YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson223 ほぼ日コラムを書きはじめた理由

11月10日、今日は糸井さんの誕生日だ。
おめでとうございます!

妙な感じだ。

糸井さんと、会ってお話したのは、
ほんの数えるほどだ。

もともと面識もなく、
糸井さんはテレビで観る人だった。

それでも、1948年の今日、
この人が生まれていなかったら、
2004年の今日、私が見ている風景は、
まったく別モノになっている。

今日は、私がほぼ日にコラムを書くことになった
きっかけをお話したい。

それは、人生最大の「捨てる」決定を
せねばならなかった日だった。

15年8ヶ月勤めた会社を辞める最終決定をした日で。
辞めた理由は、とてもここには書ききれないけれど、

38歳で、次の目処もなにもなく会社を辞めるには、
「捨てる」と腹を決めなきゃいけないものが
たくさんあった。

年収、福利厚生
会社を基盤に築いた人間関係

安定

いまと連続性のある未来
経験とスキルの発路

これまでの仕事のためにわきあがってくる
アイデア、想い

アイデンティティ

読者、メッセージを伝える媒体

この中で、もっともこたえたのが、
小論文を通してずっとかかわってきた
読者の高校生との別れだった。

編集、マスコミュニケーション、という形で、
高校生に毎号、毎号メッセージを送りつづけていた。
煎じ詰めれば、伝えたかったのは、

「自分でものを考えることの面白さ」だ。

考えることが、その人の選択になり、意志になる。

意志を言葉にし、伝えることで、
人は、自分の想いが反映された
状況を切り拓いていける。

考える、書くということは、ほんとうに自由なことだ。

離職によって、
これらのメッセージを伝えられなくなることは、
残念で残念で、ふさがれた想いがした。

どっかなにかで発信できないものかな。

毎月1冊というような、豪華なかたちでなくていい。
お金なんて全然いらない。

色も写真もなにもなくてもいい。

文字だけの、短いシンプルなメッセージでいいから。
なにかメッセージを伝えるメディアを、
一回限りでなく、継続して発信できる場をもてないか、
どうにか、なにかで……。

だれにも言わなかったが、
いまから思えば、このコラムの原型のようなものを
わたしは、心の底で想っていた。

その日、2000年3月7日は、

退職のために何度となく行われた面接の、
最後の最後があった日で、部長と、
「3月31日で辞める」
という、いよいよ最後の意思決定をした。

これで、とうとう辞めるんだな、と想ったら、
なんだか放心してしまった。
ふらふらと席にかえったら、
糸井さんからのメールが、後輩から転送されてきていた。

「糸井重里」さん?

あの、糸井さん!!!

なぜ、糸井さん?

恥ずかしいことに、
当時、仕事以外で
インターネットをすることがなかった私は、
「ほぼ日」の存在を知らなかった。
糸井さんのことはもちろんメディアで存じあげていたが、
それまで接点はない。

理由はこうだった。

私が会社を辞めると聞いて、
驚いた後輩が、
個人のホームページの日記に私のことを書いた。
過分に私のことを評した内容だから、
自分で引用するのはかっこわるいことだが、
この文章が状況を動かしたので
あえて実物をのせてみる。

<後輩のホームページの日記より>
>(驚いたのは)先輩が
>異動を機にやめられるってことでした。
>小論文の編集担当で、
>その創り出す教材は、
>入試向け教材とは思えないほどの、
>奥深いもので、生命・倫理・科学・文学・・・と
>さまざまなジャンルに及び、示唆に満ちた
>刺激的な読み物となっていたのであります。

>解法テクニックとか、100点をとるコツなんて、
>表層的な方法論ではなく、
>深く考えること、考えたことを表すことを
>モットーとしていたようなこの教材は、
>たしかに、この人以外には作れないし、
>他のだれにも真似ができないのですが、
>そのこと自体が、
>会社ではネックになるってのは皮肉なもんです。

>成功した事例をマニュアル化、ノウハウ化して、
>普遍性を出すって仕事もあるだろうけど、
>その人じゃなくちゃできないって仕事があっても
>いいと思うのですけど。
……………………………………………………………………

それで、ネットサーフィンをされていた糸井さんが、
この日記を読んで、
後輩にメールを送ったのだ。

>それはそうと、なんですけど・・・。
>この方、
>ほぼ日で、「小論文の愉快」というようなタイトルで、
>大人や学生向きの「実用のふりをした読み物」を
>書いてくれたりしないかなぁ?
>おもしろそうなんだもん。

と。そのメールが転送されて、
私のもとに届いたというわけだ。

人生最大の「捨てる」をしたタイミングだったので、
もしかして「引き換え?」と思った。

糸井さんと、編集担当の木村さんにお会いすると、
文章を評価したり、文章を書く力を伸ばしたりする、
私のやってきたことを、
とにかくものすごく面白がってくださった。

ここまで面白がってくれる大人に
私は会ったことがなかったので、
信じていいものか、半信半疑だった。
その意味を知ったのは半年後だ。

半年後の2000年11月ごろから、世の中で
文章術の本は、顕著に売れ筋になっていった。
eメールが定着して、日常でも、仕事でも、
書くシーンは格段に増え、考える方法・書く技術が、
一段と求められるようになっていったのだった。

インターネットの中では、人の「想い」みたいなものが、
リレーされ、たえず激しく駆けめぐっている。

一度は、閉ざされたとおもった私の「想い」は、
私の知らないところで、後輩に大切に受け取られ、
ネットの中をリレーされて、再び私の元へ返ってきた。

現実の世界でも、もちろんそういうことは起こるが、
ネットはとにかくそのスピードが速く、
めぐる範囲が予想もつかないほど広い。

たとえ匿名でも、ネットの中に唾を吐けば、
予想外の広範囲を乱反射して、
速いスピードで
その人のもとへ帰ってくるんじゃないだろうか。
それを考えると、どんな小さなネガティブも、
ネットには流す気がしない。

きのう、遠くにいる人の想ったことが、
今日は、自分の現実を動かしている。

2000年5月17日、
このコラムの第1回がスタートした。

ぎりぎりまで原稿に追われ、
ペンネームを考える気力もなかった。
送信ボタンを押す直前、たまたま海外旅行先で、
現地の人につけられた名前「ズーニー」をつけて送った。
まさか、この名で仕事をするようになるとは…、
そのときは、予想さえできなかった。


『あなたの話はなぜ「通じない」のか』
筑摩書房1400円




『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円


内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)

山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「山田ズーニーさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2004-11-10-WED
YAMADA
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