YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson 286  
つまらない大人になりたくなかった自分へ


「自分は中身のうすい、つまらない人間だ。」

まざまざとそう思い、ガクゼンとしたことがある。
会社に勤めて、十数年たち、
仕事がのりにのっていたときのことだった。

仕事で、後輩とふたり、
タナカカツキさんのところに行った。

次から、次へと、繰り出される、タナカさんの、
意表をついた、可笑しい、
でも、哀愁があったり、温かかったりするトークに、
後輩と私は、笑いっぱなしで。

おなかがよじれ、
なんともいえない至福感に満たされて帰った。

次の日、

クリスマスかなんかだった。
いつもは、そんなことしないのに、
私と後輩だけが、なぜか、しめしあわせたように、
みんなにプレゼントを買ってきていた。
そして、みんなに配っていた。

ギフト。

どうしてか、
あの、タナカカツキさんに依頼に行った時間の中で、
私も後輩も、
なにか多くを与えられたような気持ちになっていた。
それでなにか、
周りの人にプレゼントせずにはおられない、
そんな感じになっていた。
タナカカツキさん効果だ。

人が独創的であるっていうのは、それだけで、
こんなにも、まわりに放っているもんなんだな。

それで、自分は、というと、
「はぁー」とか、「へぇー」とか、
ただ関心して、ただ笑い、ただ与えられるばかりで、
気の利いたリアクションひとつできなくて。
あまりにもサラリーマン然として座っていた。

この日が、はじめて、ではない。

仕事をとおして、デザイナーとか、作家とか、
多彩な人物と関わるたびに、
少しずつ、少しずつ、
自分は面白みに欠ける、中身のうすい人間ではないか、
という感覚がよぎっていた。

うすうすわかっていた。

この日、とうとう、ごまかしようなく、
それが、飽和点に達しただけのことだ。

なのに、自分は、
なぜ、あんなにショックを受けていたんだろう?

自分は面白い人間になりたかったんだな。

仕事を通して、いろんな面白い人と会えて、
自分が磨かれていくような気がしていて、
こういう人に会って、多くを吸収していれば、
自分もいつか、あんなふうに輝く人になれると、
どこかで期待していたのだ。

でも一向に、そっちへ行ける気配がない。

これは「才能」の差か?

当時の私のパソコンは、
「な」、と入れると、

「何卒よろしくお願いいたします。」
が一発変換で出るようにしていた。
メールのはじまりは会社のきまりで、
朝でも夜でも「こんにちは」だった。

「こんにちは」ではじまり、
「何卒よろしくお願いいたします。」
で終わる、私のメール文書。

何かがかたまりつつあった。

「お世話になっております。」

先日、電話の向こうの人は、
生まれて初めて話す私にそう言った。
「えっ、お世話って、まだ何も……、」
と、つまっている私に、おかまいなく、
つぎつぎと、会社言葉で、たたみかける。

「弊社では、……となっております。」
「通常は、このようにさせていただいております。」
「この場合は、
 こうさせていただくことになっております。」

年齢をきいて、20代というからびっくりした。

最近、気になってしょうがないのが、
まだ20代だというのに、
すっかりカタチにはまってしまって、
ことばも、ふるまいも、がっちがちに組織で固めた
おじさんのような若者だ。

礼儀ただしいのはいいことだが、
何も若いうちから、こんながっちがちに固めなくても。
話しているこっちの方が疲れるというか、
なにしろ、本人と話している感じがしない。

たいてい、こういう人には厳しい上司がいる。

二言目には、上が、という。
自分がしたいことがあっても
上司がそれを許さないと。

就職難をくぐっていく若者は、
まわりの大人の期待や意図を読み取るセンサーに
すぐれている。
読み取って、器用にそこに、あわせられる。
まわりを読み取りすぎて、
先回りして、それにあわせて、
あわせすぎて、疲れている。

彼らは言う、
「こんなはずじゃなかった、
 このままここにいたら、
 自分がどんどん
 つまらなくなっていくような気がする。」

こういう人は、人から吸収することに熱心で、
それゆえに、染まりやすい印象がある。

私が、
「自分の言葉を持って」というようなことをいうと、
それをまた、非常に素直に汲み取って、
上司に反発したり、上司とバトルする人もいる。

でも、それが受け入れられないと、
また自分を責めたり、会社を辞めたいといったり。

でも、いまになって、私は、思うのだ。

たとえ、そこで、
上司のいいなりにならなかったからといって。
いや、そこで、上司とバトルをして、
完全な勝利を収めたからといって、
かりに、会社をやめたからといって、
そのことと、自分が思うような
面白い人間になっていけるかどうかは関係ない。

同様に、生まれながらに持っている才能、
感覚がいいとか、
記憶力がいいとか、
頭の回転が速いとか、
そのことと、自分が思うような
面白い人間になっていけるかどうかも関係ない。

「組織」が、「才能」が、と言っていた私は、
だからつまらなかったのだな、と
いまになって、思う。

先週、講演に行ってきた。
いつものことだが、何百人という人間の前で、
私のために、
わざわざ足を運んでくださった期待の前で、
自分の腹から出たものだけで、
しかも言葉だけで、
勝負をしなければいけない、というのは、
本当に孤独で、プレッシャーがきついことだ。

何回もやって、慣れてきたつもりでも、
講演前にテンパって
人を傷つけたりしている自分を見ると、
「ああ、恐いんだな」と、
自分は、自分の腹から出たもので勝負をするのが、
ほんとは恐いんだなとわかる。

そういう、いまになってわかる。

あの日の、タナカカツキさんの面白さ、
つぎつぎと弾丸のように繰り出された面白トークは、
才能一発、手品のようにポンと出てきたものじゃない。

8歳のころから
マンガ家になりたかったと言うタナカさん、
自分の腹からひたすら何かを生み、
それを形にし、人になげかけ、ということを、
ずっとずっとずっとずっと、やりつづけてきた。

その孤独な時間の積み重ねの上に、
あの1日があり、
あの、つきぬけるように面白い話がある。

「才能」の一言で片付けて、
その孤独も、生む苦しみも、
コツコツした時間の流れも
見えてなかった私は、
だから、つまらない人間だった。

自分の言葉で話しているようでいて、
いつのまにか、会社の代弁者になっていたり、
スペシャリストの引用になっていた。

あの日の私に必要だったのは、
組織に反発することでも、
才能がないと自分を責めることでもない。

自分の腹にあるものと向き合い、
それをごまかさず、横着をせず、
コツコツと形にしていく習慣だったのだ。

「な」、と入れると、
「何卒よろしくお願いいたします。」
が一発変換で出る。
それで、ほとんどの手紙を締めくくっていた。

そこに、想いを形にすることに、
いかに横着だったかという自分の姿を見る。



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『おとなの小論文教室。』河出書房新社


『考えるシート』講談社1300円


『あなたの話はなぜ「通じない」のか』
筑摩書房1400円



『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円


内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)

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2006-02-08-WED
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