YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson105 ものつくらぬ人


会社の外には、広い世界があるような気がした。
自分には、生かしきれてない
可能性があるような気がした。

私は、飛ぼうと思った。

30代の離職は、
マンションの3階から飛び降りるくらいは、勇気がいる。
落ちたら、死なないけど、骨が折れる。

臆病な私は、相当な覚悟をして、飛んだ。
でも、「自分なら、落ちずにこのまま飛んでいける」
どこかに甘い期待があったと思う。

飛んでみたら、
骨折もせず、ましてや、このくらいの飛び方じゃ、
のたれ死ぬなんてありえなかった代わりに、

私は、小さい四角い箱に閉じ込められた。

2000年に会社を辞めて、私は、ずーーーーっと、
「脱出」、ということを考えていた。

箱は、物理的に出入り自由で、鍵なんかない。
もう、会社を辞めて自由になったのだ。
外には広い世界がある。
いつでも、どこでも、
好きなところへ行って、なんだってできる。

しかし、会社を辞めてからの私は、
くる日も、くる日も、この箱の中で、
閉塞感に、押しつぶされそうになっていた。

会社にいたころの私は、
「時代の閉塞感」なんて、
言われても、気にもかけなかった。
自分の仕事で、教育に風穴をあけ、
足元から、1ミリでも2ミリでも、
世の中を変えていけると思った。

その情熱を生かすステージは、広がるはず…だった。

なのに、自分は、会社のビルよりはるかに狭い、
この箱の中に自ら、閉じ込められている。

箱とは、私の仕事部屋だ。

私は、ここで、2年あまりの間、
15インチのモニターに向かい、
大半の日々を、独り、ものを書いていた。

行きづまったら、お茶を飲み、
独り言を言い、冷蔵庫からものを出して食べ、
書けないと、ふて寝し、
いいアイデアが湧いたら、BGMにあわせて踊り、
また、モニターに向かって書き、
ゆきづまっては、ごろんところがり、
また、起き上がって書く。

「作家は最下層」

以前、編集者の友人と、そんな話をした。
会社にいたときは、作家「先生」と思っていた。
でも、辞めて、透明な目で組織を見ると、
社員の方が、圧倒的に権力を持っていたことに気づく。
企画を立てる権利、企画を通す権利、
内容の善し悪しを判断し、方向を決める権利、
謝礼を決定する権利、著者を選ぶ権利。
そして、収入効率も、出版社の社員の方がいい。

フリーの友人が、
自分のつくったものに、担当者が絶賛で、
中継ぎをしているプロダクションでも絶賛、
クライアントの企業でもOKが出、
ところが、最後に発注元にもっていったら、
だめ出しをくらって、すべて、
やり直しになったと、言っていた。
「間にいる人たちって、おどろくほど、
 自分の創りたいものがないんだなと思った」
と彼女は言った。

フリーランスで仕事を受けると、
クライアントの組織や、力関係が、
レントゲンのように透けてみえる。

それは、仕事のフローの川上いた自分が、
今、川下にいるからだ。
ものを書くというのは、
実際に、その日に、書いたものがないと、
どうにもならないから、もっともごまかしようがない。
だましの効かないところに、
いろんなことのしわ寄せは集まる。
だから、人や社会がよく見える。

どうして、上にいくほど、
話が通じにくくなるのだろう?
現場の人が最も通じやすく、
上にいくほど説明に時間がかかり、
偉い人のところへいくと、とんちんかん、になる。

でも、それより、タチが悪いのは、
「何をしているのかわからない人」
ではないだろうか?
大勢のチームで仕事をすると、最終的に、
「あの人はいても、いなくても、
 仕事の質に影響なかったな、
 はて、あの人は、何をしたんだろう?」
と思う人がいる。

すごくかっこいい意見を言って、
まわりを感心させたり
そこまで現場が積み上げたものを、
ひっくり返すような発言もするのだが、
言いっぱなし、ひっくり返しっぱなし、でどこかに消える。
あと創っていくとこは、
結局現場が地道にやっていくことになる。

私は、会社を辞めることで、
組織のピラミッドの外に飛び出して、
鳥のように自由に大空を飛ぶ気でいたが、
これでは、ピラミッドの最下層に、
ひっかかっているだけだ。
そう気づいても、要求されたことに、
要求以上を返し、
道を開くといういきかたしかできなかった。

クライアントが喜んでくれる
→また仕事をたのんでくれる。
→また独りの仕事部屋でものを書く。

締め切りがたまると、余裕で10日とか人に会えない。
すると孤独感に、自分がちぢんでいく。
少し、人の空気に触れたくて、
自転車で駅前に行って、人の流れを見たりした。

自分は人が大好きで、
人の絆を広げたくて、会社の外に出た。
しかし、なぜ、自分は、独りでくる日もくる日も、
ものを書いているんだろう?
これが、自分が望んだ現実だろうか?
どうしたら、この生活から「脱出」できるんだろうか?
脱出の「キー」は、何だろうか?

つらいなら、家に帰るなり、
なじみの友だちに泣きつくなり、
再就職でもなんでもすればいいのに、
どれも、どうしても、したくなかった。
そうすれば、気持ちはすぐ楽になるだろう。
でも結局それは、会社にいたときの仕事の仕方、
人との関わり方の、焼き直し。
脱出ではなく、一時的な避難にしかならない。

私は、何か、構造を変えたかったんだと思う。
仕事にしても、人との関わりにしても、生き方にしても。
しかし、その新しい「キー」になるような強いものが
自分の生活の中に立ち上がってこない。

昔にもどるのはいや、新しい生き方はイメージできない。
そりゃ、閉塞もするだろう。

孤独から、目をそらすことも、ごまかすこともせず、
私は、直球で受け止め、直球でつらがっていた。
孤独は、肌から染み込み、毎日胸をしめつけた。
その中で、書きつづけた。

そういう生活が2年くらい過ぎて、
気がついたら、自分は箱の外へ出ていた。

仕事部屋は、いまや檻ではなくて、
コックピットのようなものだ。
次は、どんなおもしろいことをしてやろうか、
とわくわくする。
ここにいるのも、ここからでかけるのも、
ここへ帰ってくるのもたのしくなってきた。
点、また、点、とできていった人との関係性が、
しだいに、ネットワークになって立ち上がってきた。
それ自体は、まだ、弱弱しいものかもしれない。

でも、先詰まり感がないのだ。
以前の自分は、どうしてあんなに閉塞感に
うちひしがれていたのか? わからない。
仕事だって、人間関係だって、
この先、もし、困ったら自分でつくっていけばいい。
そういう内からの解放感があるのだ。

なぜ、「脱出」できたのだろうか?

私は、ここへきて、
組織では、なぜ上にいくほど、話が通じにくいのか?
実感としてわかってきたような気がする。
彼らは、いじわるをしているわけではない。
わかりたくてもわかれないだけなのだと思う。

どうしてわかれないか、といったら、
「創造性」が痩せてしまったからだろう。
まったくあたらしいイメージを
頭の中でさえ創ることができなかったら、
結局、過去の事例みたいなことで
ものごとを判断していくしかできない。
悲しい頭になる。

どうして「創造性」が痩せるかというと、
創造の母である現場作業、実作業を
人にやらせて、自分でやらないからだろう。

創造性は、「お勉強」じゃない。
世界中のクリエイティブなブレインと渡り合ったって、
何十冊も本を読んだって育たない。

創造性は、唯一、創りつづける生活の中からしか
生まれてこないと思う。
どんなクリエイティブな職場だって、肩書きだって、
何一つ創っていない人はいるし、
ささやかでも、日々、創って生きている人もいる。

「お百姓さんのようなもんだ。」

構成作家をしている友人が、先輩から言われたという。
「フリーの作家である自分たちは、
たとえて言えば、自分の畑で、
大根をつくって売っているようなものだ。
つくっているのは大根だから、どうつくっても
大根1本、決して高くは売れない。
でも、注文がこないからといって、
畑を休ませたら、いざ注文がきたとき、大根はつくれない。
だから、いつ注文がきてもいいように、
常に自分をたがやしていなくてはいけない。」

会社を辞めて、飛ぼうとした私は、
フローの最終工程に、ペタンと着地した。
圧倒的に弱い立場になって、
どんなささやかな価値でも、自分の畑から
なにかつくらなければ、
何一つ、前に進めない状況にロックされたのだと思う。

一編の書きもの、
自分ひとりで紡ぎだせる価値はささやかで、
そのちっぽけさに打ちひしがれながらも、
それでも、書いて、創って、前に進むしかない状況に
追いこまれたことは、とてもラッキーだった。

パソコンに向かい、1字1字打つことは、
自分の創造畑に、鍬を打ち、
たがやしていくような作業だと思う。

どんな価値を創造するか、ということよりも、
どんな価値でも、創って、創って生きていく、
生活そのもの、
創造性の根っこそのものみたいなものが、
この2年間で、自分の中に
少しづつ立ち上がってきたことが、
「脱出」のキーではなかったかと思う。

会社でやっていた編集の仕事は、
もちろん、クリエイティブだったと思う
でも、今と追いつめられ方はずいぶんちがう。
人に創ってもらったものを買おう、とか、
人の創ったものに、うまく乗っかろうとか、
コラボレーションだから、
「みんな」でいいもの創りましょうとか、
立場が古い分、面倒なことは
若手にやってもらいましょうとか、
合理・効率の名のもとに、
自らの創造の畑を枯らしてしまうような
もったいない罠が、
組織にはたくさん用意されているような気がする。

創造性って、お手てつないで芽生えるのかな?
プロデュースとは、
前に向かって引き出すという語源らしいが、
私の場合は、孤独が創造への基礎体力・基礎生活を
引き出してくれたような気がする。

そして、どんな仕事の、どんな立場の人であろうと、
創造性がなくていい人なんて、一人もいないと私は思う。

友人たちと、よく
「好きなことをやるためには、のたれ死には覚悟」
と言っていた。不安な生活の中、うそではなかった。
でも、そういう私にある人がこんなことを言った。

「たたみ2畳分地面があったら、
私はどんなことをしても、野菜を植えて、育てて、
世の中がどうであろうと、自分一人、
最後まで、食って、生きていく自信がある。」

軽々と「のたれ死に」を口にする私たちは、
まだまだ、
クリエイティブではなかったのかもしれない。

今、生き方を創って行くところが、面白くてたまらない。




『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円

内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)
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2002-07-24-WED

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