言葉の戦争と平和。
米原万里さんとの時間。
(「これでも教育の話」より)

15  書く訓練







こんにちは。

たくさんの方に読んでいただき、うれしいです!
ひきつづき、いただいたメールから、2通を紹介します。
「こんな風に感じている読者がいるのだなぁ」
とでもいうような感じで、参考にしてみてね!

「11/13付の「言葉の戦争と平和」を読みました。
 『理性的な発言っていうのは、
  割と、人の心に入ってこないんですよ。
  感情がこもった発言のほうが、
  相手の心の中に、入るんです』
 鑑賞者を楽しませる基本はこれですよね。
 私は仲間と共にサイトをやっていて、書いていますが、
 本心がうまく書けなくてモヤモヤすることがあります。
 嘘をついているわけじゃなくて、
 自分が感じていることの
 核心をつけないっていうんでしょうか。
 「私が言いたいのはこれじゃない」ていう。
 読者を楽しませる方法は色々ありますよね。
 面白いネタを提供したり、
 奇抜な視点で切ることもひとつ。
 そして、読者に共感を与えることも
 そのひとつだと思うんです。
 そして、本当に思っていることを
 そのまま伝えられれば、本当の共感も与えられる。

 普通の人間が評論家になったってつまらない。
 芸能人でも作家でもない私が心掛けなけることは、
 正直に書くことだと思っています。
 感じたことを感じたままに、
 ど真ん中の表現で伝えるのって、難しいですけどね」

「物々しいタイトルの対談のお相手は
 米原万理さんだったのですね。
 その昔、電車の中で肩を震わせ、
 涙を流しながら、米原さんの
 『不実な美女か貞淑な醜女か』
 を読んだことを鮮明に思い出しました。
 ‥‥私も言葉をタテにしたりヨコにしたりしながら
 ゴハンを食べる人種の末席にいるためなのか、
 読みながらバーチャル体験をしてしまったのでしょうか? 
 衆目の中での抱腹絶倒をこらえる苦しさはひとしおでした!
 ところで、一気に読んだせいかもしれません。
 「!」と思うことがありました。
 ものすごくテンポがいい、ひょっとしたら
 とても早いやり取りであったのでは?
 と思う一方で、読んでいて安心するというか、
 息が切れない感じがあるんですよ。
 そしたら、米原さん、彼女が話し出すときに、
 ダーリンの言葉をしっかり受け取って
 ときにはそっくりそのまま繰り返して、
 それから 話が進むんですよね。
 ダーリンの話す最後の行の言葉が
 米原さんの話す冒頭に必ず登場する例、
 まだまだありましたよ。

 話したことをしっかり聞き取って、
 キャッチャーミットに収まったのを
 確認してから投げ返す例を
 こうやって文字で見せていただいて、
 人と話すとき「やっぱ、キモはそこかな?」なんて
 感激しています。
 もしも自分が米原さんの話し相手だったら、
 「今日はスッゴク楽しかったぁ」と自分で勝手に思って
 終わっちゃうかもしれないけど、相手に
 そう思わせる聞き手の妙、あるような気がしました」

「ゆき」さんと「結」さんからのメールでした。
あなたは、どのようなことを感じながら
この対談を、読んでいらっしゃいますか?

‥‥さて、今回は、ふたりの会話は、書く訓練について。
それぞれが思う「いいなと思う文」「いやな文」とでも
いうようなものが、語られてゆきます。さっそくどうぞ!!








米原 ソビエトの学校では
自分のことを書くというのはほとんどなかった。
ほとんど、「冬について書け」だとかね。
糸井 それは、すごいなぁ。
米原 サーカスについて書けとか、そういう感じで、
あまり自己暴露というか、
その趣味はなかったですね。

日本はきっと、何か明治維新のときに
そう思い込んだみたいね、
「文学とはそういうものだ」って。
糸井 「文学とは自己暴露である」‥‥。
米原 まあ、自分と向き合うというのは
とても大切なことなんだけれども。
糸井 自我の発見っていう、とんでもない
大テーマを探させられちゃったんで、
慌てて探してみたら
裸の自分がいましたみたいな、
そういうことかもしれないですね。
米原 それでも、
恥ずかしいことを書くということがね‥‥。
確かに一方的な
自慢話を聞かされるのも困るんだけど、
ほとんどの私小説は、「卑下慢」の世界ですよ。
糸井 洋服の文化が育たないのと同じですよね。
洋服という、自分さえもちょっと我慢したり、
快適だったり、他人の目と自分の心地よさが
一緒に存在するようなものの表現というのを、
日本はずうっと育てられないで来た。

それと、作文教育も同じだと思うんですね。
米原 でも、そういう下地があるから、
糸井さんが受けたりするんじゃないですか。
糸井 自分のことはよくわからないんです。
ぼくは単純に、書くことは簡単、
というところだけを伝えたいんですね。

自己暴露するのが得意だったらすればいいし、
大ウソつきたかったらすればいいし。

よく若い子に課題を出すのは、
「自分の好きな食いものを人に勧める文章を書け」
これはみんな名作ですね。
米原 なるほど。
糸井 で、「えっ、これでいいの?」ってわかると、
どこがよかったかというのが見えてくる。
それはさっきの政治家の答弁じゃないですけど、
「思い」なしには書けないんですよ、
好きな食べものに関する文章は。
米原 そうですね。おざなりにできないからね。
糸井 ええ。
非常に生理的な、内臓感覚まで
一緒についてくる文章しか、
やっぱり人は受けてくれないんです。
米原 それはうまい方法ですね。
糸井 これは非常に便利です。
やっぱりつまんない人は、
人が褒めていたものを受け売りで書く
んですね。
米原 ああ。そうするとあれね‥‥。
糸井 はい、さっきの官僚になっちゃうんです。
米原 なっちゃうのね。
糸井 だから、サバずしについてや、
おやきについてのことを
じょうずに書ける子がいたら、その子は、
「思いがある」ということは確かなんで、
いろんなことに対して課題を出せば、
書けていくんです。
米原 そうですね。
つまり、いいたいことが
自分でわかってない限り、
「単に書く」ということは不可能ですものね。
糸井 だから、冬についてということを
書けるようになるまでの間を埋めていく、
今度は修行が要るんだと思うんですけどねぇ。

そうか、外国語を学ぶって、
「日本語を学ぶこと」ですねえ。
米原 基本的にはそうですね。
日本語を徹底的にやると、外国語をやる時、
すごく入りやすくなると思います。
糸井 俺はどうしてこんなに
外国語が苦手なんだろう。
もう、イラ立つんですよ。
米原 でも、アクターズ・スタジオの俳優さんたちの
英語を聞かれるわけでしょう?
糸井 いや、それは日本語訳で字幕が出ている。
米原 ああ、日本語の字幕でね。
糸井 で、悔しいんですよ。
米原 ただ、外国語は必要なければ
必要ないと思うんですけど。

まあ、知ってた方がおもしろいし、
みんなが知らないことをいち早く知れるとか、
まったく違う発想法に接することができるとか、
そういういいところはあるけれども、
差し当たってなくても済むなら、
なくていいと思うんですけど。
糸井 「なくて済んでる」から、
外国語がだめなんですかね、
もしかしたら。
米原 済んでるから。
糸井 この間、ヨーロッパに行って帰ってきて、
僕は全く語学はだめなんですけど、
ヨーロッパだとしょうがないんで、
間の英語を使いますよね。
そのときの方が、
アメリカへ行って英語聞いているより楽なんですね。
米原 アメリカ人の英語は聞きにくいです。
つまり、母国語の人の英語って聞きにくい。
聞く立場に立てないから。
外国人の英語の方が聞きやすいですね。
糸井 ちょっと楽なんですね、かえってね。
米原 それで、文法的に
正しくなくてもいいんだものね。
糸井 そうそう。だから、たまに、
「あ、そういう使い方でいいわけ?」って……。
米原 通じればいいんだものね。
糸井 ですよね。
「あ、そうか、ドイツ人でも
 こういう英語しゃべっているんだったら、
 俺らがいってる言葉はあんまり変じゃないか」
っていうふうに、ちょっと安心したりして。
それは意外と快適だったんです。
米原 通じるといいですよね、通じた瞬間ね。


(※今日はのんびりした会話でしたね。
 月曜日につづきます。おたのしみに!!!)

2002-11-17-SUN


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