YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson58
ごめんなさい、の3原則
結果を出す!文章の書き方−(9)おわびをする


今、一番あやまりたい人に、
ちゃんとした「ごめんなさい」が言えるとしたら、
あなたは、だれに、何をあやまりたいですか?

私は、おかんに、大学の卒業式のことを詫びたい。
わたしの晴れ姿(?)を、
「ひと目みたい」とわざわざ田舎から出てきた、おかんに、
私は「卒業式に来るな」と強く言った。

恥ずかしい、と思ったのだ。
大学になってまで、親づれなんて、とんでもないカッコワリイと。
おかんは必死になって、
「遠くから見るだけ、あんたには声もかけん、
一人で行って、一人でだまって帰るから」と頼んだ。
それでも私は、残酷なまでに、「絶対こないで」と言った。

そんなことか?

とあなたは思うかもしれない。
そう、そんなことだ。

なのに、自分の人生から消えていかない。
時が経つにつれ、
後悔の念は深くなる。なぜだろうか?

人間の目がビデオカメラだとしたら、
私のビデオに、当然ながら私はほとんどうつってない。
私がこの世に生まれた時から、
もっとも長い時間、私をうつしてきたのは、母だろう。
泣く私、走る私、すねる私。
だが、母の目のビデオカメラに、
卒業式のシーンが欠落している。

卒業式の日、母は、どう思い、
大学のある街で、どう時間をつぶし、
ひとり田舎に帰って行ったのだろう?

わかっちゃいなかった私。
そんな22年間の頂点に、卒業式の一件がある。

だから、この日のことをわびるのは、
とてもハードルが高い。

おわびって、いったいどうすればいいのだろう?

今日、やってしまったささいな失敗から、
国をゆるがす戦争責任まで、
たぶん、おわびの原則は、共通する。

おとなの「ごめんなさい」が言えること。
今日は、あなたと、それを考えよう。

こんな風景を見る。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

私に限って

新入社員のAさん、ミスを出した。
最初はAさん、
「私が間違うはずありません。
その分野は大学でも得意だったんです。
きっと派遣さんが……。」

派遣社員の人はちゃんとやっていた。そしたらAさん、
「じゃあ、外部スタッフが……。」

外部スタッフの仕事にも問題なかった。あげくAさん、
「先輩、最初に、そう指示されましたか?」

指示書を見たら、ちゃんと書いてある。
「そんなはずは…、そんなはずは…」

と言いつづけたAさん。
結局、Aさん自身のミスであることがわかった。

次の日からAさん、会社にこなくなった。
「私はダメな人間なの。自分で自分が大嫌い。」
を連発しているそうだ。

「私に限って」とプライド高いAさんが、一転して、
「私なんか」と自分を責める。

私、私、私……。

Aさんの理屈に何かが足りない。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

おわびの印

先方から、ブランドもののバックが送られてきた。
「おわびの印です。」とあった。

なにか、しゃくぜんとしない。

私が受けたダメージは、バック1個分だろうか?
それより高いのか、安いのかはわからない。
でも、この皮の袋じゃないと思った。

結局、私は受け取れなかった。

そしたら先方が逆切れした。
「もっと寛大な人かと思ったら、がっかりした。
それを選んだこっちの身にもなってみろ!」

おわびの印って、
いったい、だれのためだろう?

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あやまり上手な私

少しずつ世渡りってものがわかってきた。
さっさとあやまった方がトク。

最近はものわかりのいい人が多いから、
真剣な顔で「もうしません」っていったら、
たいがい許してくれるもの。

ちょっと勇気が入るけどさ、
すぱっとあやまったほうが、あとがさっぱりする。
許してもらえたら、もうこっちのモンだもの。

え? 何かいけないの?

おわびって、あやまることでしょ?
あやまって、許してもらうことがおわびでしょ??
何か、ちがうの???

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あやまればすむ。
と思っている人は少ないけれど、

あやまって許してもらえば、ゴール。

と思っている人は以外に多いかもしれない。
だから、「あやまったのに許してくれない」
と相手をうらんだりする。

たぶん、
あやまることで、自分の中のどろどろを吐き出したい。
許してもらって、ラクになりたい。
からだろう。

こうなってくると、おわびは、
だれのためにあるのかわからなくなる。

すぐに弁償をという人や、
傷を与えた相手に、プレゼントを渡そうとすることも、
心理は似ている。免罪符だ。

たぶん、おわびのゴールを「許してもらう」
にするから、いろいろうまくいかないんだと思う。
だって、「許してもらう」がゴールだったら、
罪の深さにカンケイなく、
寛大な相手にあたったらラッキー、ってことになるでしょ。

じゃ、おわびのゴールは何なのか?
おわび文のめざす結果とは?
これを、毎回、自分でかんがえなきゃいけないのだと思う。
そのゴールの置き方に、
自分の器とか、世界観が試される。

あなたは、どう思いますか?

答えがあるものじゃ、ないんだけど、
考える手がかりとして、
おわびの3原則をあげておきたい。

反省、
謝罪、
つぐない。

たぶん、おとなが対外的にちゃんと詫びるとしたら、
この3つがいるんだと思う。

反省、つまり罪を認めること。
次に、相手にあやまること。
そして、罪をつぐなうこと。

あやまることと、つぐなうことは違う。

先にあげた3つの風景で、
あやまれば済むと言う人は、
「反省」と「つぐない」が無いわけだし、

いきなり「おわびの印に」とバックを差し出す人は、
「反省」と「謝罪」をすっとばしている。
しゃくぜんとしないのはそのためだろう。

最初の風景に登場するAさん。
ミスを認めないところから、一気に自己嫌悪に傾く。
たぶん、謝罪・つぐない、以前の、
「反省」のところで大きくつまずいている。

自分を責めて終わり、では反省にならない。
Aさんの理屈に欠けている何かとは?

次週は、そこから、
反省・謝罪・つぐない、それぞれどうするか?
おわび文の書き方に迫りたい。

2001-08-22-WED

YAMADA
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