YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson194 メドレーを生きたがる精神


先日、ある編集者さんの集まりに、
呼んでいただいたとき、

お姉さん肌の編集者さんが、
「うちの会社は、みんな、編集をやりたがって。
 それで、編集の仕事から、ほかの仕事に異動になると、
 みんな、すぐ、やめちゃう。
 ほんとに、どんどん、やめていっちゃう。」
と言っていた。

よっぽど危機感があったようで、
そこにいた若い編集者さんたちに、かたっぱしから、
「辞めないでね。編集から、他の仕事に異動になっても、
 会社、辞めないでね。」
と念を押してまわっていた。

別の日。

大手出版社で、厳しい競争を生き抜いてきた50代、
女性の編集者さんにお会いした。
会社でも、それなりの地位を得、
編集者としても、ばりばり、面白い仕事をしている。

私は、会社を辞めてしまったが、
こんな理想的な
編集者人生を送っている女性もいるのだなあ、
と思った。その人が、いまの若い編集者さんについて、

「例えば、自分の希望に反して、
 若い子を相手に、
 携帯のことを編集する担当になったとして。
 それを<その程度の仕事>としか、
 考えられない人は、だめだわね。」

というようなことを言った。
とても、共感した。

ひとくちに編集といっても、
文芸もあれば、ファッションもあれば、
私がやってきたような教材もある。

私が16年やっていた、
「高校生むけ」「教材」の編集は、
これからファッション誌がやりたい、という人や、
文芸の編集をやりたい、という人からすれば、
ひどく地味にうつる仕事かもしれない。

でも、その地味な教材を一生懸命やったからこそ、
私は、「人の力を生かし・伸ばす」、
「教育」という一生モノのテーマに出会えたのだ。

なんとなく、働く前の若い人が考える、
「かっこいい仕事指数」というのがあるのかな? と思う。

「編集の仕事はかっこいい。ほかの仕事はだめ」とか。
おんなじ編集の中でも、
「文芸は、かっこいい。教材は、ダサい」とか。
文芸の中でも、こういうのが高級だとか、
あれはやりたくない、とか。

若いときもっている仕事のイメージは、
自分をふりかえっても、
偏狭な視野からくる、実体がないものだ。

たとえば、教育というと、
なんとなく小学校の先生より、高校の先生が、
それよりは、大学の先生が、なにか、
エライことをしているような
イメージを持つ人は多いだろう。
受賞だって、対象になるのは、大学教授ばかりで、
小学校の先生が受賞することは、すくない。

だけど、私は、教育の仕事を20年やってきて、
そのイメージは、むしろ、逆ではないかとさえ思う。

わたしは、いろんなところに講演にいくが、
高校生や、大学生に、
「ものを考えるとはどういうことか?」説明するより、
小学生にわかりやすく説明する事の方が、
ずっと、むずかしいと思う。

さらに相手が幼児となったら、
私はどうしていいかわからない。
本能的におもしろいものに反応し、
つまらないと、そっぽを向いてしまう。
そんな幼児に、どうやってこっちをむかせるか?
教育的な感動を味わわせるか?

こんなふうに、実際にその世界で働いて経験すれば、
外から見ていた、「かっこいい」の序列は、大きく変わる。

「かっこいい」とか「悪い」と比べていた、
自分のこだわりどころが、すでに、
アマチュアだったことに気づくだろう。

それでも、若いうちは、経験がないから、
自分のイメージの中にある「かっこいい仕事」に
何度も、足をからめとられて、それで苦しんでしまう。

自分のイメージの中にある「かっこいい仕事」に、
最初から一発で就けて、
その中でも、とくにやりたい分野だけを担当できて、
ずっと、やり続けられること、
イコール、成功で、それ以外が挫折とうつってしまう。

それって「メドレー」の発想だな、と思った。

音楽を聴くとき、むかし、「レコード」だったころは、
1枚のアルバムの
はじめから最後まで、通して聞いたものだ。
そこには、退屈な曲、好みではない曲が、
必ず、何曲かはあった。

CDになって、
かったるい曲は、リモコンで、飛ばして聞けるようになり。

MDができて、アルバムの中の好きな曲だけ取り出して、
「マイ・ベスト盤」が、
だれでも手軽につくれるようになった。

自分の好きな曲、の次は、また、好きな曲、
はじめから最後までずっと、私の好きな曲だけ。

かくいう私も、「マイ・ベスト盤」をつくるのが大好きだ。

でも、アルバムをつくったアーティストに対して、
「一つの世界観」をまるごと味わわないで、
どこか、もうしわけない、というような気持ちもある。

だから、もう、何年もまえだが、
「サビ」だけ聴く人の存在を
はじめてきいたときは、おどろいた。

もはや、1曲でさえも、
頭からしまいまで聴くことは
「かったるい」と思う人がいるのかと。
それで、印象の強い
「サビ」の部分だけ抜き出して聴くのかと。

自分の好きな曲の、さらに、好きなとこだけ抜きだし、
サビだけをつないでマイベスト盤をつくる。

カラオケで、流行った曲の「サビ」だけつないだ
「メドレー」というのがある。あんな感じだ。

すべてがクライマックスで、
すべてが華、そして、華から華へ。
好きなものには違いはないが、妙に落ち着かない世界。

もし、この「サビだけマイベスト盤」のような仕事人生が
送れるとしたら、意外にスケールは小さいかもしれない。

私は、企業で編集者をしていた16年間のうち、
1年間、編集現場からはずされたことがある。

その1年は、主に、紙の計算とか、
印刷代の見積もりの仕事などをして過ごした。

家にかえって、ふと気がつくと、
涙が出ていることがあった。
悲しいのではない、その仕事はおもしろかった。
でも気がつくと、編集の仕事がやりたくて、
やりたくて、やりたくて、やりたくて……、
そう思ったら、知らずに涙が出るのだ。

どうしてか、このとき、私は辞めなかった。

無意識に「やらずには、やめられない何かがまだある」
という気持ちが、自分をふんばらせていたと思う。

翌年、部署が東京に移ることになり、思いもかけず、
編集現場にもどれることになった。
それからの5年間は、自分の人生でも、
黄金期といえるくらい、仕事が面白かった。
あのとき辞めなくてよかったと、
あとになってつくづく思う。

編集からはずれた1年は、
すごく、いい影響として、仕事に出てきた。
入り込みすぎて見えなくなっていた編集の仕事を、
外側から見られるようになっていたのだ。

その編集をはずれた1年、
私をずっと支えつづけた言葉があった。
私が入社したときの社長の言葉なのだが、

「人はいつまでも、好きな人と、好きな仕事ばかりは、
しておられないのだ。」

という言葉だ。
それから2年で亡くなってしまった社長は、
生前、何度か、
この言葉を、想いのたけをこめて語っていた。

「なんだ、そんな言葉か」と思う人もいるだろう。
わたしだって、まさか、こんな夢のない言葉が、
それから十数年にわたって、
自分を支え続けることになるとは、予想だにしなかった。

パートを3年やって、
正社員の登用試験を受けたとき、面接で、
「正社員になって、編集職からはずれたらどうするか?」
と聞かれて、思わず
この言葉を言ったことをはっきり覚えている。
その年、社員登用されたのは、私と、あと1人だけだった。

2000年に会社を辞めるときも、
今度は、あのときと逆で、
やりたいことのために
会社を辞めてしまおうとしているのに、
不思議なことに、何度も自分に言い聞かせ、
自分を支えたのは、やはり同じ、この言葉だった。

実際、会社を辞めてみると、
手足をロックされたようで、どんどん、やりたいことから
遠ざかっていくような日々だった。
そのたびに、この言葉を思い出すと、妙に落ち着いた。
あれから4年、私は今、
しだいにやりたいことに近づいている。

「人はいつまでも、好きな人と、好きな仕事ばかりは、
しておられないのだ。」

この言葉は、いま思えば、ターニングポイントごとに、
私を自由にしてくれた。なぜだろうか? それは、

この言葉が「真実」だからだと思う。

これは、人がやがて死ぬ、
と同じくらい、私にとって「真実」だ。
でも、それまでの人生をふりかえって、
こんなに本当のことを、こんなにシンプルに、
こんなに一生懸命、私に教えてくれた大人はいなかった。

いま、がんばりしだいでは、思い通りの、
「メドレー」のような仕事人生が過ごせる、
かのような情報があふれている。
「そのためのうまいやり方、
 賢い方法があるぞ、伝授するぞ」と。

でも、その情報は、私たちを自由にしているだろうか?

賢くやれば、望みどおりの仕事ができるはず、
という考え方の裏には、
意に添わない仕事とか、
仕事に就けない空白の時間がきたとき、それは、
自分が悪いからだ、という発想を生まないだろうか。

でも、だれの、どんな仕事人生にも、
本人の意志や、努力、才能に関わらず、
意に添わぬ人と、意に添わぬ仕事をしなければいけない時は
必ずある、と考えてみたら、どうだろう?

そういう視点からみたとき、はじめて、
意に添わないことの連続、挫折と空白のある自分の人生は、
実は、何一つ無駄のない、
空白こそが、最大の「サビ」になっているような、
別の意味での、ダイナミックなメドレーであることに
気づけるのではないだろうか?

最後に、読者のメールを2通、ご紹介したい。


<高校の時、思い描いた通りの人生?>

高校の非常勤講師をしているのですが
近年 ライフプランを立てさせるパターンの
進路指導が増えています。

「おいおい 高校生の時に考えた通りに
 人生が進む奴いるか?」
「人間の適性なんて 日々変わっていくんじゃないのか?」

私が、もし、常勤や教諭だったら
『ライフプラン』の授業をめぐって 
同僚と大喧嘩になっていることでしょう。

やりたいことは
やっていて苦にならないうちに
見つかってくるんですよね。

私は、これまで、民間企業への就職は全く選択に入れず
理科・数学の教師になろうと思っていました。
(実際、今、それらを教えて生活のかてにはしていますが)

まさか 会計や経営が楽しくなるとは

高校生の頃の私には 想像もつかなかったんですから。 

         (読者 ぽよさんからのメール)


<社会の歯車である私>

私は今就職2年目で、
縁あって品質管理の仕事をしています。

2年前の大学4年生の就職活動の時期、
まさに自己実現難民でした。

周り全てが「あなたは何がしたいのか」と迫ってきて
同じ就職活動中のみんなが苦しんでいました。

生活の中でしたいこと、やりたいこと、好きなこと
それはたくさんあります。
でもそれは私の場合は
仕事としてやっていくこととは違いました。

そこでどうしても、
「自分は消費しかできない、
産み出すことはできないだめな人間だ。」
「仕事でやりたいことがないなんてどうしようもない。」
と思って、就職自体を放り出そうとしていました。

就職活動をやめて夏が過ぎ、
やりたいこととか探しているよりも
できることから始めようと思い、
秋になってから縁あって面接を受けて、
技術をかってくれた今の会社で働いています。

流されるように就職してしまいましたが
社会に出て、よく歯車になると言われていることが
よくわかりました。

でもそれは今まで感じていた、
マイナスのイメージではなく、
とても気持ちのよいものでした。

自己実現とは違うけれど、
私が存在していてもよいのだと感じます。

とても小さな歯車でも、
回ることで、影響を与えることができると
わかっただけでも、とてもよかったと思います。
自己実現とは違っても、仕事の中での目標があり、
日々成長していけるよう努めていっています。

(読者 真梨子さんからのメール)





『あなたの話はなぜ「通じない」のか』
筑摩書房1400円




『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円


内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)

山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「山田ズーニーさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2004-04-21-WED

YAMADA
戻る