言葉の戦争と平和。
米原万里さんとの時間。
(「これでも教育の話」より)

9 ロシア語の地獄







こんにちは!
通訳に似たお仕事をされている「ほぼ日読者」の方って、
どうやら、思ったよりも、わりと多いらしいんですよ。
昨日はこんなメールをいただきました。ご紹介しまーす!

「私はフランスで、日本映画に
 フランス語字幕をつける仕事をしています。
 先日は今村昌平の映画をフランス人が訳して、
 それを私がクチパクにあわせて貼っていく、
 というのをしたのですが、
 たびたび出てくる「夜這い」というセリフが
 ぜんぶ「徹夜」と訳されていたので、
 困ってしまいました。
 会話のなかだけでなく、映画の中で歌われる歌詞にも
 『夜這い♪〜夜這い♪〜』とでてくるんです。
 フランス語には『夜這い』という言葉がないのです。
 もちろん文章で夜這いを説明することはできますが、
 それでは字幕からはみだしてしまいます。
 こういう場合、米原さんならどうされますか‥‥?」

「柚子」さんからの、おたよりです。
「フランス語の字幕を貼っていく」
ってお仕事、なんだか、おもしろそうです。
「徹夜」の話も、たのしく拝読いたしました。

今日からは、米原さんご自身が受けてきた
ロシア語教育について、語られていくんです‥‥
これがまた、今までよりもさらに迫力があるので、
心の中で「おー!」などと言いながら、読みすすめてね!
では、さっそくふたりの対談のつづきを、どうぞ。








米原 通訳は、あくまでも「家来」なんですよ。
「ご主人」は、話し手と聞き手です。
糸井 そうですよねえ。
それが、どこまで行っても、矛盾を生みますね。
米原 そうなんです、絶対に‥‥。

でも、
「従属している者を抱えてはいるけれど、
 実は支配している者が従属している」

という関係は、いつも、あるでしょう?
糸井 マゾが強気のサド・マゾとかね。
「もっといじめて!」って。
言われてるから攻撃しなきゃいけない。
米原 そうそう。
結局、通訳がいないと、
何にも通じないわけですから。

通訳が下手だと、
どんな高邁なことをいっても、
すごく幼稚なこととしてしか、
伝わらないわけです。

だから、
本当は支配しているんですけれども、
でも、通訳は、個人の主体としては
何にも言えないんですよね。
糸井 ひどい立場だよなぁ。
米原さん、通訳に向いていたんですか?
米原 いや、ぜんぜん向いてないですよ。
「わたしには向いてない」と思っていました。
向いてないと思っていたけれども‥‥。
糸井 でも、いますよね、ここに。
米原 そうですね。
やりはじめたら、とてもおもしろいと思った。
糸井 あぁ、「向く」「向かない」じゃなくて、
興味の方がグッと前に出たんですか。
米原 はい。
最初はもちろん、
そのままでは食べていけないから、
通訳をはじめたんですけどね。

だから、
「本当は私に最も向いた別の職業が
 この世の中にあって‥‥」というか、
そういうことは、最初は思っていました。

そんな「天職」に出会うまで、
通訳は時間の割にはお金がいいし、
私はロシア語というのもある程度できるから、
「これでまずは食いつないで、
 食いつないでいる間に天職に出会おう」と。
そう考えていたら、
何か食いつなぎの仕事が、
すごくおもしろかったという。
糸井 もうちょっとさかのぼって、
これはもう何度もお答えになっていることで、
面倒くさいかもしれないですけど、
ロシア語との出会いについて
直に聞いてみたいんですけれども。
米原 私が小学校3年、9歳のときに、
父親の仕事の都合で
チェコスロバキアのプラハに移り住みました。

そこで結局、
5年過ごすんですけれども、
最初、親は私を、地元の学校に
入れようと思っていたそうなんです。
しかし、よく考えると、チェコ語だと、
教科書も先生も、日本に帰ってから手に入らない。

「ロシア語なら
 ずうっと勉強が続けられる」というので、
ロシア語の学校に入ったんです。
ソ連の外務省が経営する
チェコスロバキア在住のソ連人のための学校でした。
だから、すべて授業はロシア語で、
ソ連からやってきた先生が教えるという学校です。
糸井 そのときの戸惑いが
やっぱり聞きたくなるんですが‥‥。
米原 もうすでに、3年生でしたから……
糸井 とんでもなくツライですよね。
米原 とんでもないです。

だって、ロシア語は
ぜんぜんできなかったんですから。
まったくできないところにほうりこまれて、
毎日通わなくてはいけないでしょう?
私、学校へ行くのが毎日ツラくてツラくて、
本当に行きたくなかったですね‥‥。

だって、何にもわからないのに、
一日じゅう教室に座ってなくちゃいけなくて。
ときどき意地悪な子がいて、
日本から持ってきた私の筆箱なんかを
取り上げちゃったりするんだけど、
それに抗議もできないでしょう?
言いつけもできないでしょう?
それから、みんなが笑っているときに
一緒に笑えないでしょう? 
糸井 9歳の子がねえ‥‥。
米原 あれはつらいですね。
本当に、
「いつこの地獄は終わるのか」
と思いましたね。
‥‥で、肩凝りと偏頭痛。
糸井 カラダに来ちゃう。
米原 体に来ちゃうんですね。
きっと大人だったら、自分で荷物をまとめて
帰っちゃうと思うんです、あんな状況に置かれたら。
でも、子供は、しょうがないですね。
糸井 親はそのときにどういう立場をとりました?
米原 親は、私が学校から宿題を持ってくると、
その宿題を全部辞書引いて、
日本語に翻訳してくれましたね。
糸井 支え棒になってくれたんだ。
米原 そして、だんだんだんだん、少しずつ
薄皮がはがれるようにわかってくるんですね。
糸井 僕らみたいに外国語が全く苦手な人間にとって、
その薄皮までには何があるんだろう、と思うんです。
米原 日本語だって、
結局ほんとうは少しずつそうやって
覚えてきたわけですけれども。
例えば名詞は、コップとかそういうものは
だんだんだんだん、わかってきますよね。

それで、本当に必要な単語というのは
人間頻繁に使うから、学習というのは
ドリルで何度も何度も繰り返すことですよね。
何度も何度も耳にしたり、
何度も何度も文字で目に入ったりすると、
自然に身についていくんですよ。
糸井 接する機会を
圧倒的にふやしていくということですね。
米原 ふやしていく。
だから、それは、外国語の才能あるなしは
全然関係ないんですね。


(※明日につづきます。おたのしみに!!!)

2002-11-10-SUN


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