YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson30  私の選択、私の自由----読者メールから


これまで、ここで、あなたとやってきたのは、

自分の頭でものを考える

ことだったかもしれない。
暗記学力でなく、自分で考えるということ。
そのための視点や道具、技を、
いっしょに探ってきた。

自分で考える…

読者のT・Iさんは言う、


自分にとことんまで向き合うってすごく大変だし、
辛いし、すげー落ち込む
更にここまでってとこがない、
掘っても掘っても底が無い感じなの
ただそこまで行くうちに光が見えるって言うか、
とりあえずの結論が出る

また、E・Nさんは、言う、

自分を見つめるのは大変な作業ですが、
もやもやした感情に「名付け」を行う
ことで少しは整理することができますね。

恋人に別れを告げられたとき、
レッスン28で紹介したAさんは、
自分の想いを、考え抜いた。
その果てにつかんだのは、この3行だった。


あなたがあなたらしく生きる道を
私が塞いでいるのであれば
それは私自身がそれを許さない。

これを読んだcuoreさんは言う。

感動というより心が痛くなってきます。
あの3行はほんとに美しいと思いましたし魂を感じました。

どうしてだろう、
本当のことを、本当だと言ったとき、
何かが変わる。

私が、このコラムで気づかされたのは、
考え抜いた本当は美しいということだ。

考えぬいた果てに見るものは、
あたりまえのことだったり、
自分の弱さだったり、エゴだったりもするんだけれど、
それでも、やっぱり、
本当だけがもつ力がある。

考え抜いたとき、
あなたは、どんな「本当」をみるのだろう?

今日は、自由について寄せられたメールから、
自分で考えるということ、
その人だけが、つかみ得た「本当」を
一緒に見ていこうと思います。

まずアメリカからのメール。
恋人と留学と、あなたなら、どっちを取りますか?


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辛さから逃げる2つの選択肢

私は今、アメリカの大学で勉強しているのですが、
ここに来るとき、やはり、相当なやみました。
とても好きな人がいて、その人と離れるのが辛かったのです。
たった1年というけれど、それでも、辛かったのです。
留学もやりたいこと、
好きな人のそばにいるのもやりたいこと。
どっちも、順位をつけられないほどやりたいこと。
だけど、両方を同時にすることはできない。

そして、私は、留学を選びました。
出発の日が迫るにつれて、辛くなって、沢山泣きました。
どうしても、離れるのが嫌になってしまったのです。
好きな人には、今のお前は何かおかしい、
お願いだから前向きに何かをしてくれ、といわれました。

私は考えました。
そして、ある結論にたどりつきました。
やりたいことをする時には、それに伴って起こる
辛い事や嫌な事を全部背負います、
という覚悟が必要だということです。
だから、辛くても、それを引きうけるしかないのです。
そうして、強くなっていくのが、
大人になるということだし、
自由に選択するということなのだと思ったのです。

辛さを回避するには、留学を諦めるという選択肢と、
好きな人を好きじゃなくなるという選択肢がありましたが、
そのどちらをも選ばずに、
自ら、苦しい道を選ぼうとしているのだから、
その選択はきわめて自由なものなのだ、と思いました。
私は、自分が自由な意志を持っていると感じました。

そう気付くと、私は、快活になりました。
残っている日々と、
アメリカでの日々を楽しく過ごそうと決めたのです。
辛い辛いと泣いているだけの日々よりも、
ずっと、楽しくて、意味のある生活が始まりました。

勿論、私の感じた自由なんて、ちっぽけなものでしょう。
私はまだ学生で、本当の意味で
責任を背負ったことなんてないのですから、
まだまだ甘いのかもしれません。
でも、この体験で、自由の片鱗を
手にしたような気がしています。

マギー

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執着する幸せ

執着というのは、
なければ それでよいのでしょうが、
あっても それでよいのではないでしょうか。

私の彼には3つのルールがあります。

「シンプルであるコト」
「執着しないコト」
「ニュートラルであるコト」
ニュートラルというのは、ありのままの意味です。

執着しない彼とお付き合いをするのは、
結構微妙な話です。
分かってはいても、
彼は私でなくても良いのでは、と思います。

前の彼は、どっぷりお互いに執着していた、
そんな関係でした。

今の彼を見ていると、
執着しないことの強さとか、
ありのままであるコトの力がハッキリと見えます。

執着することは弱く儚い。

でもでも、なのです。

今の彼は、少しかわいそうにさえ、感じられます。
彼は今、欲しいモノもなく、
幸せを感じたこともないと言います。

アンディ・ウォーホールの言葉。
「ボクのことを知りたければ、
 ボクの表面だけを見ていればいい。
 それがボクだ。
 ボクの裏側には何にもかくれてはいないのだから。」
そんな感じなんでしょうね。

私は前の彼のおかげで、
執着することの可愛さも、幸せも、
感じることが出来ました。

Y

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「JOB HOPPER」と呼ばれたことがあります

7年で5カ所目なので、
そう言われてもしょうがないか…とも思います。
今年の4月、プライベートの時間もつぶされ気味な、
忙しい仕事がどうにもツラクなって、
「派遣社員」という道を選びました。
はじめは毎月収入があり、
自由な時間もたっぷりあるコトに満足できるに違いない、
と思っていました。
でも、今となっては
「この職場に自分は必要なのだろうか」
という疑問ばかりが浮かび、
最近では仕事も無いのに
自分のデスクの前に座っていなければならないことが、
すごくツラクなっています。
金銭的、時間的自由と引き換えに、
とても大切なモノを失ったような気がしてなりません。

Z

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自由ってなんなのでしょうね

私が今までで、いちばん自由だと感じていたこと。
それすら今の私には思い出せません。思い浮かびません。
私は、「自由」を感じるほど、何かに責任を負ったことが
ないのかもしれません。
なんだか、そう思ったら涙が出てきました。

私は現在、大学3年生です。
ちらほらと、就職活動らしき行動を
起こし始めたところです。
「自分のすきな仕事をしたい」
「面倒臭いことはイヤ」
「苦労しないでそれなりな稼ぎがあればいい」
「窓際族っていいよなぁ」
全部、逃げです。
今日、自分がとても虚しくて、悲しくて、
醜い人間に思えてしまいました。

ゆー

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「結婚して自由になる」

と、以前、darling が言いました。
私の真ん中に、それ以来、この言葉にいてもらってます。

私はとくにイビツに育ってきたので、
自分ひとりだったらなんでもうまくやれるのに、
それを邪魔する奴は道端の石コロ以下だ!
なんて、おっそろしいことを本気で考えたり
した時期があったような気がするのですが、

小さな小さな、自分が考えただけの世界って、
つまんないですよね。

私だったら怒るところで笑ったり、
想像もできないトボケたことしてみせたり、
ぜんぜん違う曲を良いって言ったり、

そういう人が傍にいてくれるというのは、
なんて幸せなことなんでしょう。

結局、自分を縛っていたのは、自分なのかな。
相手の存在を赦すってこと、少しできるようになって、

自由だと思ってたのが不自由だったんだ、
不自由と思ってたけど自由じゃん、

そう感じました。

カナ@マドリ

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自分には合わないんじゃないだろうか、

と思える仕事をした時。
理解しがたい人と付き合わなければならなかった時。

そんな時は必ず、自分は間違った事をしてるんじゃないか、
非効率な事をしてるんじゃないだろうかと悩んでいました。

でも、ちょっとだけ、時間をおいてみると・・・

今までやったことないような事をしたから、
今までに無い事を思いつけた自分を発見しました。
近くに居る時には
「なんだってうざったいヤな奴だろう!」
と思った人でさえ、よくよく考えると
「お、あいつのあんな所って、いいじゃん、使えるよ。」
なんて、ちゃっかり拝借したり。
本当、誰でも良い所って、あるもんだなあというのも、
経験から勉強できた事かもしれません。
「ヤな奴と付き合う」・・・反面教師にしちゃう、
って事も最後の手段的にはありかな?とも思いますが。
人の欠点見つけて、非難するって、
ある意味責任重大ですよね。
非難した途端に、「じゃあ、私はどうなのか?」って、
一瞬にして自分に跳ね返る。

・・・そんなこんなを考えてたら、
ズーニー先生の文に会えたんで、
「お、自由とくっつけて考えるのも出来るのかあ!」と、
ちょっと感動してます。

aki

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そのぞくぞく

むしろ責任に自由がひっついてるっていうことなんですね。

好きなものを好きと言えず、友達がほとんどいなくて、
うじうじとしたせまっくるしい
所に自分がはまり込んでるのを感じてます。
そこから抜け出したい。
でもこれって結局自分自身にすらも
責任を引き受けていなかったからなんですね。
友達になりかけてる人に話し掛けようとする時
すごくぞくぞくってします。
未知の世界に裸になって入っていってる。
そんな感じがします。何が起こるか分からない。
そこに対して自分の素のままで対処していく。
それが責任っていうことなんじゃないかって思います。
責任から逃げるということは
自分の能力に疑問を持つということ。
それは自分の可能性を消すっていうことであり、
自由を1つ失うということなんでしょう。
そのぞくぞくから逃げてきました。
でもこうやって椅子に座って冷静に考えてみると
そのぞくぞくはけっこう気持ちよかったかもしれません。

しょう 

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固有のオーダーに向かっているか?

私は、広告のマーケティングと制作を行う
小さな会社を経営しているTと言います。

自分の好きで生きることが、幸せにつながる
というズーニ-さんの仮説には大賛成です。
私と私の友人は、少なくとも
その仮説を実証しようとしてきました。

自分を表現することの、
大変さとリスクを受け入れられるのも
自分の本当の個人的な(固有の)オーダーに
向かっているかどうかだと思っています。
そしてその困難の先にしか、
普遍的な喜びはないと思えるのです。
『恋愛にはもれなく悲しみが付いてくる』
ことをネガティブではなく受け入れるべきだと思うし
若い人たちにはきちんとアナウンスすべきだと思います。
北野武氏は、『本当にやりたいことをやれるためには、
嫌なことをその100倍やらなければならない。』
と言っています。
この表現をネガティブに聞いてしまう人は、
やはりやりたいことに
強くコミットできていないのでしょう。

みんなが、自分のオーダーを拠り所に生きていけば、
経済がどうなるかは解りませんが
大きなセーフティネットとなり、
社会的コストは激減すると思います。

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ふたたびズーニーです。

やっぱり、いやな人、いやなことに出会うことはあります。
いやな言葉に、いやみで返す。
失礼な人に、失礼な態度を取り返す。
自分を嫌った奴を、一生嫌い返してやる。
言動の暴力には暴力で返す。

そういう回路になったとき、
実はすごく不自由だと思います。

それって、押し付けられた
一つの選択肢に従ってるだけだもの。
相手のやり方に一票いれるだけだもの。
イマジネーションもクリエイティブもへったくれもない。

むちゃくちゃ腹が立つけど、いっぺん回路を断ち切って、
そいつらと、自分のやり方は違う。
別の選択肢がある。
自分の信じるやり方に一票入れさせてもらう。
そう考えて、実行できること。
それが私の選択、私の自由。
私はそんなことを考えました。

あなたはどこに、ひっかかりを持ちましたか?

さて、冒頭で、紹介したAさんには、
たくさんお便りをいただき、Aさんから返事がきました。
最後に一部を紹介しておきます。ではまた来週。


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ズーニーさん、そしてメイルをくれたみなさん
ありがとう。ほんとうに。

心の中はまだまだ騒々しく
迷いの発生と消滅
新しい小さな気づき
そして、ラクになろうという誘惑との格闘。
そんな毎日が続いています。

みなさんからいただいた言葉の数々は
扉の向こうにおそるおそる歩き出した私を
温かく後押ししてくれるものでした。

この、多くの
経験からしか出てこない
心からの言葉で綴られた手紙たちに
どれほどの勇気を与えられたことか。

ただ、それを近道のように使うことなく
自分の道をしっかり力をこめて踏みしめて歩かねば、と
肝に命じているところです。

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(Aさんからのメールを紹介したところで、
 Lesson30はおしまい。次回につづきます )

2000-12-20-WED

YAMADA
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