YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson112 ラジオの時間


ラジオの電波は、空中をどういうふうにして
飛んでいくんだろうか?
おととい、東京は雨。

それでもスタジオの声は、
コンマ1秒の時差もなく、全国に着地し、
放送中、各地からFAXが届く。

あ、いま、ほんとうに電波が飛んでいる、
そのむこうに人がいる、
と感じる。

声は雲の下を、濡れながら飛んでいくのだろうか?

おととい、
「育休中の女性や、営業中カーラジオを聴いている人にも、
実践的で、しかも単なるノウハウではない、
考える力・伝える力を引き出す文章術を」
との依頼を受け、ラジオでの文章術をこころみた。

ラジオで文章教室、
私は聴いたことがない。
アナウンサーの方も「私自身は聴いたことがないですねえ」と。
ありそうでない。
(いま、これを読んでいる人で、
いや、ラジオの文章教室あるよ、
という人がいたら、教えてください。)

添削がつきものだからだろうか?
悪い文章をみせ、添削し、改作を示す。
改作前と後を、チラチラと見比べる。
文字なら一発でできる。

これを、声でやるとなるどうなるんだろう?

どうやるんだろう、と一瞬、ひとごとのように興味がわいた。
それでも、私は、「文章術にラジオは向いている」と思う。
月間誌→インターネット→講義→書籍、と文章術をやってきて、
次はラジオでやってみたいと、前から思っていた。

ラジオのメッセージは、すごく個別に届くからだ。

この点、ネットも同じ。
インターネットやラジオは、
仲間とわいわい楽しむ感じではない。

ひとり、じっと向かう。パーソナルなのだ。

そのメッセージは、「みんな」にではなく、
まるで「自分ひとり」に届く。
書くことは、考えること、
一人一人に問いかけたり、じっくり考えたりしてもらうのに、
ラジオはうってつけだ。

ではラジオで、悪文、名文などの文章例は、
どれくらいの長さだったら、
リスナーが疲れずに聴きとれるんだろうか?

「読んでみましょうか?」

打ち合わせで、アナウンサーの方が、
さっとストップウォッチを取り出し、
「おとなの小論文教室」に以前書いた、
上司を説得する手紙を読んでくださった。

プロのアナウンサーに、生まれてはじめて
自分の書いたものを読んでいただいた。
美しい声、美しい日本語で、
それは、ほんとうに感動的な瞬間だった。

たった一回読んでいただいただけで、
いろんなことがわかった。
長さはどれくらいが適当か、
聴いてて、このあたりから「長い」と感じるタイミングは、
みんなほぼ同じで、
あとから時計で確認すると1分だった。

それだけでなく、自分の文章の、
どの部分がいらないか、
どの言い回しが不自然か、
ということまで、その一回で、わかってしまった。
他人の目で行われる数回の添削にもまさる。
あんまりよくわかってしまって、自分が驚いた。

よく、文章は声に出して読んでみるといいと言われる。
自分でも実行している。
たしかにわかることはある。けど、
こんなに、文章の完成イメージや
自分の弱点に、一瞬で気づくことはない。

アナウンサーは女性で、
温かい人格がにじみ出た美しい声だった。
当日リスナーの人からもFAXでいただいたが、

「声」には何かがごまかしようなく現れる。

自分の書いたものを、また
プロの声で読んでもらいたいと思った。

「どうして生でやるんですか?」

ディレクターの方に、私は素朴にきいてみた。
生は取り返しがきかない、
失言、失敗の可能性から
当日、出演者が急にこられなくなる危険まで……、
収録のほうが、はるかにリスクが少ない。

そうしたら、生と収録とでは、
リスナーの反応が全然ちがうのだそうだ。
出演者がときに、言い間違えたり、つまったり、
かえってそういうのがあるほうが、リスナーは聞き耳を立てる。
ライブ感というものは、電波ごしでも、ちゃんと伝わる。

ああ、これはネットも同じだな。
自分なりに細々とネットに書いてきて、
わたしも、このライブ感ということを、
「熱」という言葉で考えていた。
ネットに書く文章には、完成度より、熱の方が求められる。
何日も前から、要件を洗い出し、
構成をかっちり固め、
推敲に推敲を重ねた原稿より、
自分自身が揺れながら書いたものの方がネットでは強い。
揺れが止まる、ということは、発熱しないことでもある。
だから、ネットには「いま」を書く、
それをいつからか実行するようになった。
「じゃあ、ネットには3年前のことを書いちゃあいけないの?」
って、そういう意味の今ではない。
過去のことを振り返っても、当時の目でみるのと、
今の目で見るのは、ちがう。

この話題は、あとにとっとこうとか、
結果の出た安全なことを書こうとすると、
何か熱がとまる。それが読む人に伝わってしまう。

今を書く、ということは、たえずなにか
不完全なところを含んでいる。

ラジオの準備をするにあたって、
しっかり準備しても、準備しすぎない、
しっかり構成しても、それにしばられない、
まさに「いま」の自分の考えとして、「熱」とともに伝えるとは?
ライブ感みたいなものをどう出すかを考えていた。

やはり、放送日、放送時間が近づくにつれて、
緊張が高まる。
言うことをすべて書きつくし、読み上げれば失言はない。
でも、棒読みでは、ライブ感は伝わらない。
たくさんの人の前で、ライブ感みたいなものを残しつつ
話をする人は、失態、失言がないように、
いったい、事前にどんな対策をするんだろう。

当日の朝、自分がこれまでやってきた文章の
7つの要件を思い出していた。

意見―自分がいちばん言いたいことは何か?
望む結果―何を目指すのか?
論点―どのような問題意識をもって望むか?
読み手―リスナーはどのような人たちか?
自分の立場―自分は相手からどう見られているか?
論拠―意見の根拠は何か?
根本思想―自分の根っこにある想いは?

このうち、土壇場で再確認して、おくべきは、
やっぱり、根本思想だと想った。
「何を言うか」より、「どんな気持ちでいうか」。
根本思想は、言葉の製造元だ。
根本思想がうらみなら、すべての発言はうらみに、
感謝なら、すべてが謝意に満ちた言葉になる。

本番でふいに、どんな角度から自分の言葉を引き出されようと、
言葉の製造元である「根本思想」が
しゃんとしていれば大丈夫! ライブに備えるならこれだ。

どんな気持ちで放送に望むか、
私は「根本思想」をチェックした。
「人は一人ひとり違うだろう」という考えが、
相変わらず自分の根っこにあった。
同じ人間が2人といないからこそ、
人はみんな、自分の中にあるものを表現したり、
人に伝える価値がある。
本番中どんなアクシデントがあろうと、
聴いている人が、もっと自分を伝えてみようと、
前に向かう気持ちを引きだせるように想いをこめて発言しよう。

本番がはじまると、
心配した、文章例の改作前、改作後の対比も、
アナウンサーの方が、絶妙のポイントで、
リスナーにわかるよう補足したり、
繰り返して読んだりしてくださるので、
まったく問題なかった。
アナウンサーの人は独特の体内にある時間感覚で
私をリードしてくださる。
しかも、リードしていると私に感じさせないよう、
ごくごく自然に。ここに全幅の信頼と安心があった。

切れ目ごとに、放送室のドアが開いてファクシミリが
差し入れられる。
中継車からも、今、別の場所からの情報が入ってくる。
ニュースが読まれる。
あ、いま、ほんとうに電波が飛んでいる、そのむこうに人がいる、
まさに、今この時を、いろいろな場所で人が生き、
動いている感じ、
それがつながっている感じ。
あらためて、ラジオのライブ感というか、同時性を思った。
何万のリスナーとつながって、
独特の緊張感の中で、自分が引き出されていく感じだ。

わたしは、生放送で、どう「熱」を伝えるか、
リスナーの潜在力をいかに引き出すか、
ということを考えていた。しかし、それは逆だった。

なぜ、生で放送するか?
同時性の中で、しゃべっている側が、熱を伝えられ、
一人では発揮できないものを引き出されるからだ。
生と収録とでは、
発信する側の緊張感、
出てくるものがまるでちがうからなのだ。

今、ここに、生かしてもらっている自分がいる。

放送は無事終了し、ディレクターの方から、
「ちょっと難しい内容かなあ?
ファックスくるかなあ、とそれだけが心配だったのですが、
思いがけず、しっかりした内容のファクスが
割とたくさんきましたので安心しました。
ちゃんと志をもったものを出せば、
リスナーはついてきてくれるなあ、
と、心強い思いがしております」
という感想をいただいた。
自分でも、何かリスナーが感じてくれたという手ごたえがあった。
生活に密着した表現術が強く求められていることも実感した。

ラジオの生放送で、添削をふくむ文章術、
しかも「説得の技法」をやるというのは、
ディレクターの方の、わりと思いきった企画だったのだなあ
と、これを読んであらためて思った。

わたしも、ものを書いていて、
読者がわからないだろうと不必要に歩み寄るのは、
どこか、読者より目線が高くなっているのでうまくいかない。
すこしハードルが高くても、想いがこもるものを
読者を信じてなげかけると、
やっぱりこちらの予想以上に読者ってすごい。
すごい読者に出会える。

これは、ラジオでも同じだなあと。
リスナーは、やはりこちらの想像以上にすごかった。
ラジオでは、ネット以上に、
一瞬を共有する力が濃いからリスナーの引き出す力を
この体、一身に感じた。

途中かかる音楽は、先方の選曲で
知らされてなかったが、
ふいにかかったその曲は、ブルーハーツだった。
雨の中、同じ電波に載って飛んでいくヒロトの声、
ほんの一瞬、放送を忘れ聴き入った。

この夏のことや、
このコラムに書いた「はだかの言葉」や、
このところの読者との熱いやりとり、
そして、ほぼ日の「読者力」を思った。

何十万と、ネットの暗がりに網のようにひろがって、
サイレントで、しかし、ときどき、キラッ、キラッ、と光りを放つ。
わたしは、やっぱり、その存在にどきどき、ワクワクするし、
多くを引き出されている。

ほんとうにありがとう。





『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円

内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)
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2002-09-11-WED

YAMADA
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