YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson215 言葉化しなかったもの


人はことばをつかう。
ことばで表現されなかった想いは、
ぜんぜん別のところで行動となって現れてしまう。

という意味のことを
最近、ある評論で読んだ。

反射的に思い出したのは、
もう10年以上まえの、暑い夏のことだ。

(これを書くと、私のイメージは悪くなるだろうなあ。
でもしょうがないほんとうのことだから)

その日はインド旅行に向けて、
コレラだか、肝炎だか、予防注射の
2回目をした帰りだった。

予防注射というのは、軽く菌を植えるんだろうか?
かっと汗が出たり、みょーな体調で、
自転車を押しながら、ふらふら歩いていたら、
前の女の人にあたってしまった。

わ、痛かったでしょう、ごっめんなさい!

と謝ったのだが、女の人はゆるしてくれず、
背中ごしに、汚いことばを吐き散らかして去った。

よくあることだ。ほっとけばいい。

とは、そのときどうしてか思えなかった。
暴力的な衝動がつきあげてきた。

それは、生まれて初めて自覚するような強さで、
強い日射しのなかでくら〜っとするほどだった。

ちょっと待った!
とばかり、私は、その女の人を追いかけはじめた。
自分の中で「おい、おい!」とか、
「どうした? やめとけ!」と声がする。
でも、足が、ごんごん追いかける。

女の人は、最初はうっとうしそうに、
しかし、次第に早足で逃げ始めた。

逃げるおばさん、追う私。
なぜか自転車を押して。

すごい図だ。

女の人は、怖くなったのか、
それともほんとに用事があったのか、
近くの銀行にはいりこんだ。

逃がさへんで、とばかり。
私は、銀行のまえで、わざわざ自転車を止めて、
中に追っていった。
「そこまでするか? もうやめとけ」と声がする。
でも止まらない。

さすがに女の人は、おびえた表情で、
わびをいれた。

私の暴走は、そこで止んだ。

考えたら、ぶつかられたのは、その女の人の方だ。
痛い思いをしたのに、なんであやまらなきゃ
いけないのか?

言葉や腕の暴力はふるわなかったものの、
自分の中に、こんな暴力的な衝動が潜んでいることを
生まれて初めて自覚した。

この日がなかったら、
電車で、つかみあっている人を見ても、
学生の暴力沙汰にでくわしても、
すべて他人事とおもっていたろう。

でも、いまは、自分と地続きだと思っている。
そのことが、かえって、
自分を平和な状態に保ってくれていると思う。

あの日、私はいったい、どうしたのだろう?

きっと夏のせいだ。
二回の予防接種で体調がおかしかったのだ。

ちがう。

夏のせいなんかじゃない。
予防接種のせいでもない。

十年前のあの日、わたしは、
仕事の進路問題で焦燥していた。

シンデレラストーリーのようなチャンスが訪れ、
でもどうしてか、自分で断ってしまったのだ。

自分はこの会社でまだやりたいことがある。
という印象が体の中からわいた。

後から考えたら、
この選択はものすごく正しかった。
まさにあれこそ「直感」だ。

ところが当時は、それを自覚できなかった。

私は会社にいた16年近く、
ずっと好きな編集をやらせてもらえたのだが、
その1年だけは、
リーダーということで管理にまわされた。
よりによって在職中、もっともぱっとしなかった年で。

そのさえない現実に、
「自分は人生最大のチャンスを
 棒にふったのではないか?」
という疑念と、
だったら、その分、
早く挽回せねば! 早く挽回せねば!
自分の中にあるなにがしかの可能性は、
行き場を失ってとりかえしのつかないことに
なるんじゃないか、という焦りに
責めさいなまれていた。

執着がぎゅうっと、ぎゅうっと、
心を押し縮め、その最中で、
例の一件は起こった。

その、直後。

私は、東京で、横尾美美さんの、
「静かな哀しみを抱いて生まれた」
という絵に出会った。

なんというのか、
自分の内面にある、一番美しい部分が、
さぁーっと引き出された。

自分の中のいちばん美しい、高貴な精神。
それを忘れたら、私じゃないし、
それさえ失わなければ、これからもやっていける。
自分を好きになり、信じることができた。

どこで働くかとか、
チャンスがどうしたこうしたという執着は、
ひどくちっぽけなことに思え、消え去った。

危うく、自己実現の亡者になるところを、
芸術によってひろわれた。 
いまもその絵は、私の部屋にある。

暴力が生まれる前には、
人権の抑圧がある。
人権は、他人から抑圧されることもあれば、
自分の人権を、自分で抑圧することもある。

押さえつけられた心に平和がなくなり、
秘めたる暴力性があらわになる。

あの「会社に残ろう」とおもったとき、
私の選択は、結果的によかったのだけど、
たとえ、まちがっていたとしても
たいしたことではなかった。

たとえあのとき、
ほんとうに人生最大のチャンスを棒に
ふってしまったとしても、
失敗したって、よかったんだ。

悪いのは、
自分の直感を信じられなかったことだ。

自分で自分の選択を尊重してやれなかったり、
おまえのせいで人生棒にふったと、自分を責めたり、
性急に挽回させようと焦らせたり、試したり。
これは、もう、ひとり人権抑圧だ。
結果的に私の直感は正しいことを言っていたのだから、
なおさら抑圧を感じたろう。

抑圧の中で、あの夏の一件が起こった。

言葉化されない抑圧は、
ぜんぜん別のところで行動となって現れてしまう。

あの日をふりかえって、
私はいま、むしょうに、
人の言葉を大事にしたいと思う。

人が言葉を発するとき、
たとえ、その場にふさわしくない発言でも、
だれも求めていなかったとしても、稚拙でも、
そのとき、その人が、それを言わざるを得なかった
背景があるのではないか?

いいや、むしろ、その場にふさわしくなく、
はずれてたり、唐突な発言ほど、
その人が、そのとき、それを言葉にせざるをえなかった
なにか強い衝動が隠されていると思う。

もっと人の言葉に真摯になりたい。




『あなたの話はなぜ「通じない」のか』
筑摩書房1400円




『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円


内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)

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2004-09-15-WED
YAMADA
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