YAMADA
おとなの小論文教室。
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Lesson48 おとなの小論文特別編
      「結果を出す!文章の書き方」
      ――その1 ゴールを確認する


これからあなたと、文章力を鍛えるにあたって、
目指すゴールを、次のように提案したい。

書くことによって、自分の能力・資質を発現し、
読み手に、納得・共感などの心の動きをもたらし、
結果的に何らかの状況を動かすこと。

つまり、結果を出すことだ。

これを地でいく例を挙げてみよう。
6月5日付日経夕刊に、こんなことが載っていた。
主旨だけをかいつまんで説明する。

_____________________________________
パートタイムで再就職を目指す女性に、
年齢制限の壁が立ちはだかっている。
フリーターや派遣社員との競合もあり、
40歳が求人条件、
45歳で門戸をふさぐ企業も少なくない。
就職活動を試みた40代たちは不安を濃くしている。
ある43歳女性は、
「あんたの年齢じゃ、ダメだよ」など言われ、
「働き手であることを否定されたみたいで」と
ショックを受けた。
そんな中、川崎市の48歳の女性が、
40歳を上限にしている企業に採用された。
通常の履歴書の他に、
自分の長所などを売り込む文章を添えて訴えたところ
あなたのような人を探していたと歓迎された。
_____________________________________

この女性は、
書くことによって、自分の経験や資質を発現し、
読み手(採用担当)に、
「共感できる、いい仕事をしてくれそう」
などの心の動きをもたらし、
年齢制限という壁を動かして、採用された。

つまり、結果を出したのだ。

いい文章とは何か?
いい文章が書けるとはどういうことか?
それは、状況の中で、
読み手との関係性の中で、変化する。

就職活動の自己推薦状の場合、いい文章とは、
「仕事への適性はあるか?」
という採用担当の問題意識からズレないところで、
自分の長所をはっきりと打ち出し、
その根拠を、経験から
読み手が納得いく形で示していることだ。

そして、この場合、いい文章を書くとは、
「文章が評価されて、企業に採用されること」
それ以外にないと私は思う。
どんなに文章がうまいと褒められても、
結果、採用されなかったら、
いい文章を書いたとは言えない。

望む結果を出すために、
状況の中で、人との関係性の中で、
機能する文章を書くことを提案したい。

結果がすべてではないけれど、
自分の受けてきた文章教育を振り返ると、
あまりにも「結果」が問われなかったような気がする。

●機能する文章

私が、最初に文章の書き方を習ったのは、
小学校「こくご」の「作文」だった。
そこで求められたのは、ひと言でいって、
「豊かな表現力」だったように思う。
情感、情景、余韻、余情…。
詩や物語の鑑賞も、
この「豊かな表現」を味わうものだった。

そういう教育を受けられたことは、
自分の情緒を育む上で、
とても意味があったと感謝している。

ただ、これは、私が悪いのだけど、
この「豊かな表現」というモノサシを、
自分でも曖昧なまま、
文章全般に当てはめてしまっていた。
それで「文章とは、ゴールも評価基準も、
とらえどころがない、よくわからないものだ」という、
妙な思い込みができあがってしまった。
そのわからないところで、
文章が苦手と逃げたり、
褒められていい気になったり。

でも、例えば、「絵を描く」と言っても、
ピカソが描く芸術性の高い絵と、
お医者さんが、患者に
「あなたの胃はここが弱っていますよ」と
説明のために描く絵は、
ゴールがまったく違う。

文章だって、そうだ。
例えば、
「小論文」に求められるのは、「論理的思考力」。
目指すゴールは「説得」。
自分の意見の正当性を示すために、
どんな根拠をどんな筋道で用意したか、で評価される。

小論文で情感や余韻をねらおうとすると、
「説得」というゴールにたどり着けない。
また、作文を、すみずみまで論理で整理すると、
せっかくの味わいが死んで、
「豊か」とは縁遠い所に着地する。

私は、義務教育の教科書で、詩、小説、物語、評論など
さまざまな文章を読むことができてよかったと思う。
ただ、社会に出て、日常を生きるため、働くため、
どうしても文章を書かなければならない時、
何かが、すっぽり抜けているような気がした。

それは、生活の中で機能し、結果を出す文章だ。

例えば、仕事場で、
先輩が長期出張のため、留守中の仕事を後輩に頼む。
指示書を書く。
この場合、いい文章とは、余韻や余情ではない。
やること、やり方がよくわかること。
後輩自身が忙しい中でも、
やろうという意欲を引き出すこと。
そして、何より重大なのは、
実際に、仕事を正しく代行してもらえたかどうか。
つまり、結果だ。
この人が医師なら、文章力は命に関わる。
「俺は、ちゃんと書いたけど、
 後輩が忘れっぽい人だったから」
では通じない。
この場合、いい文章を書くとは、
後輩の忘れっぽさを、計算に入れて書く、ことだからだ。

また、ある人が、商品の問題点に気づく。
欠陥商品とまではいかないが、
このままでは不便だ。メーカーにクレームを書く。
この場合のゴールは、
「言ってやって、スカッとする」
ことではない。
どうしたら、窓口で跳ねられずに、
制作者に検討してもらえるか、
そして、次の商品に反映してもらえるか、だ。

実用以上、文芸未満、
そんな生活必需文とも、
コミュニケーション文とも言えるジャンルで、
教科書に載らない名文が、今日もどこかで書かれている。
おかげで、電車は走り、ビルは建ち、宅配便が届き、
世の中がまわっていく。

そこで求められるのは、芸術的な美しさではなく、
機能だ。

●結果から逆算する文章術

「結果じゃない」と美しい理想を掲げる人は、
ときに目標をあいまいにし、
かえって残酷なことを人に強いることがある。

10年以上前、私が小論文の編集をはじめた頃、
なかなか「結果」という発想を持ち得なかった。
「文章指導」というと
みんな、妙な思い入れ、期待をするからか、
小論文へも、誤解や幻想がうずまいていた。

そのため、ゴール設定があいまいになる。
実はその方が、生徒にとってみればハードルが高いのだ。
水準不明のコンクールに応募するようなもので、
もっともっと、と、
やみくもにいい文章へかり立てられることになる。

編集部で小論文の解答例をつくるときも、
大学教授や院生の力を結集して、
どこにも負けない、いい解答例をつくろうとしていた。
それを見て、高校生は不安になったろう。
こんなにすごいものを書かなきゃいけないのか、
やってもやっても届かない気がすると。

そんな私を一変させたのは、
ある大学生の「受験とは何か?」という問いかけだった。
虚をつかれた。彼は続けて、
「やみくもにいい点をとることではない。
 大学の要求があって、
 それに見合う方向で、見合うレベルまで
 努力して到達することだ」

そんな、あたり前のことなのに、
頭がクラクラした。
小論文のゴールは「説得」だけど、
入試小論文のゴールは違う、「合格」することだ。
つまり、結果をだすことだ。

高2生なら2年間で、
高3生なら1年間でピークがこないような、
ゴール設定や学習法を提示すべきではない。
ゴール設定に必要なものは何か? 
実際に合格した答案を多数集め、
水準や要件を割り出すことだ。
大人からみれば低いゴールでも、それが現実だ。

もし、常に文章が苦手だと逃げている人がいたら、
自分に、曖昧、かつ美しい理想を強いていないだろうか?
現実の中で結果を出すこと、
これをまず、念頭においてみよう。
小さな結果からでいいのだ。
結果をイメージする能力を持つ。
例えば、デートに誘えたとか、小さな誤解をとく、とか。
結果が出たら歓んで、出なかったら原因を考えて…。

さて、だいたいゴールがイメージできたら今日はOK!
いったん終了!  次は、キソからやっていこう。

2001-06-13-WED

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