YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson15  好きなものに忠実でいる勇気

あなたが、好きな、
あなたが、心からやりたいことは何ですか?
私はそれにとても興味があります。
よかったらLessonのあと、メールで教えてください。

そして、自分は何が好きか、
何がやりたいか発見中という人、
私もそうです。

今日は、あなたと、
自分の中の「好き」を、どう発見していくか?
心に芽生えた「好き」を、どうするか?
について、考えたいと思います。
これは私のほうが、ぜひあなたから教えてほしいことです。
知恵を貸してください。

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〜会議によくある風景〜

この企画だけは、がんばった。
前から私がやりたかったこと。
おや? みんなの反応が思わしくない。
「このデータだけでは何とも言えません」
「別の課で成功した、あのやり方でやってみたら?」
言いたいことはあったのに、
のどまで出た想いを
私は、ぐっと飲み下してしまった。

あの時どうしてみんなとケンカしなかったのだろう、
私の中で、また一つ火種が消えた。

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〜信頼している上司からお話が〜

会社はイヤなことだらけ。
でも、理解のあるあの上司がいるからがんばる。
あの人に認めてもらえていることが
私が会社にいる理由。
今日、来年の方針が発表された。
さすが、素敵!
とにかくこの人についていこう。
私がやりたいことはこの人と一緒だから。
私の未来はこの人の未来と似てそうだから。
ここがどこかはわからなくても。

やりがいができたのにどうしてだろう、
私の中で、また一つ火種が消えた。

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〜やるべき仕事〜

やりたいことはあるけれど、とにかく今は、
将来のステップになる仕事、
やるべき仕事をやっとかなきゃ。
どこでもなんでもできるように、
バランスよく、汎用性のある
スキルを積んどかなくちゃ。
やりたいことなんて、後になってもできるから。
力をつける方が先だから。
やってるうちに意味が見えてくるから。
えっと、なんのための力だっけ?

どうしてなのかわからない、
私の中で、また一つ火種が消えた。

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あなたはこのような風景を、目にしたことがありますか?
あなたが、この風景の主人公だとしたら、
どういう選択をしますか?

自分の体の中に、
「好きなこと」
「やりたいこと」
が宿るというのは、女性が子どもをさずかるように、
不確かで、だからこそ、感動的なものだと思います。

願って探し求めても、
「好きなこと」がみつかるものではない。
ところが、そんなの忘れている時に、
むしろ、こんな時に困るという時に、
ふっ、とあらわになることがあります。

体の中に宿ったそういう思いは、胎児のように、
ある意味では強く、
ある意味では、非常にもろい。

会議によくある風景の人は、
想いをぐっと飲み下してしまった時に、
せっかく宿った心の火種を手離してしまったの
かもしれません。
想いはどこから来て、
どこへ行ってしまうのでしょうか?

また、魂を奪おうとする悪魔は、
ときには、天使の顔をして現れることがあります。
求心力があり、自分の未来をたくせるような人物、
予期せぬすごいチャンス、思わぬ大金、
そういうものに出くわした時、
「自分がやりたかったのは、
 もしかしたらこれだったかも?」
「ちょっとちがうような気もするけど、
 こっちの方が確かかも?」
という、すりかえが起きてしまうことがあります。

自分の将来が見えない時に、
自分が何をやりたいか根っこから考えようとすると、
前提から揺らいでしまう。そんな時に、
求心力のある上司に、自分の未来を託してしまう。
その人に認められることが、志とすりかわってしまう。
人間は一人一人かけがえがないから、
未来はピッタリとは重ならない。
だから、吸収合併のような形で
自分のやりたいことを、すり合わせていくと。

最初は小さなすりかえが、少しづつ重なって大きくなり、
その上司が異動したとき、虚無感に襲われる
ということが時々みられます。
やはり、自分がやりたいことについて、
考えられるのは自分しかいない。
それを放棄すると、ツケも大きいのでしょうか?

また、目前のやるべきことのために
今やりたいことを、おあずけにしておく。
何年後かにやろうと思う。
ところが、「べき」で身を固めていくうちに、
何がやりたかったのか、わからなくなってしまう。
せっかくやりたいことができる
時間やお金が整った時には、もうどうしようにも、
「好き」とか「心からやりたい」というものが
さずからない体になってしまうということがあるようです。
今、とか、好機というものは、
後からはつかめないものなのでしょうか?

会社をやめようかどうしようかで悩んでいる人が、
私のまわりにはとても多い。
しかし、その問いは実は、
次に問いに比べたら、小さいのではないか。

自分が心からやりたいことは何か?
そういうものが、さずかったとき、
どうやって守りぬくか?


自分の心の火種は、
いつも何かの危機にさらされていて、
手離させよう、
あるいは、ほんのちょっとずつすりかえてしまおう
という誘惑にさらされている。

組織にいても、どこにいても同じ。
日々追っかけてくる。

形にならないとき、
そういう「想い」が果たして意味があるのか、
自分の中からの無力感に襲われることもある。

しかし、逆を考えてみたい。
好きなもの、心からやりたいことがない人生は、
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私にはお金がある、しかし、私は何が好きかわからない。
この金を何につかいたいかもわからない。
私のまわりには人がいる。
けれど、私はこの人たちが好きではない。
私はだれが好きかわからない。
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ということになる。
そういうのは、一生問題として、私はいやだ。
心からやりたいこと、
好きなことを堕胎するようにして、
生きている人がいるとすれば、
その人が、日々、得ているものは何なのだろう?

逆に、心から好きな、やりたいことがあれば、
生きてて面白いし、苦労もいとわないし、
お金がなくても、いいオーラ、
出してられるんじゃないかとおもう。
そしたら、自然に仲間も集まってくるんじゃないか。
これは、あくまでも私の仮説だ。
今、私は、私の人生を使って仮説を検証しているところだ。
この検証には、客観的な指標はいらない。
編集生活をふりかえると、人脈もスキルも、
想いをこめた仕事だけが自分に残った。
将来によかれと苦い薬を飲むようにした仕事は
地盤沈下を起こし、私の中では消えてなくなっていた。

心の火種をどうやって発見するか? 消さないか?
消すとすれば、それは社会や組織でなく自分であるし、
本気で守ろうとしたら守りとおせるのだと私は思う。

メールはこちらへ→ postman@1101.com

2000-09-06-WED

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