YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

かけがえのないひとりに

「人が入れ変わっても、
 まったく同じ質のものが造り続けられるシステムを
 つくりたいの。」

という組織の言葉に違和感をもった私は、
自分にしかできないことをやろう、
かけがえのない存在になりたい、
と思って会社をやめた、

と、先週コラムに書いた。
ここで、疑問が生まれる。

かけがえのない存在って、会社にいてはなれないの?
会社の外に出れば、なれるの?

そう思っていたら、
フリーランスで構成作家をやってる友だちZから、
こんなメールがきた。
彼女は、ずっとフリーでテレビ番組の構成をやってきた。
経験豊富なプロだ。


Zからのメール

先日の「おとなの小論文教室」を読んで
ついつい、メールしたくなっちゃいました。

「人がいれかわっても同じモノができるような
 システムをつくりたいの!」

と言う言葉、
全く同じ言葉を私は今年、
一緒に番組をつくっているプロデューサーから
聴かされました。

これはフリーか会社員かは関係ないみたい。

私がお金を出して番組を創っていたら、
また、私たちスタッフが
お金を出しあって番組をつくっていたら、
それはないのだけれど、
やはり、あくまでもテレビ局というひとつの会社が
「製品」として出荷するときに、

その商品に「ぶれ」があるのはこまる。

つまり、人がいれかわっても、
それなりに安心なラインがつくりたい!
ってプロデユーサーの発言は
もっともといえばごもっとも...。
でもちょっと寂しい。よね...。

かけがえのないひとり。
になりたいと思って
「創る」仕事に身を投じたわけだからね。

もちろんオリジナリティがないと
その一員になる資格ももらえないのだとは思うけれど、
それにくわえて、
製品をつくる「ライン」の一員として何ができるかまで、
期待されるというのもあります。

それは、
他の人が暴走するのを止められる、とか、
人の言うことを良く聴いてくれる、とか、
また、新人が入ったときに
教育係になってくれそう、とか。

そんな役目もあわせて、
要求されることはいろいろあって
「もっと自分をだす」ために、
その前の地固めで疲れてしまったり...。

時々、ずっと先輩の昔の人たちの話をきいていると、
新聞社とか編集者もそうだと思うんですが
いろんなタイプの人や、
個性をホールドしておける懐の深さが、
会社自体にあったように感じます。

こういうご時世で、
なるべくモノをつくるのにも確実性が第一で、
冒険をさせる余裕がない。
そんなところが、モノをつくったり、
意見を述べたりしていくべき場所の居心地を
難しくしているんじゃないのかなあなんて...。

会社が持っている、
電波とか紙面とか、
場所を借りている以上、
そこからは脱出できないのかも。

ホント、自分たちで、何かを立ち上げることでしか、
このジレンマからは逃れられないのかも


………………………………………………………………………

Zからきたこのメールがとてもツボにきて、

自分は、現場の声に飢えているのだなあと思う。

たぶん、メディアにたくさん登場している声は、
こういうジレンマから解脱しちゃった人の声なのだろう。
つまり、
自分たちで何かを立ち上げ、
よそにないかけがえのない存在になっちゃった人の声だ。

ああ、だから、
いまの私からするとすごくステージが高い。
高すぎる。

Zのメールの現場力(げんばぢから)に打たれていると、
もう一人の友人X(エックス)からメールがきた。
Xは、小説を書く、
という迷いのない目標がある。
いつも、自分は何をしたいかはっきりしていて、
それに迷いなく向かう人だ。


Xからのメール

私も、あのコラムでガツンときたのは
「人が入れ替わっても同じモノが作れるシステムを......」
という一文でした。

去年仕事を辞めるとき、
最後に私の肩を押したのは、
「私がいなくても、
 この会社は何事もなかったように回っていくだろう」
という思いだったんだ。
もちろん、事実もその通りになった。

そして今、私を苦しめているのもそのコト。

私は小説を書く時間が欲しくて、
その為だけに今の派遣の仕事を選んだわけ
だから、納得はしているんだけど......
でも、やっぱり虚しさがあるのね。

「こんな仕事は、私じゃなくたって誰にもできる。
 明日私が突然辞めても、
 世界中の誰も困りはしない」ってことに。

だから、その気持ちに言い訳するために、
懸命に小説を書くわけよ。
滑稽と言えば滑稽。

でも、もちろんそれだけじゃなく、
言葉で説明できない理由で、
とにかく何か「創りだしたい」自分がいる。

私の心の恋人、寺山修司さんが、
あれだけ本書いて売れて、
儲かってたはずなのに、
死ぬまで渋谷で狭いアパート暮らしをしてたっていうのが、
全て「天井桟敷」のせいなんだよね。
「芝居やってなきゃ、今頃豪邸の一つ二つ建ってる」
って、本人も言ってたそう。

私はこのエピソードがとっても好きで、
誰にも指図されず、スポンサーにも左右されず、
本当に作りたいものを創ろうと思ったら、
ここまで腹くくってやっていいんだな! って、
晴れ晴れした気持ちになるの。

結局、何かに「所属」している限りは、
Zの言うように、そのラインの一員としての機能を
期待されることは避けられないんだろうな。

でも、よっぽどの力がない限り、
ラインを利用しないと表舞台に踊り出られなかったりして。
ジレンマ。

今こういう不況の中で、
オリジナリティっていうのはどれくらいの価値を持つのだろうか。
「こんな時代だから会社が一丸となって」
って、そういう風潮でしょ? 嫌われるのかな、個性って。

でも、私はやっぱり、
オリジナリティが次の扉を開ける! と信じたい。

みんなが最初は腰を抜かすようなことが、
当たり前になっていく。
それが歴史だもんねえ。

………………………………………………………………………

オリジナリティが次の扉を開ける! 
わたしも信じたい。

ジレンマの現場にいる人、
どうぞ、声を聞かせてください。




『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円

内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)
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2001-12-19-WED

YAMADA
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