YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson269  連鎖4――再会

「恋愛」という言葉には、
まったく反対の言葉が同居している。

「恋」は、「くれ」のかたまりだ。

とにかく、「ほしい、ほしい」
「くれー、くれー」と言っている。

「愛」は、無条件に「与える」。

宗教もなく、また、こどももなく、
どっちかと言えば、
与えるよりは「くれ」という性格で、
どうも、愛をかたる資格のなさそうな私だが、

読者を想うとき、
これは、愛ではなかろうか、とよぎることがある。

とくに、編集長をしていたころ。
ことばにすると、ペラペラでうさんくさいんだけど。

愛があふれてくるように感じた瞬間があった。

それは、会社の、とりたてて何もない日常の、
いつもの見慣れた光景のなかで、
ふと訪れる。
ふとおとずれるから、とまどう。
でも、そんなときは、とまどいながらも、
読者を想う。

ただ、じっと、想う。

想いがあふれるような感じがして、
私は問いかける。

想いはどこからくるのだろうか?
想いはどこへいくのだろうか?

会社を辞める日。2000年のこと。

予想もしなかった、
たくさんの人が私のために泣いてくれた。

その中には、
私とはほとんど私語を交わしたことのない人も、
私のことを、気に食わない、と思っている人もいた。
そんな人は、当然、私がいなくなるのがつらくて
泣いていたわけではない。

だけど、山田という人間がいて、
いいか、悪いかは別として、
なんだかものすごく読者のことを想っていた
ということだけは、伝わっていたようだ。

そういう人間が、読者と引きちぎれるようにして
会社を辞めていく。
ただそのことに、
たくさんの人が、なぜか涙を出していた。

読者の考える力・書く力を生かすことは、
私のすべてだった。

2005年。

9月、大久保、お好み焼き屋さん。

目の前には、海老・イカ・蛸が入って
そばがのったモダンと、
葱もいっぱい、
牛スジいっぱいの、ねぎ焼きが、
めちゃめちゃいいシズルで、
まさに焼けようとしている。

どうにいった手つきで焼いているのは、
このお好み焼き屋さんの御曹司で、
友人の在哲くん(26)。

私は、もう一人の友人、千恵さん(25)と、
「いまか、いまか」と焼き上がりを待っている。

待ちきれない子どもの、私たちのために、
在哲くんは、あらかじめ
スプーン1ぱいずつの、ネタを残しておいて、

鉄板のあいたところに、
超ミニサイズのお好みをつくる。
それに紅ショウガをのせ、
サクッと焼き上げてから、
千恵さんと、私の皿にもる。

さながら、
「焼けるまで、
 これ食べていい子にして待っててね」
という母親の手つきだ。

友人の在哲くんには、ずいぶん助けてもらった。

ちょうど在哲くんにあったころ、
私は、メディアにでることや、
講演などのライブが多くなったころで、
お客さんとの距離感が変わってきて悩んでいた。

音楽をやっている在哲くんは、
よく相談にのってくれた。

在哲くんが夜、都会の路上でライブをやっていると、
無言で近づいてきて、
いきなり太鼓を蹴ろうとする若者いたり。
車の窓からコワモテのお兄さんが顔をだしてきて、
「ここでやるなよそへ行け」と、ドヤされたり、
それがまた、必要な警告になっていて救われたり、
という話をしてくれた。

在哲くんは、いつも地面に太鼓を置いて、
その前に座る。

その位置から、お客さんを見ている。
その位置から音楽をやっている。
「その位置さえ見失わなければ大丈夫。」と、
在哲くんは、
お客さんとの距離に苦しむ私に教えてくれた。

どうしてか、
私がリスペクトする人に20代が多い。

私は編集者から書き手に転向して、
まだ5年半と浅い。

そんな私が、
書き手として第一歩を踏み出すときから
5年半ずっと育ててくれた編集者さんが、
当時、まだ23歳の、
しかも大学生だったという話は、
あまり知られていない。

出会ったころは、
私は、書き手としてはゼロ歳児だったし。

編集者さんの方も、編集者としてはもちろんゼロ歳。
しかも、社会人としてもゼロ歳、
どころか、まだ学生だった。

ふたりとも手探り。それがよかった。

私が5年半たっても、
まだ書き続けていられるのは、
経験則や、技術に頼らず、よけいな計算もせず、
ただ、編集者さんの中にあった絶対価値、つまり、
「おもしろいか、おもしろくないか」だけを頼りに
導かれたからだと思う。

不調な人間に、誰が見てもわかる、
よくない点を指摘して、
それを直すようアドバイスしても、
意味がないばかりか、
よけい不調にさせてしまう。

だけど、その編集者さんは、
いっさいそれをしなかった。

私自身、生徒を指導するとき、
生徒が不調だと、つい、口を出したくなる。
ときにそれは、生徒のためではなかったりする。

生徒の不調は、
指導者としての自分が悪いのではないか、
という不安がよぎってしまう。
教師のほうが、追い詰められるものだ。

そういうとき、その不安を払拭しようとして、
あるいは、私は、
ちゃんとやるべきサポートをやりました
という外へのポーズとして、
いわなくてもいいことを言ってしまう。
生徒を信じて、
自分でいいものをつかんでくるまで待つ、
ということをつい忘れてしまう。

5年半、書くのに必死で気づかなかった。
不調が長くつづくとき、
自分もつらいが、
編集者さんもつらいのだということを。

5年半のうちの、不調のシーンの全編において
なにも言わずに信じて待ってくれていた。
非常に、まれで、ありがたいことだったと、
いまになって、感謝がこみあげてくる。

編集者さんの歳を意識したことはなかったが、
今年になって、
そういえば28歳であることに気づいた。

何で年齢をあらためて意識したかというと、
今年になって、気づいてみると、
自分のまわりに27歳前後の人が、
あまりにも、不自然なほど、多かったからだ。

30社近いオファーをいただいた中から、
私が「書き下ろしで新しいことに
挑戦させていただきます。
編集を担当してください」と、
こちらから頼んだ編集者さんは、
27歳だった。
自分でも、なぜ、ベテランでなく、
まだ編集歴の浅い人に
頭を下げているのか、意外だった。

その編集者さんは、約2年にわたり、
非常にコツコツとした、丁寧な仕事を通して、
いわば、私の「いまの若者感」を塗り替える
きっかけをくれた編集者さんだった。

この編集者さんに会わなければ、私はまだ、
いまの若者のことを、
帰属意識が薄く、目的意識の薄い、
教え導いてあげねばいけない存在として
とらえていたかもしれない。

幼いうちから、情報的洗練をあびた、
今の若い人たちが、
内面に、インプットによって築きあげた
豊かな世界を持つこと、
そこから、経済効率とは
ちがったゴールを描いていること。
むしろ、彼らが中年になって、
いま、彼らの脳にある未来が
現実の社会に反映されるときに、
居場所を失うのは、
自分たちの世代ではないかと気づかされた。

こちらから、
若い人と仕事をしようと近づいたことはない。
なぜか、むこうから、一緒に仕事をしたいと
手を引いてくれる人物、
岐路で、キーになる情報をくれる人に、ここへきて、
27歳前後の人が多い。

そういうのは、確証バイヤスといって、
思い込むと、よけいそう見えてくるものだから、
あえて、そう考えまいと、努力していたくらいだった。
でも、それにしては多すぎる。

つい最近になって、その編集者さんと企画について
話しているときに、ひょんなことから、
その編集者さんが1978年生まれであることに気づいた。

78。

会社で高校生を対象とした編集をしていたころ、
読者を「生まれ年」で管理していた。
だって、
「読者の高校2年生」と一口に言っても、
来年には高3になる。
来年度の企画をたてるようなとき、いちいち
「来年の高2生は……」
「今年の高2生は……」
といっても、わかりにくいし、ごちゃごちゃになる。
だから、「77生」「78生」
「79生」というように、
生まれ年で把握していた。

1984年入社から2000年まで、
高校生を対象とした教材編集をしていた私は、
単純に考えても、
67生から83生まで向き合ったことになる。

なかでも、私が東京に転勤になった年、
私に、「読者とは何か」を
開眼させてくれる契機となった
78生は印象深い。
家族と離れ、東京に一人暮らしをはじめ、
睡眠時間3時間ほどの、企画開発の生活で、
くる日も、くる日も、
高校生、78生のことを考えていた。
高校生が歓んでくれるのだったら
何でもできる、と思っていた。

「想いに想い、考えに考えよ」
というのが、私のいた会社の創業者の口癖だった。

2000年に会社を去るとき、もう一生、
二度と高校生に向けて
編集できないかもしれないと思った。
私のことも、私がつくった教材の名も、
全部忘れていいから、
教材にこめたもの何かひとつ、
「考える力・書く力」のかけらでもいいから、
その高校生の中に生きて、
羽ばたけ! と念じた。

まさか、あのときの高校生が、
こんなりっぱな社会人になり、
さまざまな意味で私を導いてくれようとは。

「ズーニー!」

高校生の呼ぶ声がする。
みると、さっきまで、
講演を聞いていた生徒たちだ。
まるで旧知のように私を呼んで、
一生懸命手をふっている。

いま、私は、全国を講演でまわっている。
おとといは名古屋で
元気な高校生たちに会ってきた。
こうしてまた、違う形で、
高校生に逢っていることが、
不思議で、自然で、うれしくてならない。

想いはどこへいくのだろうか?

想いは消えてなくならない。
形にならなくても想いはある。
人を想うことは無駄ではない。

想いは、伝わる!
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『考えるシート』講談社1300円


『あなたの話はなぜ「通じない」のか』
筑摩書房1400円




『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円


内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)

山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「山田ズーニーさんへ」と書いて、
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2005-10-12-WED

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