YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson 288  いつかより強くなって


いわゆるいい大学を出た友人が、
久々に大学のときの同級生の集まりに行って、
みんな学生のときとは、うって変わって、
「ゴルフ」と「株」の話しかしないことに驚いたという。

友人は、いっこうにその話のトーンにのっていけない。

なんだ、なんだ、
学生のときは、みんなもっと面白かったのに、
なんで「ゴルフ」と「株」の話しかしないんだろう?
とよくよく考えて、こう思ったそうだ。

彼らは、人生を“あがり”ととらえているんだな。

だから、自分とは話しがあわないのだ、と
「自分はこれから」と、もがいている友人は、
遠い距離を感じたそうだ。

すごろくの“あがり”。

“あがり”の定義は、それぞれなんだろうけれど。
このくらいのレベルの企業にはいって。
何歳までには、エグゼクティブになって。
何歳までには、年収これこれを達成して。
すくなくとも何歳までには、
きれいな奥さんと結婚もして。
どこどこに、これくらいの家は建てて。
外車を買って。
子供は何人もって。貯えはこれくらいになって。

で、そこまでいったら、“あがり”。
あとは、余裕をかまして、浮いた時間を、
ゴルフと株……、どうも、そういうこと、らしい。

“あがり”の人生だと、
すごろくを考えても、はやいもの勝ち。
ゆっくりいこうとは考えない。

いかにはやく、いかにラクにあがるか、
ということになり。

その場合、スタート時点で、
いかに有利に立つかが問題になる。

で、いい大学に入っておけ。
さらに、先手を打っていい中学・高校にいっておけ。
さらに、さらに、先手を打って、いい小学…、幼稚園…、
お受験は過熱する。

どうしてこういう生き方に、
自分は、ものすごい距離を感じてしまうんだろうか?

私の身近にもそういう人がいたのだけど、
“あがって”、で、何がしたい?と問えば、
“趣味”しか出てこなかった。
趣味は趣味でも、いろいろある。
人生のまんなかにくるような趣味なら
わくわくするんだけど。
その人が言ったのは、ほんの趣味程度の趣味で。
“あがって”、で、その先が見えない。

いつかより強くなって……。

私も、そういうことを考えた時期があった。
私は、以前勤めていた会社に、正式に採用される前に、
まる3年、日給の編集アシスタントをしていた。

年も、経歴も変わらない社員の人と、
日々、顔をつきあわせ、仕事内容から、給料から、
あらゆる面で、
激しい待遇の格差をつけられつづけているのは、
きびしくて。

同じ日給仲間が、結婚でいちヌケしたり、
社員に登用されて、にヌケしたり、
そういうときに、取り残された気がして、
同じ日給の友だちと、口ぐせのようにいっていたのは、
「30になったときには、笑っていよう」だった。

そのころの私は、おかんに会うたびに、
「いつか私が、たくさん稼いで豪邸を建ててあげる」。
いっつも、いっつも、
会うたんびに言っていたように思う。

なんで、あんな大風呂敷を
ひろげなきゃならなかったんだろう?

豪邸じゃなくて、他の方法ではだめなのか?
いつか、じゃなくて、いま、なんかしてあげないのか?

いまは、私は、こういうことを母にいっさい言わない。
(豪邸を建てる
 お金ができてから言えー、と言われそうだが)。

母は母で、いなかの、血縁、地縁のある面々と
きわめて楽しくやっている。
豪邸を持つことが、母の幸せではなさそうだ。

それに、いま思えば失礼な物言いだ。
田舎のささやかな家だけど、それでも、
父と母が、苦労して建てた、かけがえのない家だ。
あのころ、どうして、
そういう風に見れなかったんだろう?

いつかより強くなって……。

よく男の人が、「いまの自分じゃだめだから」
より稼いで、より地位をあげて、
好きな人にプロポース、とか。

女の人が、「よりやせて」「よりキレイになって」
そうしたら、なんかいいことあるかも、と
せっせとエステに通ったり。

でも、そういう考えがなかなかうまくいかず。
実際にお金持ちになって、
地位も向上した男がプロポースしたら、
相手には、もう、他に好きな人がいたり。
しかも、その好きな人というのが、
お金も地位もない男だったりすることもある。

私がたまにダイエットと称して、
食べる量が少なかったりすると、家族がそのそばから、
「痩せてもブスはブス」と突っ込む。
それもそうだな、と思う。

いまの自分が、しいたげられてつらいから。
いまの自分じゃだめだと、自分で思い込んでしまって。

いつか、より強く、より大きく、よりきれいになって……
と「いつか」に夢を託すけど、

いま私は、そういう考えをすてなきゃいけない、
むしろ、「あがら」ないようにと、注意している。

私は、近年で、もっとも友だちができた年があって、
それが、2000年の、
自分が人生でもっとも「トホホ…」な時期だった。
仕事はないわ、金はないわ、立場はないわ。
あの時の自分は、いまの状態がツラクテ、ツラクテ、
この状態から早く脱出したかった。
早く「何者か」になりたかった。

でもそんな自分が、
いちばん、人とつながる力を持っていた。

先日、『おとなの小論文教室。』単行本3巻のために、
ひさびさに、当時の、
友だちとのメールのやり取りを見たが、
こっぱずかしいけど、青春している。
やれライブだ、やれビデオカメラを買いにいくだと、
会う口実をつくっては、会いたかった。
飲みに行って、
でも話し足りなくて、泊り込んで語り明かして、
めちゃくちゃまじめに創作への想いを語りあっている。
メールだけ読んだら、十代、二十代のような熱い友情だ。

あれから新しくともだちができてない。

あれから仕事は増えたし、一応肩書きもあるし、
しいたげられてつらくてしょうがない状態は脱した。
夢だったテレビに
出させてもらったことは本当に嬉しかったけど、
自分自身の課題として、
人との距離をとるのがとても難しくなったように思う。

自分を固めるアイテムが増えれば増えるほど、
自己完結した、閉じた状態になるような気がする。

いま、私が魅力を感じる人は、
お金とか、地位とか、権威とか、
自分にはりつける強いアイテムを何一つ持たず。
「自分はこれからだ」ともがいている人たちだ。

弱いからこそ、ひらいている。
そういうむき出しの表現は、やっぱり強い。
人を引きつける。

ワークショップに、
いまの自分をなんとかしようと思ってきている
生徒さんたちを見ていると、
なんともきらきらと、そのままで、気持ちがかっこいい。
友だちができそうな、いい風が吹いている。

いつかお金持ちになって、
プロポースをと思っている人は、
相手がもしかしたら、そこで選んでないかも、
「では、どこで?」
ということを直視しなくてはいけないし。

いつか、やせて、きれいになって、
という人は、相手は太った人が好きかもしれない。
聞いてみなくてはわからないし、
課題はそこではないかもしれないし。

日給の自分は、
そのままで母を喜ばせる道はあったはずで、
そこから目をそらしてはいけなかった。

より強いアイテムで身を固めようとするとき、
寂しいのかもしれない。
その寂しさを満たすのは、
そんな大きくたくさんのものでなく、
たった一人、自分を理解してほしいと人と、
心から通じ合う時間かもしれない。

いつかより強くなって…という視線は、
その真の課題に向き合う億劫さから、
目をそらすのに、使われやすい。

いまの自分のまんま、そのまんま、
いま、ぶつかってみたらどうか?

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『おとなの小論文教室。』河出書房新社


『考えるシート』講談社1300円


『あなたの話はなぜ「通じない」のか』
筑摩書房1400円



『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円


内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)

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2006-02-22-WED
YAMADA
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