面」と「電話」の場合、
相手には、その話を最後まで受け取らない自由がある。

人間は、言いたいことを
言わせてもらえなかったり、
途中でさえぎられたりすると、
ストレスを感じる。
花子さんは、話す最中で、
さえぎられたり、いやな顔をされたり、
ヘンなリアクションをはさまれると、ストレスがたまり、
太郎さんにマイナスの感情を抱きやすい。

「電子メールの太郎さん」だけが、
花子さんからみたら、
言いたいことを
最初から最後まで、こばまず、さえぎらず、
いっさいのよけいなリアクションをはさまず、
聞いてくれる、
聞き上手このうえない存在だ。

言いたいことを最後まで、一気に言い切ったとき、
人はすっきりする。
花子さんには、書き上げたとき、
この時点で、非常に満足感がある。
まだ、送る前から、太郎さんへの好感を高めやすい。

ところが、そのメールを受け取る太郎さんは微妙だ。
本来、その話を受け取らない自由、
途中で拒む自由、最後まで聞く自由と、
3つの選択肢があったはずなのに、受信と同時に、
選択肢がひとつに限定されてしまうからだ。

同じ、最後まで聞くという選択肢をとったにしても、
会ってなり、電話なり、
その気になれば拒めるという状況で、
自分の自由な意志で、最後まで聞く、
と決めて聞くのとは、
太郎さんの納得感がちがう。

さらに、メールを「受信」することと、
そこに書かれている中身を「受け取る」ことと、
中身を「受け入れる」こととは、大きくちがう。

しかし、太郎さんの顔も見えない花子さんには、
この3つのどれか、という判定は、むずかしい。
最後まで言いたいことが言えた=最後まで聞いてくれた
=わかってくれた、想いこみやすい。

一方、太郎さんの方は、
メールを見てうんざりし、ナナメに読み、
「ああ、もう、うんざりだ、わかった、わかった」
というつもりで、返信に、

「わかった、大変だな、明日もがんばれよ!」

と書いたかもしれない。
そうではなく、花子さんのメールを心から受け入れ、
親身になって、想いをこめて、

「わかった、大変だな、明日もがんばれよ!」

と書いたかもしれない。でも、電話のような声の抑揚、
手書き文字のような味、いっさいのニュアンスがない、
メール文書では、そのどちらなのか判別がつかない。

ここに、花子さん側の幻想が生まれやすい。

では、どうすればいいか?

人と人との間には距離がある。
距離があるから素晴らしいと思う。
とくに初対面のときは距離はおおきく、
それは、お互いの人生、選択、背景が違う、
かけがえのない存在であることのあらわれだ。
この距離を縮めていくことに、
親しくなっていく楽しみがある。

それで、話にはふつう2種類ある。

1.自分が言いたい・相手に聞いてもらいたいこと
2.相手が聞きたい・相手が聞いてうれしいだろうこと

それで、相手との距離が遠いとき、
とくにメールでは、2を多めに、を意識して書くといい。
そして、1は、対面など、
相手がリアクションできる場で、
相手のリアクションをみながらやるといい。

実際、一回あっただけの人でも、
どこどこに、おいしい店があったよ、
いついつ、こんなライブがあるよ、
というような
「役立つ知らせ」「たのしい情報」を交換したり、
ちょっと面白いこと、共感できたり、
ちょっと元気がでるような話を
メールでやりとりしながら、
だんだん仲良くなっていくのは楽しい。

しかし、2の
「相手が聞きたい・聞いてうれしいだろうこと」とは、
何が相手にとっておもしろいか、おもしろくないか?
実際、話してみないとわからない。ここがミソだ。
もしかすると、自分が切実で、
話さずにはおられなくて、つい話してしまった失恋話に、
かつてないほど、場が大盛り上がり、
なんてこともあるかもしれない。

私のともだちは、くやしいけれど話がうまい。
飲み会の席で、それこそ、ほぼ初対面の人にも、
不倫の話や、ディープな身の上も話すのだけど、
はなしがとっても面白いので、
皆おおわらい、場はもりあがり、
その日、はじめて会ったひとからも好かれている。

面白いというのは偉大なことだ。

「メールには、基本的には、
 役立つ知らせ、共感、発見、面白い視点など、
 相手がもらってうれしいと思えることを書きます。

 メールを送信する前に、自分が相手だったら
 このメールをもらってうれしいか? 
 とチェックしてみるといいでしょう。

 相手にとって、
 あんまりうれしくない話だと思える場合、
 メールを使うのは避けて、
 対面か、すくなくとも電話か、
 相手が、その話を聞く、聞かない、のところから
 自由に選択できる場で、相手の反応を
 キャッチボールしながらやるとよいでしょう」

私だけの電子メール取り扱い説明書にはそう書いてある。

これは、相手がドン引きするか、
もしかすると大ウケか、話してみなければわからない
微妙なラインの話をするとき、

これは、電子メールではなく、
実際に人がいる場で、ライブで話してみるといい。

相手からいやな顔をされる、
ということを恐れてはいけない。

それを恐れたら、メールやネットは臆病者の温床になる。

人からいやな顔をされる、
というのは、すごくいいことだ。
「こういう話は人はいやがるんだな」
という加減がわかるし、次からしなくなるし。
自分の感覚が磨かれていくし。

いやな顔ひとつをされないメールで、
独壇場になっていくことこそおそろしい。

自分に対して親身になってくれている人ほど、
いやなときは嫌な顔をし、
たいくつなときはたいくつな顔をし、
正直な反応を通して、
自分に警告を発し、自分を引き出し、鍛えてくれる。

人からいやな顔されたり、
引かれたり、意外にウケたりと、
はやいうちにどんどん恥をかき、
どんどん失敗しながら、
実地でどんどん
面白い話ができるようになっていけるといいと、
私自身おもっている。

いま修行中だ。

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お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)

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2006-09-13-WED
YAMADA
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