YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson163 小さなありがとうの3つの連鎖


わたしは、このコラムを
「がんばって続けよう!」と思って書いたことがない。

「続くのだろうか?」とはよく思う。
毎回、
「これが最後かも?」と思って書いていた時期もある。
こんなことを言うと、

「そんな根性のない!
ズーニーさん、継続は力なり、って言うじゃないですか、
がんばって続けるよう、努力をしなさい!」
と、怒られるだろうか?

こう見えても、持久力はある方なのだ。
これまで、
「石にかじりついてでも」続けてきたものはあるし、
そうすべきときは、とことんやる。

でも、このコラムは、そういう風ながんばり方を
してはいけない。なぜかはじめからそう想った。

私が「がんばって続けよう!」
という思いを、堅くにぎりしめてしまったら、
そのとき、非常にたいせつな何かを失うような気がする。
そう思わなかったから、
結果として4年目を迎えているというか。
「私が」がんばるのでなくて、

このコラムは、3つの「ありがとう」の
微妙なバランスによって生かされている。

1つは、  読者のありがとう
2つめは、ほぼ日のありがとう
3つめは、私のありがとう

読者のありがとうとは、
この「おとなの小論文教室。」を読んで
「よかった。ありがとう」
と想ってくれるかどうか。

ほぼ日のありがとうとは、
「ほぼ日にズーニーさんのコラムがあってよかった。
書いてもらって、ありがとう」
とほぼ日に想ってもらえるかどうかだ。

私のありがとうとは、
私が、読者の人に、そして、ほぼ日に、
「ここに書かせてもらってありがとう」
と想えるかどうか。

この三角形は、
ときに、二等辺三角形になったり、
いびつになったりすることはあるけれど、
3つのうち、どれがひとつ欠けても成立しない。

たとえば、どんなに私が、想うことを書いて満足しても、
それを読んで1人も歓んでくれる人がいないとしたら、
大勢の前でものを書く意味はないわけで、
日記でやっていろ、ということになり、続けられない。

また、どんなに自分が満足して、読者が歓んでくれても、
ほぼ日にとって、
「それは、わたしたちの目指すものでない」
ということになったら。
ここでやらないで、自分のホームページでやってくれ、
ということになる。

また、私が、ほぼ日や読者に対して
共感できなくなる可能性だってある。
不遜に想われるかもしれないが、
どんな素晴らしいものであっても、
かのビートルズだって、好きな人ときらいな人がいるのだ。
人が個性を持って生きるとはそういうことだ。
でも、この3年数ヶ月、ほぼ日や読者に対する
情熱はうせなかった。信頼できる読者、媒体に会えた。
これは仕組んでできることではない。

つまり、
自分の努力というのは、もちろん大切だけれど。
出会いとか、人の想いとか、
自分では、どうにもならない力によって、
生かされてきた部分がおおきい。

2000年、連載開始にあたって、
「ほぼ日」は、作家やスター、一般の人に関係なく
みな、無償でコラムを書いていると知った。
そのとき、非常に難しいな、
これはある意味、仕事以上に難しい
関係性の中に身を置くな、と直感した。
だから、やってみたい、面白そうだと想った。

それをボランティアと呼ぶ人もいるが、
わたしは違うと想った。
ボランティアと言えば、書き手が一方的に奉仕する感じだ。

そうではなく、お金のやりとりはされていないけれども、
この3角形の間には、確実に
「見えない価値」が循環していると想う。
そう、ダーリンコラムに書かれていたソフト・マネーだ。

日ごろ、形にすることで逆に見えなくなっている価値を、
わたし自身、「心の目で観て」みたい、ということと、
「見えない価値」をぐるぐるさせることに
未知の興味を感じたのだと想う。

自分が書いていることに
価値があるかどうかなんてわからない。
ときどき、とても不安になる。
でも、3角形の始点は、自分であること。
そして、どんな価値であろうと、書かねば、
生まねば始まらない、ということだけはわかる。
書けば、よくもわるくも、
書いたものに相応しい循環が生まれ、
やがて自分のところにめぐってきて、自分が何かを知る。

連載はじめ頃、無名の自分が、どんな価値を提供できるか?
もう、必死!だった。
見かねた家族が、「もっとらく〜に書けよ」と言ってくれた。
でも、3つのありがとうの緊張から逃げなかったからこそ、
この1回をまた、奇跡のように感じられるんだと思う。

言葉にすると陳腐だけど、
三角形のはしっこに立ち、私は、今日も、ありがとう!と
叫んでいる。





『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円


内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)

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2003-09-10-WED

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