YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson21 シドニーオリンピック

今日は、ゲストにタナカカツキさんをお招きして
スペシャル講義です。

タナカカツキさんの熱烈なファンは私のまわりにも多いのですが、
最初に『バカドリル』(扶桑社)を見たとき、
しばし、いすから立てなくなりました。
やられた! まいった!
小論文でめざす「問いを発見する力」が、痛烈に
しかも、腹がよじれるほどおかしく、展開されていたのです。
以来、彼は私の中で「問題発見」の師です。
今日は、どんな「問い」をつきつけてくれるのでしょうか。

では、さっそくタナカ先生、お願いしまーす!
----------------------------------------------

はじめまして。タナカカツキというものです。
ズーニー氏の留守中、
一日だけ、この場所をのっとることに 成功いたしました。

ぼくの職業は一応マンガ家(ということにさせてください)
プロとして仕事をはじめて16年、
未だ原稿料は新人並み。
連載してるマンガ雑誌はナシ。
ついこの間も週刊青年漫画誌に連載がはじまったものの
編集部との〈折り合い〉がつかず連載中止!
開始からわずか3回で終了なんていう
ちょっと古風な気むづかしい作家?きどりで
世を儚んでみたり、〈儚む作家の姿〉を
周りの女性に お行儀良く披露し〈うっとり〉させよう
などと企んでみたりしてる
そんな毎日です。

さて、感じる 考える 伝わる! おとなの小論文。
ぼく自身最近、何に〈感じ〉何を〈考え〉たか?
いろんなことに毎日〈感じ〉〈考え〉てるつもりなんですが
こういうことって書き留めるか、考えをまとめるかしないと
改めて思い出そうとしてもすぐにでてこない。
なんでいまさらなんですが、
シドニーオリンピック、
日本団体銀メダルの シンクロナイズドスイミング! この競技、
まったくの無知なんですが、 なんかおもしろい。
無知だからこそ、なのかもしれませんが、
なんかずっと気になるスポーツ。
子供の頃テレビで最初にこの競技を観たときにも
「ユーモラス!」って兄弟で叫んだし 。
鼻を洗濯ばさみみたいなやつではさんでるのが
どうしても〈滑稽〉なんだけど、
その〈滑稽さ〉を 気合いと集中と芸術性で
乗り越えようとしてるのか
ひらきなおってるのか、
演技はマジだし(あたりまえ)。

で、 この競技の名称「シンクロナイズドスイミング」
というをいったん忘れて、
「プールでのふざけ」「超お笑い水上ダンス」とか
何でもいいのですけど、
このお姉ちゃんたちはプールで
ただふざけているだけっていう視点で
改めて鑑賞したらすごく〈笑える〉んです。
それもただふざけているだけでなく
実は〈笑い〉を競い合ってる 。
ぼくたちお客をどれだけ笑わせることができるかに
挑戦してる、それも世界を舞台に!
もちろん、この見方は大変失礼なことでしょう。
うしろめたい気持ちもあります。
シンクロの知識を深め、生で観て、
あるいは経験して正しい鑑賞法(?)で深めていけば
美しい〈感動〉に辿り着く。のでしょうが
想像は自由やんけ!という気持ちもあって
さらにイメージがひろがっていきます。
もっとおもしろくするためには
選手が水面にあがってきたところで
目を寄り目にして
口にふくんだ水を吹き上げたら
もっとおもしろいのに とか、
絶対採用されないアイデアまで出てきちゃって
具体的な絵がアタマの中に浮かべば〈笑い〉もとまらない。

次の選手が演技をする。
コンビの息もぴったし。
タイトルもついてる。『カラテ』(欽ちゃん司会)
入水のしかたがとっても独創的!
もはや「シンクロナイズドスイミング」という名称や
いままで観てきたこの競技のイメージから大胆に解放され
コンビのしなやかな動きに目がはなせない。
そもそも、
スポーツのはじまりは誰かのやった〈遊び〉だ。
とすれば、
この競技の〈遊び〉の部分を一瞬にして理解した 気持ちになって
自分もやりたくなる。
もし審査項目に〈笑い〉があったなら、、、。
 

では実際、
この競技の現在の審査基準ていうものは
どういうもので、 この競技の起源は
どのようなものなんでしょう。

審査は 技術点 芸術点があり、
発祥地はヨーロッパ。
イギリスの「スタントスイミング」、
ドイツの「アーティスティックスイミング」
と呼ばれる浮き身と泳ぎの組み合わせの群泳が
1900年代の初めからあり
その後、カナダからアメリカに渡り「ウォーターバレー」とよばれ、
1934年のシカゴ万博で
「シンクロナイズドスイミング」と名付けられた。
らしいです。(今、ネットで調べてきました)

「プールで踊ってみよう」
そのような〈遊び心〉が 競技、国際的なスポーツに発展する。
この遊びの中で〈笑い〉という感性は生き残れなかったのか
もしかして選手の中に〈笑い〉を意識した演技も
あったかもしれない。
審査項目に〈笑い〉があったとしても
審査員に〈笑い〉の理解がなく(折り合い〉がつかなくて
やめていく選手もいるのだろうか。
「〜日本文学の中には〈笑い〉がなくなった。
それは日本人が明治時代に西洋の文学を
カンチガイして輸入した。
ドフトエフスキーの『白痴』の中にふくまれた〈笑い〉を
まるでわかっていなかった」
というような指摘を
なんかの本で読んだことがあります。
なんて、 真面目に日本文学なんて持ち出して
ムリヤリ展開しようと しましたが、


最近 ぼくが
〈感じる〉〈考える〉〈笑う?〉
ことをしたのはこんなことで
ハッキリ言っちゃえば〈あらぬ妄想〉なのでしょう。
たいへんすばらしい芸術スポーツである
シンクロナイズドスイミングに
手前勝手な〈視点変え〉を加えた鑑賞で
瀕死の笑いに陥った 中年マンガ家(独身)のヤバイ〈妄想〉。
でもそのような〈妄想〉は
なぜか伝えたくなって
〈わかってくれそうな人〉を見つけては
また一緒に笑って深みにはまる。
わかりあえれば うれしい気持ちになって
再び楽しい時間がはじまるのです。


タナカカツキさんをもっと知りたいかたは↓
http://www.kaerucafe.com/

2000-10-18-WED

YAMADA
戻る