YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

CDを買ってきた。

ビニールをはぎとり、
いそいそとCDを取り出して、
トレイに入れようとした、そのとき、
ピタッ、
と手が止まってしまった。
ふっ、と思ったのだ。

私は、3ヵ月後、この曲を聴いているだろうか?

3ヵ月後、
どうしても、この曲を聴いているイメージがない。
じゃあ、2ヵ月後は?
このCDがラックの隅に
置き去りになっているような気がする。

長くもっても、3週間。
その間は、この曲を一生懸命聴くだろう。
しかし、その先、きっと聴くことはない。

ならなぜ、私は、わざわざ買って来たんだ?
とても惹かれたからだ。その気持ちにうそはない。
ならなぜ、そんなに早く、あきると言うのか?
そんなものをありがたがってる私っていったい?

そう思ったら、ぽかん!とした。
左手にCDを持ったまま、
アホみたいに、しばらく虚脱した。
CDを見て思った。

つくられながらにして、すでに裂罅(れっか)している。

Lesson57  裂罅する表現

裂罅とは、くちて、ヒビわれて、裂けること。
つまり、この曲は、
つくられたときから、
短期間に、はげしく消費され、
消耗して、スクラップにされる運命にある。
そう直感したのだ。

たとえば20年前、私が子どもの頃と、
アルバム1まいの重さがまるで違う。

当時、好きなアーティストのレコードが出るといったら、
それはもう、大変だった。
1〜2ヶ月前から、予約をして待つ。
その間、タイトルやポスターから、
精一杯イメージをふくらませて待つ。
想像だけで、充分なくらい楽しめた。
そして、発売日には、
部屋をきれいに掃除して、
灯りを消して、じっと1回どおり聴き、
2回目は、ヘッドフォンをして、
歌詞を読みながら聴き込んだ。
1曲、1曲の世界にはいっていった。
何度も聴き、あきずに聴き、想い出しては、また聴き。
失恋しては聴き、人生の節目に聴き、
自分の恋愛観や、
感性のベースをつくったといっても過言ではない。

アルバム1まいの存在感、ありがたみ、影響力。
もう、あんなものには、めぐり逢えないような気がする。
何がちがうんだろうか?

こう思いはじめると、
まわりの裂罅が気になってしかたがない。

例えば、人気のドラマやCMに出る、若く美しい女優さん、
だけど、10年先、この人は残っているだろうか?
どうしても、そうは思えない。
だって、数年前まで、この人の今いるポジションに、
別の若くて美しい女優さんがいたのだ。

もちろん、例外はいる。
でも全体としてみたとき、
吉永小百合さんとか、高倉健さんのような、
ずっと残って、スターでありつづけるような俳優が、
いまから、どんどん育っていく予感がないのだ。

アイドルも、女優さんも、ミュージシャンも、
商品として、激しく露出し、人々に消費され、
短期間に消耗し、後から出てきた
別の誰かにとって変わられる。

読み返す気がしない本、
観終わって1歩外へ出ると、何も残らない映画、
そして来月は、あることも忘れるCD……。

どうして今、表現は、こんなに早く裂罅するのだろうか?

「マス・マーケットだからだと思いますよ」
マーケティングをやっている友人は静かに言った。

あ、そうか。
1人を感動させるようにものをつくるのと、
100万人に消費意欲をおこしてもらうようにつくるのと、
10年先に残るものをとつくるのと、
そら、ちがうわ、と思った。

私が買ってきたCDは、
100万人に消費意欲をおこしてもらうようにつくられた。
その瞬発力はすばらしい。
だからこそ、あっというまに裂罅し、朽ちてしまう。

そうか、そうか。
うちらの時代のつくり手、プロデューサーやディレクター、
昔の人に比べてだめなのではない。
優秀だし、むしろ、がんばりすぎてる。

だって、100万ヒットをコンスタントに出し、
維持していこうと思ったら、並み大抵のことではできない。
その並み大抵じゃないことをやりつづけているのが、
今のつくり手たちなのだ。
市場調査をしっかりし、たくさん本を読み、
売れる理由をしっかり分析し、
みんな忙しく努力し、人生を捧げている。
ヒットをとばした英雄が出たと言えば、
マスコミがわっと取材し、
その方法をまた、みんな熱心に研究し、
次のヒットに役立てる。

素材だって、昔にくらべて劣るかというと、
そんなことはない。
音楽にしても、アーティストや俳優さんにしても、
それぞれの、発想や個性、内面の輝きは素晴らしい。

要するに、優れた素材と、組織力で、
より多く、できたら、
100万とか300万とかの人へ届けと、
すごく努力してがんばってきたのが、
うちらの時代じゃないだろうか。

おかげで、私たちは、
そろそろあきた、というとき、手をかえ、品をかえ、
次のおもしろいものに出会い、たいくつせず、
面白おかしく、便利で、快適にやってこられたのだ。
これはとても感謝すべきことだ。
私だって、マスコミでがんばってきた。
その人たちの努力は捨てたもんじゃない。

だけど、その努力は、
消耗させないよう、大事に、
30年、50年残る女優さんを育てよう、
という方向とは、
やっぱり、ぜんぜん違うんだと思う。

30年どころか、
5年先、いや、3年先のことさえ、
大事に考える余裕が企業にはない。
まずリーダーは、利益があがらなかったら、
1年で首をすげかえられるところもある。ということは、
リーダーは、この1年の利益をなんとかあげようと
必死になるということだ。
雑誌の編集長は、売れなければ6ヶ月単位で
首をすげかえられるところもある。
一般社員だって、2年、3年で、異動だ。

その中で、10年先を考えてものをつくるということが、
どうも現実的ではないのだ。
いいものをつくろうという最初の個人の想いは、
100万人に届けと、多くの優秀な人がよってたかって、
会議だ、なんだと、すったもんだしていくうちに、
記号化されて、ペラペラになっていく。

受け手の私たちだって、そうだ。
好きなアーティストのことは、
今知りたい、たくさん知りたい、
全部知りたい。10年先に育て、なんて、考えちゃいない。
だから、生き血をすいとるように、
関連商品を消費しつくし、知りつくして、
飽きて、次へ向かう。

たぶん、オーバーに言ってしまったけれど、
良いか、悪いかは別として、
私たちは、そういうしくみの中に生かされている。
それは、嫌ってもしかたがないことだ。

大事なのは、世の中のそういうしくみと
自分が、どう関わるか?

なのだと思う。
100万を狙って、すぐに裂罅する商品を
つくるしくみに加わる人。
そういうあり方を批判し、変えていこうとする人。
そういうベクトルとは、
まったく違う自分の道をすでに歩きだしている人。
あなたは、どの立場だろうか?

ちなみに先述の友人は、
マス・マーケティングの限界を想い、
例えば、100人にしかわからない芸術を、
しかし、切実にそれを求める100人に
いかに確実に届けるか、
そうやって、その芸術家も生かすか?
という、新しいマーケティングに向かって
歩き出している。

100万ヒットをねらう気持ちは、悪いものではない。
短期間に消費され消耗する表現でも、
次、また次、とつくり続けることができるなら、
いいじゃないか。

それでもいい。競争に並んで勝つのもいい。
だけど、そのとき、
自分までが、消耗品となっちゃあダメだ、と思う。
自分という人間だけは、
消耗させる回路にのせちゃだめだし、
裂罅して、別の人間に差し替えがきいちゃだめだし、
10年先、30年先を想って、
ちゃんと育てていかなきゃいけない。
もう、だれも育てちゃくれない。
自分で自分を育てるしかない。

あなた、という表現は、裂罅していないだろうか?

2001-08-15-WED

YAMADA
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