YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson26 要約でわかる! わたしの心

ラブレター、いや、ラブメールもらったことありますか?

まわりくどいのが多いんじゃないでしょうか?

「連休は、どうされるんですかぁ?
 私、いまのとこ、別に予定は入ってないんですけどぉ…、
 こないだ言ってた映画、公開がはじまりますよねえ…、
 あれは、ご覧になるおつもりですか?
 あ、別に、もう行く人がいるんだったら、いいんですけどぉ…。
 あと、そろそろ紅葉もはじまってきれいな季節だしぃ…」

てな、調子で、えんえん、
画面を送っても、送っても繰り広げられたりすると

「会いたいなら、会いたい!
 好きなら、好き!
 ってさっさと、言わんかーい!」

と画面に向かって叫んだあなた、
あなたは、正しい要約をしています。

相手の言ってることを、
ぎゅーっと、ぎゅーっと縮めていくと
ハラリ!
言いたいことの核心が見えることがあります。

このメールは、要約すれば、
「あなたが好き! 連休に会って」
の1行で済んでしまう。

でも、この1行、よく見てください。不思議ですねえ。
文中に1度も登場しない「好き」って言葉がでてくる。

短く言う…ってことは、つまりはそういうことなんです。
その人の根っこにある思想や価値観を
つかみ出して、形にせざるを得なくなる。

恋してるとき、
相手が何を言っても、何をしても
「結局、私のことをどう思っているのか?」
そればかりを探っている。まさに要約モードです。

相手の気持ちだけじゃありません。
自分の心だって、ひと言でいうと見えてくることがあります。

心って、複雑で、なぞですからねえ。
後から、なんであんなことしたのか
自分でも説明がつかないようなこと、
やっちゃうでしょ、人間って。

で、そんな時…


●要約おかん、への道

おかん(=おかあさん)には、要約の達人が多いです。
たとえば、恋人が留学するというので
ケンカして帰ってきた息子と、おかんの会話で…、

息子 俺は、べつに彼女をしばる気はないんだ。
   彼女は自由だし、やりたいことをやればいい。
   だから、彼女が留学するのは、ちっとも反対じゃない。
   ただ、ここで問題なのは、彼女の動機だよ。
   安易な留学ブームにのっかってんじゃないか、
   だいたい、そんな、あいまいな気持ちで留学したって…

おかん 淋しいんだね、おまえ…。


見事な要約です! こういう人を
私は尊敬をこめて「要約おかん」と呼びます。
表にあらわれた言葉は、氷山のようなもので、ほんの一部。



水面下には、その人の思想・価値観が横たわっています。
これを「根本思想」と言います。

ここに着目すれば、
ながーい部長のお話も、
会議でいつも、つっかかってくる同僚の発言も、
今朝の新聞記事だって、
あの子のメールだって、
はずさずに、
そして、深く理解することができるんです。

やってみましょう。
次の文章、面白いので、まずざっと読んでください。
画家 横尾忠則さんが、まだデザイナー時代の、
「おはぎ」のエピソードです。

日本デザインセンターでのぼくの暴力沙汰はもう一つあった。
…いつも三時になると皆んなでおやつを買ってきて
食べるのが半ば一日の慣習みたいになっていた。
ある日ぼくが外出から帰ってきたら、
部屋の中央の大きい作業机を囲んで
全員でおはぎを食べている最中だった。
ぼくはいいところへ帰ってきたと思い、
早速舌なめずりしながら座に加わった。
ところがぼくは人数に入っていなかったのか、
ぼくの分がなかったのだ。
ぼくがここにいる誰よりもおはぎが好きなのは
周知のはずである。
ぼくは完全に仲問外れにされたという
疎外感に逆上してしまった。

その時ぼくに対して不謹慎な笑みを浮かべたのが
植松国臣だった。
ぼくは一瞬生かしておけない奴だと思って、
いきなり植松さんに飛びかかっていった。
が、上手くスルリと躰をかわされ、ぼくは床に
思いっきり叩きつけられる格好になってしまった。
もうこうなったら全身の血は逆流、
細胞の一つ一つが怒りの火の玉と化してしまった。
眼から涙がワッと噴き出した。
哭きながら何やら喚いている
ぼくの姿を見た彼は危険を察知したのか、
真青になって廊下に飛び出してしまった。
ぼくは獲物を追う野獣のように彼に飛びかかっていった。
だけど通りがかった「日本鋼管」のチーフの木村恒久に
背後からがっちりと羽交い締めにされてしまった。
あとでぼくと植松さんの喧嘩の原因を知った連中は
皆んな大笑いしたようだが、ぼくにとっては
これ以上の純粋行為はなかったのだった。
(『横尾忠則自伝』文藝春秋から抜粋。…の個所は省略した。)


読めましたか? じゃ、何が書いてあったか、
極力短く! 一文で言ってみてください。

どうぞ…。

ありがちな回答は、
「日本デザインセンターでの暴力沙汰は、 
 ぼくにとってはこれ以上ない純粋行為だった」

いい要約かどうかの点検のポイントが二つあって、
ひとつは、筆者という一人の人間に出会っているか? 
もう一つは、もとの文章を読んでない人にも、
あなたの要約で伝わるか? です。

そこで、
筆者はなぜ、この文章を書いたのか、
もう一歩、根本思想に踏み込むわけです。

要約は主体的な作業です、ひとつの正解なんてありません。
読みまちがうことだってある。
でもだからこそ、大胆、かつ慎重に、
あなたという一人の人間が
かかわっていく意味があるのです。
私はこう読んだ! というのを
自分の言葉でまとめてみましょう。

私は、この文章の根っこに、
「自分の中からわきあがってくる印象に忠実である」という
芸術家の覚悟を感じました。
(こんなことを言うと、
「じゃあ、人を殺してもいいのか?」って
すぐ言う人がいますが、それは詭弁です。
何か極端なものをあげて、その考えを否定するという。)
子どもを考えてみましょう。好きなおやつを、
だれかが食べてしまった。くやしくて泣いて、とっくみあいになる。
そういうことは、ごく自然に起きています。
うれしいときはうれしがって、
悲しいときはかなしがって、
でも、おとなになったら、しなくなる。

この差はいったい何なのでしょう?

理性・分別・損得・世間体…、大人になるにつれて、
それらをまとっていき、わきあがってくる印象をせきとめてしまう。
そうして自分の野生に出会うことのない生き方。
これは、人間として本当に豊かなことなのだろうか?
とくに創造をする人にとって。
そのようなメッセージを受け取りました。
なので、私なりにこの文章一文で言うとすれば、

「ばくは、人から笑われようと、
子どものような純粋さで
衝動に突き動かされる瞬間こそ尊いと思う。」

こんなふうに、まとめることができます。
要するに…、要するに…という読み方です。

ビジネスや趣味においても、
今自分がやっていることは、
要するに…要するに…何なのか? 
端的に言ってみることは莫大な効果があるように思います。


●それをひと言でいうと?

企業にいたとき、私のボスは、ながーい企画書を見て、
「山田さん、これを、ひと言でいうと?」
っていう、無理な注文をよくしました。
とりわけ、私が担当していた「小論文」っていうものは、
英語や数学とくらべて、いったい何なのか?
非常にわかりにくかった。

小論文っていったい何?
子どもに何をしてもらうの?

なんて、聞かれて、私はA3にびっしり書き込んだ紙を広げて、
「テーマに対する多様なものの見方・考え方を養い、
それを読み手に論理的に書く表現力を鍛え、
自分の見解を……うんぬん、かんぬん……」
と、長々と説明していました。
そのことが、同僚に対しても、子どもに対しても、
小論文って、わかりにくい、難しい、という
マイナスイメージを与えてしまっていました。
それどころか、自分さえ身動きがとれなくなって、
煮詰まっていきました。

それもそのはず。
短く言うことは、大事なものだけ残して、あと全部棄てることです。
短く言えないということは、
大事なことの順番が自分にもわかっていないということ。
これでは、人に伝えることはむずかしい。

おも―いデータを抱え、反応が遅くなったコンピュータのような
私が、たてた企画は、やっぱり、煮え切らない、
わかりにくいまま世にでてしまいました。

そんな、ある日、何かの拍子に
「なぜ?」という2文字が、ふっと頭に浮かびました。
つづいて、「なぜ? は小論文のはじまり」って
フレーズが浮かんだ。

そっから、関を切ったように、
新商品の企画がわきあがってきました。

小論文とは、
「なぜ」を考え、「なぜ」を書く、
意見と理由の文章です。

「なぜ」という核心の2文字がつかめたことで、
それまでバラバラだった小論文の世界が、
いっきに秩序をもったのです。
いっきに人にも伝わるようになった。

関係の発見…とでもいうのでしょうか、
ひと言でいうことは、時にそんな効果をもたらします。

いま、あなたがやっていること、
やろうとしていること、
それを、ひと言でいうと?


煮詰まった時は、まわりの人と試してみてください。
あなたのどんな世界が見えてくるか、
それを楽しみにしています。

2000-11-22-WED

YAMADA
戻る