YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson149 たった3円の意志


人は、どんなに、どんなに、
追いつめられた状況でも、
それでも、やっぱり、何か選ぶ余地がある。

たとえば、お財布にたった3円しかなくなっても、
まだ、その使い道に選択の余地があるように。

それでも、まだ、選んで生きなければならないとも言えるし、
それでも、まだ、選べるんだ、とも言える。

人によっては、その3円の中から、
まだ1円は、寄付したいと思うかもしれない。
3円分だけ米をくれと、
お米屋さんに掛け合うかもしれない。
固く握り締めて、使わないかもしれない。
3円分だけ聴かせてくれと、
好きな路上ミュージシャンのそばで、
じっと耳を澄ませ、夜空を見上げるかもしれない。

選ぶということは、やはり、意志であり、
自由のかけらではないか?

見たくもないテレビをだらだらと見て、
なにもできないまま、一日が終わってしまう。
こんなとき私は、
テレビを見てるんじゃない、
見させられているんだ、と思う。
そして、くやしい。
それなら、せめて自分の意志で、
このくだらない番組を観よう、と決めてから観たい。
今日は一日だらだらしようと、
自分で決めて、だらだらしたい。

結果は同じじゃないか、と言われても、
やっぱり自分で選びたい。

「決めない」ということさえも、
自分の意志で決められるし、
流される時も、
「ここは流されよう」と決めることができる。

なにを選べるか? ということより、
何を選んだか? どうしたか? ということより、

選んだかどうか? が尊い。

人には、ずっとやってきた習慣があり、
好みがあり、感覚があり、短くても歴史があり、
そこから、どうしようもなく
人とはちがった選択が生じる。

選ぶということは考えることで、
考えることは、自分に問うことで、
選択がその人の意志になる。

なら、ほんのちょっとでも、まだ選べるうちは、
選びに選び、自分の好きに決めてやれ、と私は思う。
一日、23時間55分を、
だめにだらしなく生きてしまったからといって、
あと5分、どう生きるかを選んじゃいけないわけじゃない。

あと5分、どう過ごすか?
それでも、まだ、選ぶ余地はある。

もう落ち込むしかないと思っても、
せめて風呂に入って、
こざっぱりしてから、落ち込んでやれ、と思うか。
どうせなら、
ビール片手に明日のことを考えてやれ、と思うか。
それでも、まだ、人とつながって生きる道を探したい、
とメールを書くか。

仕事で99%、
自分の意志が反映できないシーンでも、
それでも残る1%、
何を選ぶか? 何を付け加えるか? 何を見つけられるか?

選んだものが、私になる。

今日を、これからどうするか?

選択肢がひとつだってかまわない。
立派な選択じゃなかろうが、かまわない。
失敗したってかまわない。
選んだということが、自分の意志である。





『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円


内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)

2003-05-28-WED

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