YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

別れ

つらい「別れ」と言ったら、
あなたは、まっ先に何を思いだすだろう?

「別れ」って、
だれか悪役でもいれば、
そいつを怒ったり、怨んだりして、
少しは気がまぎれるのに、

たいていの別れは、
だれも悪くない。
悪くないからまっすぐ悲しい。

川が流れるように、
人も流れる。
ちゃんと自分を生きていれば、
「別れ」はくる。
だから、
泣かないで
しがみつかないで、と思う。

別れのときに、
相手に言いたい言葉、っていろいろある。
「こんちくしょう」
「さよなら」
「いかないで」

でも、別れの言葉で、もっとも切ないのは…、
二度と逢えない相手に、
最後に何を言いたいか考えて、
たったひとつ、
この言葉だけが出てくる、
これしかない、というときだ。
それは、

「ありがとう」だ。

私も、そんなありがとうを言ったことがある。
去年、会社を辞めるときのことだった。

私は仕事が好きで、
駅に降り立って、会社のビルに歩いていくと、
胸がはずんだ。
会社のフロアにいくと元気になる。
だから、自分が会社を辞めるとは、
思ってもみなかった。

会社員には、
避けられない人事異動というものがある。

13年近く担当した仕事を変わることが決まったとき、
私は、大人の受けとめ方をした。
3〜5年で異動があたり前の会社で、
長くひとつのことを深めさせてもらえたのは異例だったから、
覚悟はできていたし、
他のこともやってみたかった。

だから、部長に感謝し、
新しい部署での抱負を述べ、異動通達は穏やかにすんだ。

ところが前向きな私の発言とは逆に、
そのときから身体は妙な反応をした。

みぞおちの真ん中あたりが「すか」と
欠落したような、
身体の表面が痛いような感じがずーっと続いた。
頭がさえて3日3晩、眠れない。

なんだろう、この感覚は?

このとき、CDコンポを衝動買いしたりもした。
持ちきれなかったので新宿の電気屋さんから家まで
タクシーで帰った。
堅実な私は、今まで決して
そんなお金のつかいかたをしなかったのに。
「いままでがんばってきた自分へのご褒美だ」とか、
「これからは、私生活も充実させるぞ」とか、
わけのわからないことを自分に言い聞かせて、
たのしくコンポをセッティングしようとした。

しかし、前向きにふるまえば、ふるまうほど、
身体の真ん中の空洞感は、
大きさと、重さを増していった。

なんだろう、この感覚は?

私は、その感覚を考えないようにして、
新しい環境になじもうとした。
ところが、異動に際して、
新しい部署の上の人と面接をしていたとき、
ある決定的な違いに気づいたのだ。
たぶん私は、上司にこんなことを言ったと思う。

「私は、10年以上も編集をやってきたのだから、
それだけいいものを創らなければいけない。」

ところが、上司はきっぱり言った。
「いいえ、私はそうは思わない。
10年以上の人も、
3年目の人も、
人が入れ変わっても、
まったく同じ質のものが造り続けられるシステムを
つくりたいの。」

一瞬、ぽかんとした。

あれ、私、まちがえた、というか
ここは私の居場所でない、という気がしてきた。

短いやりとりだけど、
その組織と私の志向の違いが明白に出ていると思う。

私は、いいものをつくるには、
まず、いい編集者、つまり「人」だと思っている。
だから、人選とか、いい人材を育てることに
重きをおくし、自分も力をつけていこうと思う。
力のある人がつくれば、いいものになるし、
だめな人がつくればやっぱりだめなものになるし。
また、同じくらい力があっても、
Aさんがつくるのと、
Bさんがつくるのでは、
ちがったものになると思っている。

しかし、そのときの、その組織では、
個人の力量に左右されないで、
一定の質のものづくりが、恒常的に
できるシステムをつくりたいと思っていた。

この考えは、いちがいにどちらがいいとは言えない。
私も、前の部署でそれなりの成果を出していた。

ただ、お客さんも社員の数も大規模で、
人の回転の早いその組織の現実に、
責任感をもってあたるには、
上司の考えの方が即していると思った。

考えてみればわかる。
私の仕事観では、
一人一人がかけがえないのだ。
裏返したら、
その人がいなくなると困ってしまう、
仕事はがらりと変わってしまう、
ということだ。

もし、人の回転が早い組織で、
私のいう「かけがえない」を実践していこうとすれば、
組織は、人が退社したり、異動の度に、
大きなリスクをしょうことになる。
第一、「10年もの」の編集者が育つまで
待ってはいられない。
だから、上司の考えは、
合理的だと思ったし、
企業人として尊敬できるものだと思った。

では、そのことと、自分はどう関係するか?

と考えると悲しいことに、
もう関係していくことはできなかった。
私はそのとき離職を決意した。

それまで、企業で身につけさせてもらったものは、
私にとってあまりにも大きかった。
だからそういう経験を生かしてこその、
自分にしかできないことをやろうと思っていたのだ。
しかし、会社で身につけさせてもらったものを生かすためには、
皮肉なことに、この組織の外にでなければならない。

平均寿命が7〜80年としたら、
もう記憶力や体力が自由になる時間は限られてくる。
自分でなくても他の人にできることを
いちから覚えて、やっていく時間的余裕は、もう、年齢的に
私にはなかった。

私は、「かけがえのない」存在になろうとしていたのだ。

なら私はなぜ、
自分のフィールドに企業を選んだのだろう?
しかも、大がつく企業を。

ふたたび、「ぽかん」とした。

企業とは何か?
自分とは何か?
自分と、企業はどうかかわるか?
そういう問いが、一気に押し寄せた。
なんで今までちゃんと考えてこなかったのだろう。

組織と自分との、
考え方の差がわかったとき、
意外にも、頭に浮かんだ言葉は、

「ありがとう」だった。

企業効率の流れにあって、
私の存在は明らかに異質だった。
しかし、企業は、
そういう私のやり方も認め、
尊重し、育んできてくれたのだ。
異質を生かす度量があった。

企業というシステムの限界があって、
なのに私は生かされた。
なぜか、と考えると、
限界を補う「人」がいたからだろう。
上司や、先輩や、仲間や、
さまざまな人の、想いや判断によって、
自分は生かされてきた。
会社に対して、もう、
感謝の言葉しかなかった。

「ありがとう」

と思ったら、
異動通知をうけとってから、
通底していた痛みの正体をやっとうけとめることができた。

これは、別れのつらさだ。

大好きな友だちが外国にいってしまうとか、
大切な人が死んでしまうとか、
かけがえのない人を失うつらさと同じだ。

たかが仕事に、
私は、そこまで強い絆を結べていたのだ。

もし世界中の一流誌を集めて、
どんな雑誌の編集長にでもしてあげる
といわれても、
私は、迷わず、自分がいままでやっていた、
あの薄い冊子を選ぶだろう。

小論文とは何か?
一から積み上げていった、
出会いや、工夫や、実験や、歴史がいきている。
これは私のすべてだった。
豪華なファッション誌と比べたらみすぼらしくても、
私にとっては価値がある。
どんなものとも引き換えにできない、

「かけがえないのだ」

と思ったら、
どっと涙があふれてきた。
電車で泣いて、
でも、泣きながらスーパーで買いものもして、
成城の街を泣きじゃくって歩いて帰って、
部屋に帰って、わーんと大声を上げて泣いた。
私は、たかが仕事との別れが辛くて泣いた。

仕事は、いい回路に行っていた。
経営数字もよく、
メンバーもやりがいを持って仕事をし、
よそにないものができていた。
なのになぜ、
私の意志とは関係なく、
私は、この仕事を離れねばならないのだろうか?

と考えたら、
ちゃんと理由があった。

自分ではじめた仕事ではなかったからだ。
会社からお金や場や人を与えてもらって
やらせてもらっていた仕事だからだ。
時がきたら、
会社にお返しししなければならない。
会社が与えて、会社が取ったのだ。
これはあたりまえのことだ。

また、新しい部署に異動したら、
最初は苦しくても、
私は、がんばって仕事をして、年数を経て、
やがて、その仕事は、自分にとってかけがえのないものに
なっていくだろう。

しかし、やはり、それもまた、
会社から枠組みを借りてやったことだから、
時がきたら、会社にお返しして
自分は次の仕事に移らねばならない。

あまりに別れがつらかったから、
こんなことは1回でいいと思った。

いま、編集長と言われる人の中には、
自分で会社を起こし、
自分でお金を出し、
自分で人を集め、
自分でメディアを立ち上げた人も多くいる。
そういう人は、
自分の意志で、自分の仕事に幕を引けるのだろう。

自分は、初期設定のところで
そういう人よりラクをしたから、今苦しんでいる。

こんど、仕事につくとしたら、
何をするにせよ、
自分の仕事の幕は、
自分で引けるようになろう。

そのためには、初期設定のところで
ラクを選んではいけないのだ。

十数年、高校生の考える力・書く力を生かそう、伸ばそうと
思って生きてきた。
相変わらずその想いだけはあふれていた。
しかし、その想いは急に発露を失った。

想いはどこへいくんだろうか? 消えてしまうんだろうか?

先行きの不安もあるが、
何より、別れの痛みにへとへとになりながら、
根拠のない、希望だけが大きくなっていった。

そうやって2000年の3月、私は、
人生でいちばん大きな「別れ」を経験した。

だれも悪くはなく、
自分を生きていくために避けて通ることのできない別れ、
あなたは、そういう別れを経験したことがあるだろうか?
その痛みにどうやって耐えたのだろうか?




『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円

内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)
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2001-12-12-WED

YAMADA
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