言葉の戦争と平和。
米原万里さんとの時間。
(「これでも教育の話」より)

10 オクテの方が、完成度は高い







こんにちは。
ご愛読ありがとうございます。
異文化どうしの交流に興味を持っているかたが
たくさん、読んでくださっているようですが、
こないだ「歴史資料作成」の仕事をしている方から、
丁寧なメールを、いただいたんですよ。

今はもういない人たちの声を、
残された資料から読みとる‥‥。
夢もあるし、難しさもある仕事なのだそうです。
歴史をさかのぼるのは、翻訳にも似ていて、という
そのメールを、ちょっと長めに、ご紹介しますね。

「毎日楽しく読んでいます。
 最近のお気に入りは"言葉の戦争と平和"です。
 それは、わたしの仕事と関係があるからです。
 仕事と言っても、それは通訳ではありません。
 わたしは、歴史資料の目録の作成をしています。
 つまり、資料を制作した人がその場にはいなくて、
 資料から浮かび上がる言葉を、
 現代にわかりやすい形で伝える‥‥
 自称、"時空を越える通訳"です。
 この仕事は、案外むずかしいんです。
 資料の文章をそのままデータ入力しても、
 資料の全体像を把握することが、できない。
 顕微鏡で細胞は見えるけれど、何の生物かわからない、
 という状態に似ているかもしれません。
 自分で一回、内容を咀嚼して、それから文章化しないと、
 資料の内容が、人に伝わらないのです。
 しかし、ここに主観を全面に出すと、
 資料とかけ離れた目録になり、
 目録の意味が、なくなってしまいます。

 こういう仕事を続けて4年になるのですが、
 『同じ人の通訳を1週間ぐらいやっていると、
  その人を絞め殺したくなる』
 という米原さんの言葉に似た気持ちを、
 わたしは仕事をはじめてから2年半、ひきずってました。
 (私の場合は絞め殺すと言っても、
  もう亡くなっている人がほとんどなのですが)
 『言いたい内容を伝える時には、
  言っている人の立場になる方が早いんです。
  話し手の立場になった方がいい』
 という米原さんの言葉も、ほんとにそうで、
 そうしないと、理解をしあえない二人となり、
 平行線の状態を突き進んでしまいます‥‥。

 目録作成は、自分を出しちゃいけないけれど、
 でもその言葉を受ける自分がないと
 人に伝えることができないというビミョーな立場で、
 その自分の位置がわからなくて、
 最初は、暗中模索だったんだなぁと思っています。
 自分を相手に同化させようとすると、
 絶対無理が出てしまうし、かといって自分を消して、
 字句ばかりを追うと、何が言いたいかわからない。
 でも、これをコミュニケーションとして考えると、
 すとんと胸に落ちて、殺したい気持ちが消えて、
 資料の作成者達の思いに反発せずに、
 受け入れる気持ちを持てるようになりました。

 この仕事は、縁があって始めた仕事で、
 けっして熱望してついたわけではないのですが、
 今はとても愛おしく、キチンとプロ意識を持っています。
 まぁ、実は万年アルバイトなんですけどね。
 こういう対談に出会えるのは、
 日常のささやかな幸せに似ています。
 これからも、たのしみにしています!!!」

いろんなお仕事の人から、
それぞれの仕事なりの発見をうかがうことって、
すっごくおもしろいですね。
そんなことを思いながら、メールを読んでいました。

今回の会話の中には、言語にかぎらず、
「ヘタなやつのほうが、最終的には
 完璧になれる可能性を秘めている」
という話が出てきます。
「確かにそうだ」と思えるとともに、
勇気の出てくるような対談になっていきますよ。
では今日も、どうぞ、おたのしみください。








米原 私が通った学校は
だいたい50か国ぐらいの
子どもたちが学んでいました。
ロシア人が半分、
ロシア語をできる人が半分で、あと半分は
まったくできない子ばっかりだったんですけど、
私も含め、半年後には
全員が、できるようになっちゃうんですよ。
それは外国語の才能とは、関係ないんです。
糸井 カリキュラムというのは、
1日何時間で毎日、みたいな‥‥?
米原 低学年は、45分の授業が4時限。
4年ぐらいから6時限になるのね。
それで、1クラス20人ぐらいで。
糸井 で、理科だ、社会だみたいなことを
教えるわけですよね。
米原 ええ。
だいたい、3年までは国語と数学しかない。
毎日国語の時間がたくさんあって、
国語でぜんぶ教えちゃうのね。
理科も社会も歴史も地理も、ぜんぶ国語で。
糸井 つまり、読みものとして、
例題として、社会があるわけだ。
米原 そうそう。
読みものの内容が
社会的なものだったりするんだけれども。

ロシアは、とにかく
「言葉があらゆる学問の基礎体力だ」
という考え方なのね。
だから、これを徹底的にやるんです。
国語といっても文法と文学に分けて、
文法はむしろ、本当は母国語なのに、
徹底的に外国語として
突き放して勉強していましたね。
糸井 そのメソッドは、
今、考えても、いいものだった?
米原 非常にいいですね。
日本人が外国語を勉強する時に苦労するのは、
結局、私たちは日本語の、自分の国の言葉の
文法を、ちゃんとやってないからなんですよ。
糸井 そうです。
米原 つまり、客観的に一つの体系を、
自分の国の言葉を持ってないんです。
だから、もう一つの体系をやるときに
ゼロからやらなくちゃいけないんですね。

でも、ひとつの体系をきちんと把握していれば、
次の体系を身につけるのは、
はるかに楽になるはずなんです。
だから、母国語でそれをやる方がいいんです。
母国語を、きちんとやった方がいいんです。

‥‥と、私は思うんですけど、
まあ、それはそれとして。
とにかく50か国の子供たち、ロシア語を
半年後にはみんな自由にしゃべれるように、
また、書いたり読んだりできるようになるんですね。

ただ、おもしろいことに、
ロシア語と親戚関係にあるスラブ語の、
例えばチェコ語とかポーランド語、
そういう国から来た子は、大体2〜3カ月で
ロシア語ができるようになります。近いから。

スラブ系ではなくても、
同じインド・ヨーロッパ語族、
フランスとかドイツから来た子は4〜5カ月かかる。
で、日本なんて遠いじゃないですか。
言葉としての親戚関係は全然ない言葉ですね。

アラブとか、モンゴルとか、朝鮮とか、
そういうところから来た子は
やっぱり6カ月ぐらいかかる。時間がかかる。
糸井 でも、2カ月しか違わないですね。
米原 まぁ、そうです。
でも、大きいですよ、
子供にとっての時間というのは。

ただ、身につけたロシア語を見ると、
言語的に離れた国のほうが、完璧に身につけるの。
糸井 え?
それはどういう‥‥?
米原 私も電話で話すとロシア人に間違えられる。
これは自慢じゃなくて、日本人はみんなそうです。
モンゴル人とか、離れている子はみんなそうなの。

言葉の選択とか、文法とか教科書では
明示されない言葉の相性とか、いろいろ細かい
文章化されない規則がありますでしょう?
そういったものも正確に身につけるんですよ。
それからイントネーションとか発音なども完璧に、
本国人と変わらないものを。

ところが、とても近い言葉を母国語にして、
実際にロシアで生活してゆくような子、
この子たちは永遠に自分の国の
なまりを引きずったまま、
ロシア語を、しゃべるんですよ。

その後もそのままロシアに留学して、
大学へ行って出て、
大人になってロシア語で生活してるのに、
自国語なまりそのまま丸出し。何年やっても。
糸井 何かわかる気がしますね。
米原 結局、よくわかったのは、本人が
努力家だとかまじめだとかというのとは
まったく関係なく、
脳には省エネ装置がついてるの、サボり装置が。

だから、自分が既に持っている
言葉のパターンがあって、
それが似ているロシア語があったとすると、
新しいものを身につけないで、
もう既に持っているもので
間にあわせようとします。
糸井 そうできているんだ?
米原 だから、近隣国の子は、覚えが早いんです。
ところが、日本語みたいに離れていると、
使える引きだしがないんですよ。

だから、最初のまっさらから
身につけなくてはいけないから、
そうすると完璧に身につくんですよ。
糸井 そうだ。
米原 だから、何かに関して、
すごく習熟が遅い子とかいるじゃないですか。
それは別に言葉に限らず、そういう子って、
逆に完璧に身につく可能性があるんですよね。
糸井 ということは、回り道をした方がいい、
ともいえますねえ。
米原 そう。
だから、すごく器用で、
すごく早く身につける子というのは、
優秀ではあるんだけれども、
表面的だったりするんですよ、身につき方がね。
言葉については本当に私自身の体験で、
これは確信を持っていえますね。
糸井 一番遠い語族だったからよかったと。
米原 遠いから、うまくなる。


(※明日につづきます。おたのしみに!!!)

2002-11-11-MON


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