YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson166 日々ハードルが高くなっても


いまさらなのだけど、
自分が書いたもので食っていくという、
プロの道のきびしさを痛感している。

フリーになりたての、仕事のないころは、
やってきた仕事に、
もう、夢中で、
もう、死んでもいいくらいの勢いで書いて、
100しかない力を、105くらい搾り出して、
それが、認め・歓ばれると
本当にうれしくて、かみしめて。

そうして、納得のいく仕事をひとつ、ひとつ
重ねていけば、
力や経験が追いついてきて、
いまよりもっと楽になるだろう。
と、ふんでいた私は、とんだアマチュアだった。

ハードルは次々高くなる。

105の力を見てくださった人は、
次から、それ以上を期待する。
本を一冊書けば、自分の目も厳しくなる。

ひとつハードルを越えれば、
必ず、それより高いハードルが、
外から。それ以上に自分の内面から、
突き出してくる。

これじゃ、がんばれば、がんばるほど、厳しくなる。

とてもかっこわるいのだけど、
腹のくくり方が足りなかった私は、
この構造を見通したとき、一瞬、絶望的な感じがした。

そういう私の「腹」を試すかのように、
仕事・仕事・仕事だった9月は、
過ぎてみると、本当によかった。

最近は、ひとつ仕事をしあげて、
達成感にひたる、ということも少なく、
それよりも、自分の次の課題が見えてくる。
なかでもとくに思うのは、

「一つまとまったものを書き終えると、
 次の課題がはっきりする」

ということだ。
私の場合、本を書き上げたあと、
達成感より、何より、
「自分の次の課題」が明確に見えてきた。

自分の次の課題が見えた。

なにげなく言っていたこの言葉を、
昨日の朝、目覚めて考えたら、
ちょっとした感慨があった。

ものを書いているとき、
途中、ものすごく不安なときがある。

何に向かっているのか、何を創ろうとしているのか、
わからなくなる。
するともう、「自分は何なのか?」さえ、
わからなくなってくる。
「混沌」とか、「未知」という、頂上の見えない山を、
登っているような感じだ。
頂上が見えないから、登山不可能に思えてくる。

で、苦しみもがいて、なんとか書けたとき、
「ああ、私は、こんなことをやろうとしていたのか!」
あとから、わかる。

そうして、自分が見え、次の課題がわかる。

「まてよ。
 ということは、
 自分は、いま、あの山の頂上を
 ふり返っているんだな」そう思った。

書いてる最中、混沌であり、未知であり、強敵であり、
登山不可能に思われた頂上を、
私はいま、ふり返っている。

のみならず、さらに、次の、もっと高い山を見ている。

頂上に立っているときは気づかなくても、
山を降りながらふり返ってみると、
「ああ、自分って、あんなとこまで登ったのか!」
と、自分でもびっくりすることがある。

もちろん、山に登ってみなくても、
あれこれ、いくらでも、高い山は眺められる。
しかし、自分のいた頂上を、離れてみているこの感覚は、
山を登らねば、決して得られないものだ。

小さな山でも、
自分の心の中にそういう山の風景を増やしたい。

そうしてこそ、次の山。
それまでは高くて、自分の心の圏外だった山が、
現実感をもった高さとして、心に響き始める。

あれこれ言うのでなく、
やはり、ひとつの作品をしあげること。
アウトプットをする、
つまり、「書き上げて次に進む」
ということの大切さを、思った。

書いて、出しきって、発表して、
打たれるなら打たれ、
恥をかくなら、恥かこう。
そうして、前にいく方がよっぽどいい。

次のハードルが高ければ、
ようやく、この高さに、
現実感をもって出会えるようになったか、
と、楽しんでやろう。
いまは、この次、
自分のどんな課題がすっきり見えてくるか、
楽しみでさえある。

あなたは今、次なる、どんな山を見ているのだろう?





『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円


内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)

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2003-10-01-WED

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