YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson104 チャンスに期待……しますか?


いきなり、唐突な質問ですが、
あなたは「チャンスがあれば……」ってよく言いますか?
ところで「チャンス」って何でしょう?
「チャンス」ってそんなに大事でしょうか?

***

最近、結婚を急ぐ20代男性の話を、
まわりでほんとによく聞くなあ…と、思っていた。
そしたらちょうど『AERA』15日号にそのことがのっていて、
これって全国的! っていうか、社会現象? と思った。

私が、直接話を聞いた男性は、
30歳になるのが想像以上にプレッシャーで、
俺は何なんだ!? これからどうするんだ!? 
という感じで。
何とか30までに結婚を!と、とても切実に語ってくれた。
昔『29歳のクリスマス』というTVドラマがあったけど、
これって、たしか女のセリフじゃなかったろうか?

私は、反射的に、
友人のFさんから聞いた話を思い出した。

小学校の教室、

「ピアノが弾ける人――?」と先生が聞くと、
子どもたちが「はーい!」「はーい!」と手を挙げる。
実際あててみると、その子はピアノがひけないというのだ。

ほんとにそんな子いるの? と私は思った。
弾けないのになんで手をあげるの?
あてられて弾けなければみんなの前で大恥をかくのになぜ??

「そこまで考えない、手をあげればなんとかなると思っている」
とFさんは言った。

弾けたらいいなあ、が、
弾けてほしい、
そして、手をあげさえすれば、
先生にあててもらえば、自分はなんとかなる……か???

笑えなかった。私はぞーーーっとした。

高校生たちに勉強を教えていたFさんは、
今の若い人についてこんなことも言った。
「自分ではたいした努力もしない、
何もしないで、今の実力のまんま、
チャンスをつかんで、するするっと幸せになろうとする。」

あ、痛たた…。

私は、会社をやめて、いくつか学校に行った。
大金を払ったにもかかわらず、力はつかなかった。
私は、教育ビジネスに
ずっとかかわってきたから少しはわかる。
これらの学校は、
まだちゃんとした指導法やカリキュラムを持っていなかった。
講師の採用や育成方針もおぼつかない。
いわば、教育の素人であることは、すぐわかった。

じゃあ、なぜ、自分は、その学校を選んだんだ?

と考えて、しばらく口をあけて、呆然とした。
看板になっている人物の、
いわば「ビックネーム」につられたのだろう。

10代や20代のころならまだしも、
もう、こういうものに幻惑されない知恵は
ついていると思っていた。
しかも、会社というブランドを捨てて、
これからは、自分の腕で生きていかなければならない
というときに、組織から逃れ、
なのに、なぜ自分は、また、
こんなところでブランドの罠に
はまっているのだろうか? イメージだけで。

私のバカ! わたしのばか!!

この時を境に、他者や、機会にやみくもに期待する、
ということから卒業できたのではないかと思う。

勉強をしたいなら、とりあえず学校に入っちゃえば、
あとは、場の力でがんばれる、ではだめなのだ。
もう、何を見ても何をしても新鮮な子供ではない。
自分の進みたい、方向や色、味を持ってしまった大人だ。
つけたい力は自分でつけるか、
なんらかの機会をあてにするにしても、
その内容や、方向性、
自分の関わり方をよく吟味しなければならない。
こういうのを、セルフプロデュースというのかもしれない。

ここのところ、まだデビュー前の、ミュージシャンとか、
クリエイターとか、アーティストの、
人や作品と、交流を深めている。

とても乱暴にわけると、
こういう人たちが立っていくには、
2つの道があるような気がする。

ひとつは、チャンスに信を置くやり方だ。
オーディションを受け、
力のあるプロデューサーに引き上げてもらう。
つんくさんのプロデュースする
「モーニング娘。」をイメージするとわかりやすいと思う。

彼女たちがやっている仕事の規模、
影響力、実績は、
同年代の女の子が自分でやろうとしても、
とうてい及ばないものだ。
そこに、磨き抜かれたたくさんのプロたちの力がある。

もちろん、プロデューサーの力を頼みにするといっても、
彼女たちに、選ばれるだけの素地と。
その後のすさまじい努力があればこそだと思う。

いっきに全国のたくさんの人に発表の機会がもてる反面、
たとえば、市井さんのように、
自分の目指す音楽性とちがう、というような
アンマッチも起こってくる。

一方、ライブから立ち上がってくるアーティストは、
まず、自分の表現したいものを、形にしていく。
自分で、詞を書き、曲をつくり、ライブで発表。
お客さん数人というところから腕一本でやっていく。

自分の内面を作品に注ぎ、
人前で発表し、生の反応を受けることは、
まだ10代、20代の、とくにソロでやっている人には、
過酷だと思うときもある。

でも、彼らは、早く売れることや、チャンスに期待するより、
自分の表現をすることに喜びを感じている。
彼らが信を置くのは自分だ。

数年前からはじめたライブ通いで、
やっと、ごくわずかの、
原石のような人たちに出逢うことが出来た。

いま、どんなメジャーな作品よりも、
自分をかきたて、力をくれる。
クリエーターの卵の友人たちも、
創ることに非常にかきたてられているという。

一瞬にして場を席巻し、
人を魅了する華があると思うアーティストには、
共通点がある。

まず、自分の創りたいものがはっきりしていて、
そこに強い衝動と自信を持っている。

次に技術がある。
私は、その個性にひかれているのであって、
特にテクニックに期待しているわけではない。
技術はないけど、ハートでカバーでも私はいいくらいだが、
どうしてなのか「これだ!」と思う人は、必ず、
ギターなどのテクニックもずば抜けている。

三つ目は、コミュニケーション力が優れている。
ちゃんと人の言葉を受け取って、
きちんとコミュニケーションが返せ、礼儀正しい。
アーティストにそういう能力を求めていなかっただけに
衝撃だった。
「二十歳そこそこで、すごく大人びている、
 自分はあのころ、まだ鼻をたらしていた」
と友人も驚いていた。

考えたら、すべて理屈が通っている。
想いを形にする生き方。想いには、技術がついてくるし、
彼らは、詞も曲も、会場を借りるのも、
衣装も、照明も、広報も、この先の活動の方針も、
すべて自分で考えて決めていくわけだし、
人とのコミュニケーションなしには、前に進めない。
たとえ10代であろうと、
組織や大人をあてにせず、
自分で自分の人生をプロデュースしていこうとするとき、
自然に鍛えられていく技能なのかもしれない。

力のある大人をみると、
こびたり、引き上げてもらおうとまではしないものの、
何か吸収しよう学ぼうと、
すりよっていく若い人は多いのではないか。自分もそうだった。
でも、彼らはちがう。相手に与えようとする。
二十年ちょっとの人生でも、自分が吸収したもの、
自分なりの錬金術で紡ぎだした光るものを、
相手がどんな人であってもまず、
与えようとすることから始める。
おもしろいものは、まず自分でつくってみる、
人に表現してみる。
そういう点で、生き方がクリエイティブなのだと思う。

彼らのそういう生き方から繰り出される作品性が、
聴く人に、自分を生きることや、ものを創ることへ、
無限の勇気を与えている。

大学に行けば…、企業に入れば…、私はチャンスを頼みにし、
場や組織や大人の力に生かされて悔いなく生きてこれた。
でも、もう、「この人のとこへいけば」とか
「あそこに入れば」というものがない。

それは、世の中がだめとかいうことでなく、
自分の色を生きようと思い始めたからだと思う。
その生き方をするには
セルフプロデュース力を鍛えるしかない。

大学に行けば…、あそこに入れば…、結婚すれば…???
あなたはどうか?
チャンスはあなたを幸せにしてくれるのだろうか?





『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円

内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)
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2002-07-17-WED

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