YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson82 批判に生まれる相似形
      ――批判・反論の条件3


以前、高校生向けの講演会で、
ある大学教授がこんな意味のことを言っていた。

「人は憎む相手と戦って、
 倒した時、敵と同化する。」

一瞬、そんなバカな……、
と思ったんだけど、
すごく恐かったのを覚えている。

その先生の言葉を、
私なりに、こんなふうに解釈した。
受け売りの上、ノートもとっていなくて、
うまく説明できないから、
例をあげてみる。

例えば、
あなたの組織のリーダーに
とても嫌な人物がいたとする。
その人物は、権力や金力にものを言わせて
自分に都合のいい人間だけをはべらせ、
自分に都合の悪い人間はねじ伏せる。

あなたは、その人物を憎み、
痛烈な批判を展開するとする。
批判文を公開したり、
あの手、この手で、その人物の悪事をあばく。

敵もしぶといから、
なかなか往生せず、長い長い、
泥沼の攻防がつづく。

その果てに、ついに、あなたは敵を
権力の座から引きずり降ろし、
変わって、あなたがリーダーの座につく。
勝ったのだ。

すると、どうしたことか。

しばらくして、あなたは、
自分に都合のいい人間だけをはべらせ、
自分に都合の悪い人間はねじ伏せる。
権力や金力にものを言わして。

あれほど憎んでいた敵と、
結局、同じことをしている。

憎んで戦って倒して、敵と同化してしまったのだ。

これはなぜか、というのを、
当日の講演で
私は、こんなふうに聞いた覚えがある。

敵をたおすには、
敵のやり方を一度自分のものとして消化し、
かつ、超えなければならない。

敵のやり口を消化する過程で、
敵のやり口に、
自分がのっとられちゃうってことだろうか?

恐い、こわい。

この説が正しいんだったら、
「この人物だったら自分がのっとられてもいい」
と思える相手としか戦えないということだ。
つまり、「自分」。

私は、半信半疑で、講演を聞きながら、
なぜか、帰りの電車の中で、
自分以外の敵と、戦うまい!
と固く心に誓っていた。

もう、ずいぶん前の、
この話を忘れなかったのは、時々、

同化かしら?

と思い出す現実があるからだ。
ネットの会議室などで、
トラブルメーカーみたいな人を見かける。
悪気はないのだろうけれど、
客観的思考を失いやすい、
感情に走りやすい人だ。

観ていて、
「なんか違うな」
と思うんだけれど、
私をはじめ、多くの人は、
何もできずにいる。

そんなとき、
勇気ある人はいるもので、
トラブルメーカーをさっとたしなめる書き込みをする。

私が見かけた文面は、
小論文という見地から見ても、本当に素晴らしかった。
開かれた広い視野で、
冷静に、筋道立てて、
トラブルメーカーをたしなめている。

きっと、ネットでの議論のつくり方や、
マナーについて、しっかりした見識がある人だろう。

ところが、だ。

トラブルメーカーから、
思いもよらない反撃が返ってくる、
ストレートな反論ならいいけど、
それは、変化球というか、魔球とも言える、
おそろしくねじくれた位置にあるものだ。

それでまた、同じ人が、
そのねじくれた反論の問題点を、指摘し、
あるべき方向に導く書き込みをする。
と、また、トラブルメーカーから魔球が返ってくる。

こういうやりとりを続けるうちに、
たしなめていた方が消耗し、
次第に、視野の狭い、
感情的な書き込みをするようになっていく。

客観的思考を失いやすく、
感情に走りやすい……、
これって、トラブルメーカーと、同化したのだろうか?

結局、その会議室はなくなった。
あの勇気ある人は、
戦う相手を間違えたのだろう。

論敵と批判者の間に生まれる
鏡映しのような、相似形。

私自身も、
最近、そんな相似形によく気がつく。
反論に反論しようとしているようなときだ。

「ちゃんと、私の話を最後まで聞いてよ。
 あなた、人の話をちゃんと聞いてないでしょ。
 私は、その言葉を、
 そんな意味で使ってるんじゃないよ」

私は、そう相手に言いかけて、はっと気づく。

では、私は、
相手の話をちゃんと最後まで聞いたのか?
相手の方は、その言葉を、
どんな意味で使っているか、
ちゃんと、話し全体の中で理解したのか?

また、あるときは、

「なんで、そんなにカリカリ突っかかってくるのよ。
 私が、そう思うのは勝手でしょ。
 なにもあなたに、押し付けてるわけじゃないよ。
 あなたは、自分と違う意見を持つ自由を許さないの?」

そう言いかけて、ふと、
自分は、なんでこんなにカリカリしてるの?
と思う。
では、私は、
違う意見に反論する相手の自由を許さないのか? と。

そういう相似形を発見してしまうと、
なんか、もう、反論する気が失せてしまって、
不謹慎なのだけど、笑ってしまう。

で、その後で、
「これからは、あいまいな言葉は、
 自分がどんな意味で使っているか、
 事前にはっきりさせてから、話さなきゃなあ」
とか、
「視野が狭いのは、結局私の方だよなあ」
とか、思うのだ。

その時、もう、敵は相手ではなくなっている。

相手と戦わない、
というのは、
何も、悪事を見てみぬふりをするとか、
間違った人をのさばらせておく、
という意味ではない。

その問題に、本当に勝つとはどうなることか?
そのために自分は何ができるか考えると、
敵は、相手ではなくなる、
そんなケースが多いんじゃないだろうか。

あのネットの会議室では、
たぶん、トラブルメーカーに本当に勝つとは、
いい議論が活発にやりとりされる会議室にすること、
だったのだろう。

批判・反論、
相手とにらみ合っているそのとき、
もし、相似形を発見したら、教えてほしい。

本当の敵は、何だろうか?





『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円

内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)
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2002-02-06-WED

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