YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson182 自分をひらくということ

自分を「ひらく」ってどうすることだろう?

ということを暮れからずっと考えていた。
というのも、このところ、
自分の仕事が、軌道に乗りはじめたのを感じるからだ。

2000年春、志を抱いて、会社をやめ、
一人で歩き出したときは、途方にくれた。

「いったい自分は、
これからどうやって社会に入っていけるのだろう?」

社会にエントリーできない。
自分がなにものか、揺らぐ。
そして、日に日に深まる孤独。

最初の2年は、こんな感じで、押しつぶされそうで、
「ここから、どうしたら脱出できるんだろう?」
とよく考えた。

3年目にさしかかるころ
「もう、そろそろ、ここから脱出できるだろう」、
と、希望的推測をした。が、そこからが長かった。

ひとついい仕事が来て、完全燃焼でき、
「やった!」という手ごたえがあっても、
ひとつひとつの仕事が、
ブツ。ブツ。っと、途切れた感じで、
なかなかつながっていかないのだ。

「今日、ホッと光がさしても、明日をも知れない」

やがて、丸3年がすぎ、
受け入れたのか、単に馴れか、
私はじたばたしなくなっていた。

いつしか、「脱出」ということを考えなくなっていた。
いつしか、「自己実現」みたいなことに
とらわれなくなっていた。

そして、4年目が暮れようとしているいま、
ひとつの仕事が、次につながっていく確かな実感がある。
それが、ネットワークになって広がっていく感じがある。

「循環しはじめた。」

まだまだ油断はできない。
まだまだこれからが大変なのだろうけど。
「自分は旅人でなく、ここにいる」という感じが、
ここ数年間ではじめてしかけている。

少なくとも、呼吸してるだけで押しつぶされそうな
サバイバルの最初の危機は、脱出したようだ。
脱出のキーは何だったか?

「自分は、どうして、
 再び社会とリンクできたのだろうか?」

そう思っていた昨年の暮れ、
読者の学生、上野さんから、もらったメールの
「ひらく」という言葉が腑に落ちた。
上野さんのメールを、もう一度紹介したい。


<世界に対して自分が“開かれた”状態>

「自分が好きなことが必ずどこかにあって、
自分がそれにふさわしい才能を持ってる」

というのは、ある種とてもイノセントな世界観で、
自分を励ます素晴らしい考え方のように一見思えるのですが、
実は世界に対して
「閉じてしまっている」状態なのではないか
と思うのです。

例えば子供が持つ夢と言うのは、狭い視野の中で、
自分の限られた経験世界の中だけで空想した事だから、
現実と大きくずれている事が多いですよね?
それと同じような事ではないかと思うのです。

子供の場合は育つ力が強いから、
どんどん色々な経験をして、
それを吸収して行く事で、
柔軟に世界と向き合う事ができる。

でも大人はなまじ経験やプライドがある分、
そうは行かず、
その時点での自分の世界観と、
そこから生まれるものにこだわってしまう。
自分自身に、囚われてしまう。

そういう「閉じている」状態というのは、
極端な言い方ですが
「自分(所属するカルチャーや、
既に知っている事なども含めて)」に対してしか
興味の無い状態だと思うのです。
もしその状態のまま前に進めたとしても、
それは何処まで行っても自分、自分、自分、しかない。

だから山田さんが
「思い通りに選べなかった道が、
まっすぐに本望に通じている」と言ったのは、

逆に思い通りでなかったからこそ、
世界に対して自分が開かれた状態になって、
そこに感動が生まれたのではないかと思います。

(読者の学生 上野さんからのメール)


思い通りでなかったからこそ、
世界に対して自分は開いていた……。

企業で、天職と信じた編集をやっていたころ、
上司や、仲間や、後輩や、たくさんの人に囲まれ、
たくさんの情報や場に恵まれ、ほんとうに幸福だった。
それでも私は、しだいに少しずつ、どこか、
「閉じて」いっていた。

会社をやめて、一人で生きはじめたとき、
独り、ものを書くという
閉ざされた生活。
孤独の底の、そのまた底を見るような日々で、
それでも、私は、
「ひらいて」いっていた。

「ひらく」というと、私は、
3歳の裕基(ゆうき)くんの姿を思い出す。

先日、NHKで。

3歳のゆうきくんが、お父さんの野村萬斎さんに
叱られて泣いていた。

ゆうきくんは、お父さんの萬斎さんと、
おじいさんの野村万作さんから、
きびしい稽古、につぐ、稽古を受け、

狂言の初舞台をどうどうとつとめていた。

萬斎さんも、親として、
わが子を「よくやった」と抱きしめたいところだろう。

ところが、その日だけは、ゆうきくんは、
舞台でやる「でんぐりがえし」を忘れた。

それで、泣きながらあやまっていた。
「泣いてもダメだ」萬斎さんの叱責は、
プロが一人前のプロに接する、非常に厳しいものだった。

そのただならぬ叱責に、
たった3歳のゆうきくんが、
襟をただし、涙し、懸命にあやまっていた。

それを見ていて泣けた。
これが「ひらく」ことではないか、と想った。

たった3歳のこどもにとって、
狂言の世界は「わからない」というのが本音だろう。
3歳の子が、たとえ「狂言は自分のやりたいことだ」と言っても、
「狂言は自分のやりたくないことだ」と言っても、
うそになってしまうと思う。

観ることさえ熟練を要す狂言、
まして演じる側の奥深さ、面白さ、
その真髄をつかむのは、たった3歳ではとうてい無理だ。

だから、あそびたいさかりの子どもにとってそれは、
「ぼくがやりたいことではない」
「ぼくが好きなことではない」
「やる意味がわからない」だろう。

しかし、ゆうきくんにとって、
狂言は、自分が生きなければならない「外」である。
おとなは大きく、叱られれば恐い。

「わからない」のに稽古をする。
稽古をすれば、「わからない」のに叱られる。

そうして、たった3歳の子が、
自分の理解の及ばない「外」を、
それでも懸命に生きようとしていた。

この日々を積み重ねた果て、
やがて、ゆうきくんは、技を磨き、熟練が生まれ、
自分が演じることによって歓ぶ、
たくさんのお客さんの姿に、出会うことだろう。

そのとき、ゆうきくんは、
自分にとっての「他者」の意味を知るだろう。

そのとき、ゆうきくんの中に感動が生まれ、開眼があり、
「まさに、自分がやりたかったのは、これだ!」
と叫ぶかもしれない。

そのとき、自分を引き出し、導いてくれた
お父さんやおじいさんに対し、
感謝の気持ちが沸き出るだろう。

その長く、険しい道のりへの一歩が始まった。
ゆうきくんは見事に引き受けた。
 
「ひらく」とは、
大なり小なり、自分の「外」を生きることだ。

自分の人生・イメージ・発想にはない「外」を生きてみる。
だから、そこに何が待ってるか、ほんとうのところ
生きてみるまで、わからない。

わからないのに、自分を賭けなければならず、
わからないのに、打たれたり、たたかれたりする。
わからないのに、こんなに苦しい。
だから、「ひらいて」生きることは、

人によっては、「不本意を生きる」ことだったりもする。

その、不本意を生きる人生が、
つまらないとか、負けの人生と想ったら、おおまちがいで、
それは、おごりというものだ。

不本意な人生を、
それでも、生ききった果てには、
自分の小さな殻の中で引いた青写真をはるかに超えた、
おおいなる「外」、
おおいなる「他者」が待っているかもしれない。

だから、いま、つらくなっている人も、
明日になにがあるか、待ち望んでほしい。

と、ここまで「ひらく」について考えた。
まだまだ謎があるので、
これからさらに「ひらく」を考えていきたいと思う。

最後に、読者のUさんからのメールを紹介したい。


<開く>

7月に男の子が生まれました。
そして開(ひらく)と名づけました。

自分の道を開くように、というのではなく、
むしろ、自分自身を世界に対して開いていて欲しい。

それは、絶えず世界と混ざり合いながら自分をつくり続け、
同時に、世界の中に自分を
表現していって欲しいと言う願いです。

私自身のこれまでの人生はというと、
自分の欲しいものを「知っている」と思ったときに、
たびたび罠にはまってしまいました。

「形(物)」の中に永遠不変なものが
存在しないことを知って、
物理学の中にそれを求めたのですが、
実際に物理の研究を行ってみて、
どうもその現場には求めるものがないと感じました。
机の上の式をいじりまわしても、
世界の神秘を感じることが出来ませんでした。
いつのまにか
別の「形(物理学や職業)」に囚われていたのです。

「何を」やるかではなく、
「どのように」やるかだと思い直しました。

子どもを見ていると、同じおもちゃを与えても、
一週間後には同じ人間とは思えないほど
違った遊びかたができます。
彼には狭い意味での「何を」やるかは
あまり意味が無いようです。

それでもまた自分自身のあり方に、
より深いところに囚われてしまいました。
自由になりたいと願うほど、
ただ変わろうと頑張るほど、
外界から遠ざかり、
内面深く潜っていくほかありませんでした。

足りないものは何かと問い続け、
なぜ研究活動がますます
無機質なものになっていくのかを
考えました。

どうあるべきか、という視点をいったん捨て、
バラバラになってしまった自分の感覚と意志を、
なんとか再び融合させる必要を感じました。
少なくとも自分自身の感覚に対しては開かれようと。

しかし、感覚は本来、外の世界に開かれたものですから、
次第により深い感覚を求めるようになると、
当然、世界に対してももっと開かれる必要に迫られました。

これまでの自分のことを象徴的に表せば、
「ただ遠くへ」という気持ちだったと思います。
村上春樹さんが使っていた表現ですが、
「伸びきって」しまっていたのだと思います。
本当に求めていたものはなんだったのか。

かつては物理の研究者を目指していました。
(たぶん、今も部分的にはそうだと思います。)
物理学は世界の背後に隠れた論理を解しようという
壮大な企てです。
しかし、世界を忘れて論理に囚われ、
学問の大きな流れを知らずに、
方向性無くただただ論理を並べていっても、
それはどこにも向かっていかない。

頭では分かっていましたが、
ようやく感覚的にも分かりつつあります。

これらは最近のことです。
今は、周りの声に耳を傾け、
同時に自分の中からの声に耳を澄ませ、
ちぐはぐなことをやってきて
生まれてしまったギャップを、
少しずつ埋めています。

この(比較的楽しい)作業は
まだまだ先が見えませんが、
今ではようやく、
机上の式の中にも僅かながら
世界の神秘を窺うことが出来ます。

いつか、もっと深い開放感に達することが
できるのではないでしょうか。

バカの壁という言葉が流行しました、

我々の脳には、見たり聞いたりした出来事を
抽象化して把握する能力が備わっているようですが、
これは自分の作った箱庭のようでもあり、
落とし穴のようでもあります。
箱庭の外を忘れないためには、
不断の努力が必要なのでしょう。

(読者 Uさんからのメール)




『あなたの話はなぜ「通じない」のか』
筑摩書房1400円




『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円


内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)

山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「山田ズーニーさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2004-01-28-WED

YAMADA
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