YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson171 食べたものが私になる


失業とか、転職とか、不安がひろがる時代、
人は、どうやって、
自分の身心の健康を守ればいいんだろうか?

私は、ここ数年、
心も、からだも、おどろくほど丈夫だ。
今年、人間ドックで、ほぼオール優、
先生に褒められた話は、以前書いた。

予想外だ。
自分では、病気になりはしないかと、
人生で最も心配した時期だったからだ。

健康には、ストレスがよくない、
と言われる。
でも、「ストレス」なら、
人生でかつてないほど、
自慢じゃないが、売るほど引き受けた。

何日も、人に会わず、
閉ざされて、ものを書く。

「こりゃあ、心が病んでしまうんではないか?」
本気で心配した。
マスコミでも、それに拍車をかけるように、
連日、心の病に関する報道がされている。

でも、いったい、どうやって
心身の健康を守れというのか?

「要は、気の持ちよう、明るく生きよう!」

などと人は軽く言うが、
こういう精神論が、やってみると一番むずかしいとわかる。

何らかのアウトプットをすれば、
自分と向き合うことになる。
「落ち込むな」「不安になるな」という方が、
そりゃあ、無茶苦茶というものだ。

「世界を狭くしないで、できるだけ人とふれあって!」

とか言われても、物理的に、どうしても
一人こもって仕事をしなきゃならない時期もある。
クヨクヨもする。暗くもなる。
部屋に座っているだけで、押しつぶされそうな日もあった。

じゃあ、どうすればいいんだ?

ということで、ほとほと、追いつめられて、
ふと、思いついたのが、

「要は、食べ物と運動だ。」

ということだった。
明るさとか、幸福というものは、
人との関係性に負う部分が大きい。
自分だけの力では、どうにもならないところがある。
すぐにすぐ、自分一人で、
環境を切り拓けるものでもない。

でも、「食べ物」と「運動」なら、
自分の意志で、なんとでもなる。
これだけは、気をつけよう。
あとは知らない、しかたがない、とわりきった。

腹筋・背筋、ストレッチ、走る。あるいは泳ぐ。

当時、会社を辞めたててで、
スポーツクラブに行くほどのインカムがなかった。
それで、自分でできる運動をした。
これがよかった。
まったく強制力も監視もないところで、
人にたよらず、やらなくても困るのはただ自分だけ、
と言う状況で、自分ではじめ、さぼってもめげずにまた、
やりつづける、というスタイルが身についたからだ。

ちいさな体にプレッシャーが押し寄せて、
しぼんでしまった日も、へっこへこに落ち込みながら、
食うものは、食った。食べると、
意志とは関係なく、なんとなく体のある部分が
しあわせになっているから不思議だ。

こんな生活の果てに、気がついたら、
ふてぶてしいほど健康であった。

「食べ物」と「運動」

食べたものが自分になる。食べて、使う。
シンプルに考える。

これに気づいてから、
ウエイトコントロールも、苦ではなくなった。

世の中にダイエットは、何百、何千とある。
私が学生時代から、もう、二十年も、
女性誌は、恋愛→占い→ダイエットの特集を
ローテーションしても、まったくネタはつきない。
ダイエットって、たくさんで、複雑で、
この言葉だけで、迷子になりそうだ。

だけど、ごくごくシンプルに考えて、
太るということは、
「食べる」量が、「使う」量より多くなった、
ということだ。
痩せるには、自分で、
食べ物を減らすか、運動を増やすか、結局は二つしかない。
やることは、本当はたったこれだけだ。

たったこれだけのことを、
手を変え、品を変え、あんなに方法がでているのか?

お金もそうで、
「入る」量と、「使う」量があって。
「入る」より、「使う」が多くなったら、赤字だから、
「入る」量が減ったら、「使う」量を減らせばいい。

ことはそんなにシンプルではないのかもしれない。
でも、こんな、ごくごく単純なことを見失ったために、
起こっている悲劇も多いように思う。

つい最近、

「ああ、私ももはやこれまでか……。」
と思うことがあった。
自分の内面が新鮮ではない。
気力も、能力も、つきたのか、と。

嵐のような原稿ラッシュが来て、
ひとしきり続いて、出し切ったあと、
「自分は、まだまだやれる」とか、
「人間は、井戸じゃないんだから、枯れない」とか、
やたら、強気の発言を繰り返していた。
そのあと、がくーんと書けなくなった。

人から求められてないのに
強気の発言を繰り返すとき、
自分のどこかに、危機感があるんだろうな。
先日、「コンビニ哲学」にこんな投稿があって、

「やっぱり、作家とか作る側の人だと、マンネリもあって、
 自分の世界は、追求していくとどんどん狭くなっていく。
 それを続けることって、たいへんだと思うんです。
 だから、アーティストって、
 売れていても、売れていなくても、すごく意志が強い。
 売れてなければ自信がないとやっていけないし、
 売れていたら売れていたで、
 『おんなじことをやっていて、いいのだろうか?』
 『路線を変えたら、売れなくなるのではないか?』
 そういう思いとの戦いだし、そういう意味では
 作家というのはすごく強い人だと思います。
 (この文章が読めるのは、こちら「コンビニ哲学 #16」です)

私は、作家でもなければ、アーティストでもないし、
教育だから、売るの売らないのの商業ベースにはいない。
それでも、このアウトプットをつづけた果てに、
追いつめられる感じはそのときはリアルに想像できた。
「マンネリ」という言葉が恐かった。
振り払っても、すりよってくる感じで。

ちょうど、そんなとき、橋本治さんが、雑誌に書いていた、
「充電」についての下りが、目に飛び込んできた。

よく私たちは、
「勉強をして充電しなきゃだめだ。
ちょっと休ませてください」と言う、と。
日本の社会では、これは受けがよい、と。
ところが、橋本さんは、
「充電」があまり、成功しないこと、
本人は「充電」というが、その結果、
「そこら辺によくいるつまんない真面目人間に
なっちゃっただけの人」、そして、
「いつのまにか消えていく人の方が多い」
ことを指摘する。
どうしてそうなるのか、橋本さんは言う。

<それはきっと。「充電しなきゃ」と思う人が、
「ここで必要な充電のレベルはどのくらいか」
 ということが、よく分かっていないからだ。(中略)
 機械の充電なら、
 必要な一定レベルに達していさえすればOKだが、
 人間の充電は、充電が必要になるたんびに、
 その達成レベルが上がる。
 とても上がる。
 それが人間だからしょうがない。
          (『広告批評10月号』より>

充電はレベルが問題。
では、そのレベルを上げる充電するには、どうすればいいの?
と、私は、身を乗り出した。
すると、そこでとりあげている人物については、

<「充電」なんて言わないで、「限界に来た」と認めて、
  別の「第二の人生」に進んだ方がいいと思う。>

とあった。私は、ここを読んで、
朝のカフェの椅子から転げ落ちるくらい、
衝撃を受けた。
まるで、自分に言われたような気がした。

「限界」という言葉が胸にひっかかって、
のどがカラカラしてきて、焦りがこみあげてきた。

これがよかった。

枯れたかに思われた、自分の中から、
何かものすごく強い何かがつきあげてきたのだ。
「私は、やりたいんだ」と。

はたからみると、枯れたり、湧いたり、漫画のようだが、
本人は、必死だ。
で、そのとき、脳裏をよぎったのが。

「た、べものと、運動……?」

という言葉だった。
要は、知的な生産でも、
「食べ物と運動」じゃないか、と。

つまり、どんな質の知識や情報、経験を
どのくらいの量食べたか。
結局、それが、その人のアウトプットになっている。
それだけじゃないかもしれないけど、
自分の意志で確実にできるのは、それだけ。
ここは、シンプルに考えて、
とにかく実行してみようではないか、と。

食べたものが自分になる。

ものすごい勢いで本を読んだ。
読んでいるうちに、
そう言えば、原稿ラッシュのシーズンの中、
頭の方が「ものを食っていなかったぞ」ということに、
その空腹に体が気づいてきた。

そして、自分が、この先へ進んでいくためには、
もっともっと知識がいる、広範囲の体系立てた、
かつ、それぞれにしっかりした知識がいるんだな。
ということが、わかってきた。
いままでのやり方じゃ追いつかない。
大変だけれど、量や質を考えて、
あまり神経質にならないで、
何より、コツコツ、続けていけばいいんだな、と。

失速すれすれのところ、そうやって、私はまた、
ふてぶてしくも、意欲をとりもどした。

自分の身体にいい知識や情報を、一日3食相当、
持続して食べていくとして、
そのあとは? 頭の方は、
「運動」ってどうやってすればいいのだろう?
わからないから、いまは、とにかく
身体の運動の方に代表してもらっている。
知識を入れて →  身体を動かす。
ちょっと乱暴だが、なんだか、身になってる気もする。

食べたものが自分になる。

おなかと、あたま。
あなたはいま、何でできていますか?




『あなたの話はなぜ「通じない」のか』
筑摩書房1400円




『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円


内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)

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2003-11-05-WED

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