80's
ミーちゃんの縁側。
「80代からのインターネット入門」のその後。

ミーちゃんの縁側で、旅行の話なんかを聞く。

3.ソ連でトイレを探して、迷子になる。

初めてのソ連の旅の事だった。
この時の写真は有るが何も書いてないので
記録を探すのも大変なので、
海外旅行初めてから2回目か3回目の様な気がする。
と言う程度にしておこう。

この頃は関西とか福岡とか北海道とかから出る
海外旅行はなかつたようで
関東方面だけの募集でなく全国的だったのか
此の「ソ連の旅」は先ず「新潟」のホテルに集合し、
その日は「説明会」になり1泊して
「新潟港」から船で「ナホトカ」まで行き(船に1泊する)
ナホトカの見学。
(あえて見学という。観光ではない様な気がする)。
ナホトカの日本人墓地(戦没者の)を、お詣りした。
詳しくは書かない事にする。
それから汽車でハバロフスクまで行き、
此処でも日本人墓地とお役所など見学した。
この旅行はハバロフスクまで全員一緒で
此処からはモスクワヘ飛行機で行き、
主にモスクワとレニングラ-ド・バルト海沿岸を廻る組と、 
バイカル湖の辺りを中心に
タシケントやイルク-ツク等ロシアの東南部組。    
キエフの辺りでヨ-ロッパに近い所組と、3コ-スに別れた。

私はモスクワ組で、知らない奥様と2人に決まった。
モスクワで「赤の広場」に行き先ず驚いたのは
長い長い行列だった。
それはレ-ニン廟の参拝の。
(本題からそれるので止めておく)

モスクワ市内の建物など見学し、
翌日自由行動の時、添乗員さんが
地下鉄が、素晴らしいからと近くの地下鉄の駅へ
案内してくれた。
エスカレ-タ-(横幅が広くて片側を走って通る人もある)
2駅ばかり4・5人で乗っていった。
着いたらそこは倉庫の様でホ-ムがない???
どうしてこんな所に着くのかしら?と、
不気味になった。
すると電車の入り口が
駅のホ-ムの入り口ぴったりの所で開いた。
電車の通る所とホ-ムは、隔離して締め切ってあるのだ。
地上から悪い ガスが入らないように成っているのだった。

さてホ-ムは、まるで明るくて綺麗で
左右の壁は全面が一つの壁画になっていた。
この素晴らしさに、すっかり圧倒されてしまった。

道路の清掃のおばあさんは
箒をもって道を絶えず掃いているし、
エレベ-タ-に乗れば 大きな椅子に腰掛けたおばさんが、
「エレベ-タ-ガ-ル役」しているし、
自分の部屋の階の、中央には長い机と椅子があり
おばさんが2人で外出する人の鍵をあずかっている。
(24時間交代制)で。
その頃は(C)に登場する人は
「国家公務員」なのだった。
共産党なのでか?
年齢にふさわしい仕事を与えて有る事に、
成る程なーと、つくづく感心した。

モスクワ市内の建築物は、
帝政ロシアのころの素晴らしい物が沢山有った。
外国は銅像の凄いのが目につく。
モスクアからレニングラ-ド
(サンクトペテルブルグ)川が、印象的だった。
そして「夏の宮殿」の豪華な庭園にある
噴水など階段状でその両端には金ぴかの像等有り
夜は水を出して無いので、
その噴水に水が出る瞬間を見るので、
沢山の人が朝から詰めかけている。
私達も、その仲間になり待機していた。
見事だった。
その後レニングラ-ドの美術館に入り
殆ど駆け足で通り抜けた。
団体旅行では仕方ない。
この街はモスクワより優雅な感じだった。  
レニングラ-ドからバルト海沿岸の古い町タリン
(今はソ連でなく国名はエストニア)等、
石を敷き詰めた坂道の有る静かな町で、
歩くより他に仕方がない様な所だった。
この頃ヘルシンキが対岸に見えたが
(バルト海の入り江になった狭いところなので
 ヘルシンキは、フィンランドになる)。
ヘルシンキは此の翌年オリンピックが有るので
港は工事中との事だった。
それからモスクワに戻り、幾つか観光し、     
いよいよ「お別れパ-テイ」を
市内の中華の店でするのだが、
一度、皆はホテルへ戻ってから来ることになった。
私はその時トイレへ早く行きたかったので
近くのデパ-トで借りなさいと添乗員さんに言われ、
残ることになった。
同室の奥様はとてもインテリの方の様で
ドフトエフスキ-の小説に出てくる様な町が有ると思うので
この辺を歩いてみるからと、
2人はバスを降りた。
直ぐ五.六軒先にデパ-トが見えたので
私はそちらへ奥様は反対方向へ歩き始めた。
私は相当慌てていて道の向こう側のデパ-トへ飛び込んだ。
添乗員さんからトイレと言わないで
トワイレットと言って聞きなさい。
と、教えられたので店員さんの女性に
「トワイレット」と言って店員さんが指さす方へ行き
キョロキョロと、それらしいドア-があるかと
見つけるが無い。
又少し移動して聞いてみるが入り口らしいのが無い。
4回ぐらいで、やっと解り無事用が足せた。
それから簡単に表へ出られると思っていたのに
入ったときの道が あるかと出てみるが
五.六軒先を見ても「中華料理」の店が無い???
又デパ-トへ入り
他の入り口へ出てみるが無い?
このデパ-トは街の一区画全部に建っているので
四隅の入り口は全部同じ外観でデザインも同じなのだ。
デパ-トの中で店員さんに
指を指されるままに動いていたので、
どの入り口から入ったのか解らなくなっていたのだった。
胸はドキドキしているが頼る人はいない。
それでも3回目くらいで出たら
やっと「中華料理」の店の看板が見えた。
出たところは大通りで日本の銀座通りの様だった。
夕陽が赤く綺麗だ。
中華の店の前まで行ったが
中はひっそりしているし前にバスも止まっていない。
あの奥様も見えない。
又、角まで行きいそいそと歩いている人を見ていた。
あの頃なので陸軍の制服姿の人も居た。
ただ立っている自分の姿を考えると
可愛そうになってきた。

今思うと未だホテルへ行ってないのだから、
此処からの距離も解らないし見当が付かない。
多分何時何分までに戻ると言って行ったと思うが。
一人で異国の都会の街角の、
「夕暮れ」が不安にさせたのでしょう。
この店で夕食をすると決まっているのだから、
あんなに心細く成らないでも良かったと
20年も経って気が付いている。
「これが、ミ-ちゃんなのだ」

(つづくわよ。)

2001-06-07-THU

BACK
戻る