YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson 37 心を打つメール、どうすれば書ける?

心を打つメールとは、
どんな要素をもっているのだろう?

きょうは一緒に、それを探ってみたい。

心を打つメール、と聞いて、
何が浮かぶ?

…………?

私は、1年前の、あのメール。
そのころ不安の中にいた。

●言葉をさがしていた

2000年3月。
私は会社を辞めた。
長い年月、高校生に向けて、
小論文の編集にたずさわっていた。

後悔のない、自分らしい選択だったと思う。
しかし、退職を決める前後、
名づけることのできない感情と
戦わなければならなかった。
恥ずかしいが、一睡もできない状態が続いた。
横になっても、頭だけが異常に冴えている。
体が痛いような感覚だった。

恐れか、緊張感か?

この時ほど、
自分が「言葉」に敏感であった時期はない。
会う人、くるメール、
体中が真剣な耳になって、
かけられる一言一句を聞いていた。
会社と担当メディアから離れたとき、

私はだれ?

その証明を求めたのかもしれない。
そういうとき、
よくないことだと思っても
まわりが三層に分かれていってしまう。

地雷を踏む人
だまって見守ってくれる人
心を打つ言葉をくれる人

地雷を踏む人という言い方は
自分でも失礼だと思う。
皆私のためを思って接してくれたからだ。
しかし、
なんというのか、
人生の岐路にいる人へかけた言葉の
「はずし」は、
なにげなくても、それゆえに
致命的な気がする。

だまって見守ってくれる人。

相手への影響を考え、
責任の持てることだけを言おうと、
言葉をつつしむ人。
沈黙という誠実さ、
それは、ありがたいことだった。
しかし、なんとわがままなことに、
それでも私は言葉がほしいと思った。

ひと言でいいから、言葉にして…。

自分が、言葉を求め、
言葉に勇気づけられる存在だと、身をもって知った。

心を打つ言葉をくれる人、

中でも、忘れられないメールがある。
同僚と呼ぶには、私と彼女の距離はあまりに遠い。
一緒に仕事をしたことも、
ろくに口をきいたこともなかった。
ただ、互いの仕事については知っており、
感性に共感していた。
「親しくもない私から、
いきなり退職のあいさつが届いたら彼女はどう思うか?」
まったく予想がつかないまま、
出社最後の日、
もう別の部署にいる彼女にメールを送った。
速攻、メールが返ってきた。
以下はその抜粋だ。

> -----Original Message-----
> From: ●● ●●
> Sent: Friday, March 31, 2000 3:07 PM
> To: 山田
> Subject: RE: 退職のご挨拶

(…前略)

>誰がどう評価しょうとも、
>山田さんの仕事は
>ほんとうにいい仕事だったとわたしは思います。
>「考える」ということが、
>意志になったり、選択になったりする、
>すべての行動の源になるということを、
>わたしは高校生に伝えたかったし、
>わたしのこだわりみたいなところがあったので、
>小論文の本質はそこにある、と思っていたからです。

ここを読んだ瞬間、
退職とひきつぎで、へとへとになった体を、
力がかけめぐった。
その瞬間、彼女がいちばん心の距離の近くにいた。
ああ、これで充分だ、と思った。

顔も合わせず、
コミュニケーションもとっていない彼女のメールに、
なぜ、これほど心打たれたのだろうか?

●想いを分け合う

メールができて、
人はしあわせになるんだろうか?

半分イエスで、半分ノーだ。
私は、いまでも、人との絆をつくるには、
実際に会う以上のコミュニケーションはないと思っている。
顔を合わすことも
体温を感じることもない
メールのコミュニケーションは、
どこか寂しい。

しかし、それでも私は、
メールのやりとりをしている。なぜか?

充分な答えはまだない、でも
ひとつ言えるのは、
まさにその時、
想いを分け合いたい、ということだ。

想いを分け合うというのは、
それ以上でもそれ以下でもない。
そのことによって、どうこうしようと
期待するものではない。

それでも人は、人生のある瞬間、
想いや夢を分け合いたいと思う。
切実に、あるときは無意識に。
だから、人は精神的な存在だと思う。

私の場合、退職の日というのは、
長い人生の中でも、まさに「その時」だった。
前日でも、翌日でもない、
その時、何を共有したかったのだろう。

自分が、やってきたことは何だったか?

それを他者と共有したかったのだろう。
高校生が持つ「考える力」を引き出すことは、
私がやってきたことのすべてといってもよかった。

その核心へまっすぐ彼女の言葉は届いた。
「あなたの存在した意味、
あなたのやってきたことの意味を、
私はこうとらえた、こう理解した」と。

人によって大切にしてきたことは違う。
その人は何を大切に生きてきたのだろうか?
その核心へ、まっすぐ言葉を届けてみること。

●いま、その時

時は待ってくれない。
さまざまな人が、さまざまなタイミングで、
人生の大切な瞬間を迎える。

そういうとき、
だれかと通じ合いたいと
有形・無形のサインを出す。

心を打つメールを書く人は、
不思議なことに、
このタイミングを決してはずさない。

とても忙しかったりして、
ふだん、ろくにコミュニケーションをとれなくても、
そういう瞬間をつかまえる人は、
たった一回で、かけがえのない存在になる。

その時を逃がさないこと。

瞬間、通じ合えた!
という実感は、
瞬間だけど、
地球上のだれよりも
相手と心の距離が近い。
そのことによって、
どうこうしようということがなくても、
それだけに、
利害、欲を超えた、
あなたの一番きれいな想いが発揮される。
それは心に力がわくことだ。

今日、セント・バレンタインズ・デー。

2001-02-14-WED

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