YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson262 連鎖

もうすっかりよくなったのだが、
こんなに人間好きな私が、
一時期、人間嫌いになっていたことがあった。

悪意のメールがきたのだ。

メールでは、ほんの小さな批判でも、
予想以上に、身体にこたえる。

文章の教育をやってきた私は、
書き手の根本思想を
よくもわるくも、敏感に受け取ってしまう。

そのときのそれははっきり悪意だった。
私は、生まれてはじめてはっきりと
人の悪意を浴びたような気がした。

「なんで、こんなこと言われなきゃいけないの?
私はなんにも悪いことをしていないのに」
とは思わなかった。

自分がこの人を攻撃したのだろうな。

自分がここで、
コツコツとコラムを書きつづけること。
そのこと自体、
人によっては攻撃ととらえる人もいる。

いや、ある人が、必死で自分を生きている。
そのことだけで、すでに攻撃だと感じる人はいる。
生きてるだけで、すでに攻撃。

表現する以上、覚悟をしなければ。

私は、孤独とか、つらいことへの耐性はわりにある。
同情も心配も、されるのが大嫌いな私は、
だれにも言わず、自分で消化できるとぐっとがまんした。

ところが、メールをひらくことが恐くなり、
まっすぐメールを読むことが恐くなり、
しだいに人と会うことが億劫になっていった。
たったこのくらいのことが、
いったいなんだっていうんだ。
予想以上に、弱かった自分、
それもショックで、受け入れがたい事実だった。

思ったほど自分は強くはないんだな。

しばらく人との距離をおいていれば
一人じっと耐えれば、立ち直れると思った。

ところが、その、
いちばんそっとしておいてほしい時期に、
よりによって、母が田舎から出て来てしまったのだ。

私は、自分の腹の中で、
受け止められず、消化しきれなかった悪意を、
母にあたる、という最悪のカタチで発散してしまった。

母を泣かせてしまった。
母は顔が引きつっていた。

母がいったい何をしたろう?

あたられても、
母は、私を決して攻撃することはなかった。

私にご馳走をしてくれ。
一人買い物に出ても、
自分のものなどほとんどかわず、私にハンカチを買い。
親戚のだれだれさんに、ご近所のだれだれさんにと、
人のものばかり、つつましいけれど、
綺麗で相手を思いやったお土産ばかり、
買ってきては、ほんとうにうれしそうにみせてくれた。
私を励まして、つとめて明るく帰っていった。

そんな人を私は傷つけたのだ。

私は、自分の持ちきれなかった悪意を、
自分より弱い、なんの罪もない母にぶつけてしまった。
そのことにさらに落ち込んだ。

どうして、悪意は、
強いものから、弱いものへ、
権力のあるものから、ないものへ、
おとなからこどもへと、はけ口を求めるのだろう?
そうして、最後は、私のような
意地の悪い人間のところをするっと通り抜け、
こどもとか、お年寄りとか、
まったく罪のない人のところへいく。

ふと、田舎に帰った母は、
父にあたるだろうか、と思った。
そうしたら、父はそれをどうするだろうか?

メールから来た顔も知らぬ人の悪意、
それが、私にきて、
私が弱さでもちきれず、母にぶつけ、
それを母がもちきれず、帰って父にぶつけ……、

悪意は連鎖する。

そう思ってはっとした。
私に悪意を向けた人、
その人の悪意はどこから来たのだろう?

その人も、私と同じように、
思ったほどは強くはない人間で、
私と同じように、消化できない悪意を受けて、
それを私にリレーしてしまったとしたら。

私の頭を、私がいままで傷つけてしまった人々、
私のせいで人に不快を与えてしまった数々の経験が
駆けめぐった。

あのときの、またあのときの、
自分が人に与えたストレス、
それが、めぐりめぐっていま、
自分に帰ってきているような気がした。

強いものから、弱いものへ
小賢しいものから、無垢なものへ
連鎖し、社会をめぐるストレス。

きれいごとでなく、
「ちゃんと生きなければ」と思った。

人は思ったほど強くない。
人にはできるだけ、優しくしなければと。

お盆。

家に帰ると、
母の顔ががっくりとふけていた。
顔がすこしくろずんで、ちょとちいさくなって、
そのぶんシワがふえた。

お肉を私たちにばかり食べさせて、
あまり食べていない。
母にそれを何度か聞くと、
胃かいようだと言った。

私は、サッと血が引く感じだった。
私があの時、母に与えたストレスだと思った。
全身が自責に冷えた。

私が母に与えたストレス、
母は、それを父にリレーしなかった。

私は、母の胃のあたりをじーっと見つめてしまった。
母はここ(腹)で、悪意の連鎖をとめたのだ。

あの、メールから来て
わたしにリレーされ、私が弱くてもちきれず、
母にあたりちらした悪意が、
リレーもされず、消えもせず、
ここにあるのだと思った。

私が自分のわがままで仕事をするのもいい。
自分は強いと、
自分で責任取れると、自負するものいい。
冒険だって、賭けだって、失敗だって、
何だってすればいい。
でも、実際、自分で責任取れてないではないか。
こういうカタチで
家族にツケを払わせているではないか。
それは許されないだろう。

もっともっと、ちゃんと考えなくては。
自分が仕事をしていくことについて、
表現することについて、もっと、もっと。

わたしは、悪意は、強いものから弱いものへと
リレーされていくといった。
でも、自分の腹でリレーをとめた母の方が、
ずっと強いのではないだろうか。

強さって何だろうか?

私は、自分のスケールにしては
高いハードルも飛び越え、
孤独によく耐えてきたつもりでいた。
でも、そのあとで、
たった3センチの段差につまづいて、
自分の力では立てない、というようなことを
繰り返しているような気がする。

人は乗り越えられないような大きな試練より、
たった3センチの段差につまづくものではないか。

いままで、自分がもっと強くなることで、
自分にふりかかる問題は、
すべてのり越えていくようなつもりでいた。

でも自分は思ったより強くはなかった。
弱い。

自分が弱いから、まわりをよくして、
世の中をよくして、まわりから支えていただく、
という方向も考えなければ。

世の中をよい連鎖がめぐって、
めぐりめぐって母にも、
自分が傷つけた人にも、
まわりから、何か返せるかもしれない。

今日、よい連鎖を自分から起こせるか?

たったいま、自分の出す、この言葉から。


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『あなたの話はなぜ「通じない」のか』
筑摩書房1400円




『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円


内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)

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2005-08-24-WED

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